7月 31st, 2010
江戸の崖 東京の崖 その13 ―ポニョから江戸城
インターネット検索で「崖」と入力すると、出て来るのは圧倒的に「崖の上のポニョ」。宮崎駿さんが原作、脚本、監督すべてをつとめた、2008年公開のスタジオジブリ長編アニメーション映画で、欧米、台湾でも公開され、興行収入155億円をもたらしたといいます。観客に子どもを意識した映画なのに、タイトルで「崖」という非・常用漢字を使ったのはひとつの見識でしょう。たしかに「がけの上のポニョ」では、さまにならない。
それにしても、いったいなぜ「崖の上」なのか。
映画では、主人公宗介とその母親(リサ)は、海端に孤立してそびえる岩壁のてっぺんの家に住んでいる。崖は、灯台が建っていても不思議ではない、典型的な海食崖。実際、宗介は5歳ながら沖合を航行する父親の船とモールス信号でやりとりするのですが、使うのはブラインド・シャッター付の投光器。無人が原則となった現在の灯台では存在余地のない「灯台技師」さながらの腕前。崖を下りれば、そこは様々な海の生きものの命をはぐくむ岩礁海岸の潮だまり(タイド・プール)で、人間になりたい赤い魚ポニョは、家を脱出したのはいいけれど、漂うジャムの瓶にとじこめられて、タイドプールに流れついたのでした。
これまで何度も強調したように、東京は海食崖も基本的に「赤土の崖」ですから、磯浜と岩の崖は存在しない。江の島あたりまで出かけないと、イソギンチャクