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川について その1

都市河川を考える前に、水そのものについての考察が必要だということに遅まきながら気がついた。

川を流れる水はどこから来るのか?
都市化以前の自然河川では、その根源は雨水であり、またそれによって涵養された湧水であって、それ以外ではない。

現在、都市を流れる水は、じつにさまざまな出自というか径路をたどってきた水である。
そうして、都市の「川」とは何を指して言うのかということ自体が単純ではない。

今日、その多くが暗渠というより公共下水道に変身したかつての「川」は、川と言えるのだろうか?
現在の公共下水のほとんどは屎尿・生活排水と雨水の合流式であるから、その意味では川は「死んだ」のだし、「再処理水」という名の「清流」が流れる水路も、その水面に顔を近づけてみればたちどころに判然とするように、既に「川」ではない。

さかのぼって、江戸時代には「下水」とは「上水」に対する言葉であって、通常は自然河川そのもの、あるいは人工の雨水排水路、灌漑用水の余水路であるから、その限りでは都市の「川」そのものの別称でもあった。

現在の都市に川を「復活」するためには、まずは屎尿・生活排水と雨水の流路分離が必要である。
分離された雨水は、豪雨時の溢水対策として、また災害時の利水、そして地下水涵養のために、都市のサイズに応じた、都市地震の内部に設置される、いくつかの湖水に導かれる必要がある。
そのための導水は、ポンプすなわち電力に依存しない自然流下式のものでなければならない。
ポンプはあくまでも補助的な役割を担ってもらうものでなければならない。

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江戸の崖 東京の崖 その27

三軒茶屋の三差路から、世田谷道を500mほど西へくだって、その一本南側の裏道。
そのあたりが、「忍法帖」や「戦中派不戦日記」で名高い作家の山田風太郎が、戦後、昭和32年頃まで住んでいた旧宅跡。
旧住所は世田谷区三軒茶屋町196番地。
三軒茶屋から世田谷通り(旧大山街道)と大山道(玉川通り、国道246)に分れるけれど、世田谷通りは北側の烏山川と南の蛇崩川の間の尾根道。
玉川通りももちろん尾根道。
この2本の尾根道の間を、蛇崩川(じゃくずれがわ)が中目黒まで下って目黒川に注ぐ。
行ってみて、風太郎先生、世田谷道の尾根から南にやや傾斜した、蛇崩の谷側に住んでいたことが判明。
このあたりは小さな崖がちょろちょろつづく。
蛇崩川はその程度だが、北側の烏山川(からすやまがわ)はもうすこし規模が大きい。
国士舘大学の北校舎と南校舎の間を抜ける緑道は、南に7mほどの崖が佇立してつづく。
その崖の途切れるあたり、松陰神社の参道脇の桂太郎の墓はしかし、なんとも恥かしい。
吉田の塾生でもなかった者が、その威を借りるタロギツネ、というかコバンザメタロウの構図を遺憾なく表わす。
なにせ「ニコポン」タロウは冤罪というよりも国家の犯罪「大逆事件」のフレームアップと「韓国併合」の総責任者。
こういう阿世者の「得意がり」を、「日本の歴史」は何時まで許しておくのだろう。

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江戸の崖 東京の崖 その26

今年の1月24日は、幸徳秋水ほか11名刑死100年忌。
いわゆる大逆事件100年にあたります。
永井荷風父永井久一郎旧邸跡近く、旧市ヶ谷刑務所処刑場跡は、新宿区の余丁町児童遊園の一隅に、日本弁護士連合会の「刑死者慰霊塔」が建てられていて、たずね来る人にはわかる状態。
都内ではもう一箇所「故地」が残されていて、渋谷区代々木三丁目の正春寺墓地中央辺の白っぽい自然石が翌25日に処刑された管野スガの墓。
スガの墓については、田山花袋が『東京の三十年』で曖昧に触れている。つまりはっきりと個人名や事件名を書くことは、当時憚(はばか)られた。

昨今そこここの神社などをめぐって、若い人の間に「パワースポット」ブームが出現しているわけですが、大逆賊「将門首塚」が大手町にある江戸東京最大のパワースポットなら、こういう場所も「近代パワースポット」。なにせ菅野スガは現代の劇作家によって「魔女」扱いされている(福田善之『魔女伝説』三一書房, 1969 )のだから、十分に「パワー源」となる資格がある。

 [凡そ「神社」は怨魄を封ぜんがため建立され、その「パワー」は恨みを淵源とす。
 [よって、人もし「パワー」を後代に残さんと欲せば、死に臨んで存分に恨み念ずべし。

つまり、そこには一種の「時間の特異点」が露出している。
そうしてまた、崖が屹立しており、ビュービューと風が吹きつのる。
非命に斃れた異貌が顕現する。

『時の崖』というのは、安部公房が書いた拳闘小説のカウントダウン・ゴングにだけ出現するわけではない。
先の「ブラタモリ」や「新東京地形論」も、時間に伏在する非連続性という「崖」に無知な例でしょう。

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江戸の崖 東京の崖 その25

[御所組一家、崖組一家]
ウサギ年だというので、「辛卯」(かのとう)という文字が入った賀状が来るけれども、元来「卯」という文字はウサギとは何らかかわりがない。
もともとは左右対称をあらわす字形。十二支の第四位に用い、わかりやすいように動物をあててウサギとしただけの話。
十二支採用は、ウサギには関心を持ってもらえる分、有難半分迷惑半分でしょう。
さて、昔話ではカタキどうしのウサギとタヌキ。
東京の都市部では絶滅したとみられるニホンノウサギですが、敵役のほうはしっかり生き残っている。
今朝の東京新聞によると(「東京生き物語2011下」)、23区内で約1000匹のタヌキが棲息する由。
「東京タヌキ探検隊」の2007-09年調査では、目撃件数の多い順に、練馬区77、板橋区64、杉並区62、中野区39、文京区28、世田谷区28、新宿区26、北区18、豊島区17、千代田区10、足立区10、渋谷区9、港区4、目黒区3、大田区3、台東区2、葛飾区2、江東区1、品川区1、中央区0、墨田区0となる。
このうち、千代田区の10は明らかに皇居にお棲まいの「御所タヌキ」。
渋谷、新宿の数字も、新宿御苑、明治神宮、赤坂御所においでのご縁戚でしょう。
古い巣穴のあった、麻布の狸穴(まみあな)は港区ですが、狸穴のタヌキと崖については、本連載「その18」で述べた通りですので省略するとして、皇居とその関連施設以外のタヌキの居住場所はほとんどが急傾斜地、つまりは崖地なのです。
一定の面積をもった緑地は、皇居や神宮のように人間社会における強力な規制によって保全される以外は、人間の経済活動のおよびにくい急傾斜地にかろうじて保たれています。
グリム童話には決して出てこない、ユーラシア東部に棲息するネコ目イヌ科タヌキ属(ウサギはウサギ目ウサギ科)の、日本列島は東京在住グループにも、御所組一家と崖組一家という派閥が存在するのです。

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江戸の崖 東京の崖 その24

[大晦日の断崖]
古来、大晦日の夜は怪異や異界が出現するのでした。
江戸・東京でよく知られた話には「王子装束榎(えのき)大晦日の狐火」がありました。
多摩地域の川に関して言えば、東京都瑞穂町(みずほまち)の駒形富士付近を水源とし、埼玉県入間市、狭山市を経て、川越市の岸町で新河岸川に合流する、不老川(としとらずがわ)の名の由来も大晦日にあって、きまって大晦日の晩に水が涸れるというのです。
これは武蔵野の逃げ水現象の伝説化ですが、崖にまつわる大晦日怪異譚としては、ヨーロッパはアイスランドの「トゥンガの崖」が際立っています。
その断崖は大晦日の真夜中、一部が教会の扉のように口を開け、その中でキャンドルが何列も連なり、すばらしい歌が響き、たくさんの妖精たちがミサをするという。
委細省略して結論だけ言えば、それを見た人は死んでしまうのです。
キリスト教信仰の下に埋もれたケルト的古層が露出する見事なお話で、一読をお勧めします(菅原邦城訳『アイスランドの昔話』1979年)。
アイスランドはノルウェーやアイルランドのケルト人たちの殖民島で、世界最古の民主議会や、ヨーロッパ人最初の「アメリカ発見」を誇る歴史がありますが、その後ノルウェーやデンマーク王国の支配を受け、キリスト教信仰を強制されたのでした。
この「昔話」には、かつて生身のいきものを寄せ付けぬ厳しい姿で直立する崖が保持していた「異界の魔力」が、世界宗教という「政治性」によって駆逐され、ただのキリギシもしくは宗教の僕(しもべ)としてそれを飾るものに転相する過程が屈折、凝縮されているのです。
崖が妖精もしくは精霊、鬼神といった異界の者の拠るところであったのは、洋の東西を問いません。
付け加えるならば、世界中の子どもたちに圧倒的な人気を誇るノルウェーの絵本『三びきのやぎのがらがらどん』のトロルは谷川に渡した吊り橋の下にいるのですが、つまりは崖に顕現する魔性の裔(すえ)でした。

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江戸の崖 東京の崖 その23

[崖 歌]
石川啄木の処女歌集『一握の砂』が刊行されたのはちょうど百年前の明治43年(1910)12月1日。
この年は、啄木にとっても、日本という新興近代帝国にとっても大きな節目というか動揺期であったのですが、それは措いて、ともかくも母親から感染していた肺結核のため、27歳という若さで東京は小石川区久堅町74番46号(現、文京区小石川5-11-7)の借家で死去するまで、歌集上梓後の啄木に残された時間は1年と数ヵ月もなかったのでした。
その『一握の砂』の冒頭は、「我を愛する歌」なる全5章のうちの第1章のタイトルがあって、

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

頬(ほ)につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず

大海(だいかい)にむかひて一人
七八日(ななやうか)
泣きなむとすと家を出でにき

の3首が並び、全部が「涙歌」。
啄木伝説は、こうした涙と貧窮のうちに病で早世した、広額童顔の天才というイメージの上に成り立っているようなところがあります。
むしろ一見、石原裕次郎主演の映画主題歌を想起させる次の4首目のほうが、よほどポエムらしい。

いたく錆びしピストル出でぬ
砂山の
砂を指もて掘りてありしに

もっとも、裕次郎のほうは、「銃刀法」を慮(おもんぱか)ってか、ピストルをジャックナイフに替えてあり(「錆びたナイフ」荻原四朗作詞、上原賢六作曲、1957年。アクション映画は「錆びたナイフ」1958年)。つまりは、こちらは人畜無害な青春反抗ドラマ歌謡。
啄木のほうは、歌集のはじめの部分は「涙」というより「砂」がつづく。たとえば8首目は絶唱ともいえる次の歌。

いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ

ところで、こうしたいわば3行短歌という表現法は、啄木が創始者と言われています。
デジタル全盛、表現方法は「何でもアリ」の時代に突入した今日では、あまり気付かれないことですが、千年の伝統というか権威を支柱とする短歌世界にあって、このことは結構な革新だったはずです。

さて、全5章、551首の『一握の砂』のうち、110首目には次のような「崖歌」があって、これも後世の人の作品種にもなっていたのです。

何がなしに
頭のなかに崖ありて
日毎に土のくづるるごとし

後世の人というのは現代の作家で、名を車谷長吉という。その作は

夏帽子頭の中に崖ありて

ううむ、帽子をかぶせただけではないか。現代俳句協会の現代俳句データベースでは「業(ごう)の作家ならではの一句」とか言っているし、「増殖する俳句歳時記」でも取り上げているけれど、「元歌」に気付いた様子はない。現代俳句も伝統俳句も、俳句という壺のなかで「増殖」しているだけのようです。

50首目には

高きより飛びおりるごとき心もて
この一生を
終るすべなきか

とも言っていて、高層ビルのない当時「高き」はほとんど自然崖のことだから、これも啄木の崖歌としていいのです。

戻って17首目

わが泣くを少女等(おとめら)きかば
病犬(やまいぬ)の
月に吠ゆるに似たりといふらむ

の「月に吠ゆる」は、後に萩原朔太郎の処女詩集のタイトル『月に吠える』(1917年)となり、こちらは天空を仰いで近代詩の一つの頂点をかたちづくったのでしたが、朔太郎自身は1933年の『氷島』で、「日は断崖の上に登り/憂ひは陸橋の下を低く歩めり・・・」(漂泊者の歌)と、地上の崖に回帰することになるのです。

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江戸の崖 東京の崖 その22

[ピタゴラス]
NHK教育テレビ放映「ピタゴラスイッチ」は4~6歳児対象なのですが、大人も文句なしに見ていられる数少ないテレビ番組です。
「ピタゴラそうち」という、ビー玉ころがしドミノも毎回楽しめますし、「ぼてじん」なる、とぼけたキャラクターもいい。
「アルゴリズムたいそう・こうしん」も、スーツに身を包んで行進する体育会系お兄さんが、毎回同じ動作をするけれど見ていて飽きない。
「ピタゴラスイッチ」というネーミングも嬉しい。
ところで、崖の高さを計測するのは、けっこう難しいものがあって、例えば神田川のキリギシの高さなどは、錘付紐を垂直に垂らすのが一番だけれど、そのような足場がない。あっても一般が立ち入れない。
これは日暮里の鉄道線路際の垂直壁面でも同じ。
何でも電気の現在(いま)だから、なにか道具があるはずと思っていたら、新聞の新商品紹介欄に、携帯型レーザー距離計があった。
レーザー光線を利用して、対象地までの直線距離と水平距離が計測できる。
何のための商品かというと、ゴルフショットの弾道見当用なのですね(ただし公式競技には使用できない)。
けれども水平距離と直線距離だけでは崖の計測にはならない。角度か高さのいずれかがわからないと、「三角形」は描けないのです。
しかし、携帯型レーザー距離計でも「ピタゴラス機能付」というのがあったのです。つまり高さも、角度もわかるものが。
これはよいかなとメーカーに訊いてみると、やはりゴルフ用だけあって、その場合は最短でも水平距離10mが必要と。それでは身近な崖の計測には利用できない。
探索の果ては、あたりまえだけれど、結局はプロ用、つまり土木・建築用測量である、ピタゴラス機能付レーザー距離計にたどりつきました。
けれども、結構なお値段のそれを、手に取って試す機会には、まだ恵まれていないのです。
そうであれば、やはりアナログ。電気道具に頼らず、昔懐かしいクリノメータ(手作りの職人さんがいなくなっているそうです)や、折尺。歩測(手測や目測、身長測を含む身体測量)、階段測量、そしてピタゴラスの定理からのアバウト計算こそが、崖マニアには相応しいといえるのです。
デジタル(自動)であろうと、マニュアルであろうと、ピタゴラスはピタゴラス。

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江戸の崖 東京の崖 その21

俳号を「青崖」ないし「崖青」というのは「生涯一青少年」のつもりだったのですが、寺山修司に次のような歌があって、人に訊かれたらこれが号の根拠だと言おうかなとも思っています。

亡き父の歯刷子一つ捨てにゆき断崖の青しばらく見つむ
(寺山修司『田園に死す』1965)

ここ10年ほど毎月10句掲載していただいている「秋桜」という俳誌の近作のひとつは次のようなもので、くくってタイトルを「真夜中の崖」としました。

真夜中に水の光りて満ちてくる
真夜中に鏡屋二人訪ね来る
真夜中にうしろの正面私だけ
真夜中に鍋割峠に埋めに行く
真夜中に天神様の細道で
真夜中に灰撒人と成申
真夜中に崩橋渡つて沓掛けて
真夜中に崖鳥来い来い言うて翔ぶ
真夜中に崖猫ならはるよろしおす
真夜中に飛行崖来て待つてゐる

まあ、最後の一句は「天空の城ラピュタ」というより、ハリウッド映画「アバター」のポスターが頭にあったのですが・・・

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江戸の崖 東京の崖 その20

この11月30日の内閣告示から、公用文や新聞にも「崖」という文字を使用することが「可」となりました。
いわゆる改定常用漢字です。
戦後間もなく日本語の表記規範とされた「当用漢字」(昭和21年内閣告示)1850字、およびその後ややゆるやかな表記「目安」とされた「常用漢字」1945字のなかにも、「岸」や「涯」はあっても、「崖」という文字は外されていて、いわば文字の「ママコ」扱い。今度の追加196字のなかに入りこんだ裏にはどのような判断があったものか。
常用漢字という考え方自体は大正12年、昭和6年、昭和17年とそれぞれに結節があったようですが、そこも多少の穿鑿をしたくなる。
いずれにしても、このブログのタイトルにも堂々と「崖」という文字が使えるようになってオメデタイわけですが、それでもすでに公文書では「急斜面」のほうが普及していて、今後も「崖」を見かけることはあまりないと思われます。
「崖」という文字、そしてその「音」はつまりは「情動的」であって、タテマエ上アイマイを嫌う公文書にはなじまないのですね。

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江戸の崖 東京の崖 その19

詩人の高良留美子(こうらるみこ)さんに、『崖下の道』という詩集があります(2006年)。
そのタイトルになった1編、全20行の最初は「その崖下の道を通るとき/彼女はいつも/十歳の少女に戻っていなければならない/その崖下の道を通るとき」の4行ではじまり、そしてそれがまた繰り返されておわるのです。
この作品の具体的な背景が何であるのか、何故10歳の少女に戻らなければならないか、作者の内面に深く刻まれた幼時体験があるはずですが、その詮索は措いて、「崖下」という設定だけを取出してみると、あたりまえのことながら、崖下を通る自分はそのことによって一種の圧迫を感じており、同時に、崖下の道を通る自分を見る「もうひとりの自分」の存在を前提としていることがわかります。
崖は、常ならざる危うきもの、容赦ない厳しいもの、そして瞬時の結末、を暗示します。
崖下ではなく、崖上からの目撃視線で梶井基次郎の作品とは別に思い起こされるのは、昭和31年(1956)に中央公論新人賞を得てベストセラーとなり、幾度か映像化もされた、深沢七郎の小説「楢山節考」です。
70になったらお山へ行く、姥捨てならぬ棄老の掟のある山村の、主人公おりん婆さんの、優しくも気丈、美しくさえあるお山行きの場面がクライマックスですが、背負っていった母親をおいて、山を下りかけた辰平が眼下にみとめたのは、お山行きから逃げ出した「又やん」が息子に雁字搦めに縛られたまま谷につき落とされる崖縁であり、そのとき谷底から「湧き上るように舞い上って」きたカラスの大群でした。
もちろん「楢山節考」はフィクションですからそのような「事実」を提示しているわけではありません。しかし、高良留美子さんの詩にオーバーラップさせて言えば、「その崖の上に立つとき/ひとはみな○○歳であった/その崖の上に立つとき」ということがなかったとは言えず、むしろその蓋然性が高いからこそ、「語りて平地人を戦慄せしめ」(柳田国男『遠野物語』)たといっていいのです。
もうひとつつけ加えれば、それは「時の崖」ともいうべき問題性で、作家の安部公房にボクサーの独白体をとった同名の短編がありますが、日本列島の都市部に本格的に出現しつつある「高齢化社会」がもたらす状況を崖にたとえることも、あながち荒唐無稽ではないのです。
高齢者のための負担が過重となる一方で、カネやモノ以外での価値創出を見いだせていない「東京」は、とりわけ若い世代の貧困化と閉塞感を増大させていくほかありません。
「現代の予言書」とされるドストエフスキーの老人殺し小説『罪と罰』のもうひとりの主人公は、その舞台ペテルブルグであると言われるほどに、かの長編は都市小説なのですが、「東京」という主人公が、無前提の「敬老」から「棄老」の谷に傾斜せざるを得ないとしても、その舞台に生きる私たちは、退場時間というもうひとつの「時の崖」までの距離を測り、その役割を精一杯つとめる義務があるというべきでしょう。

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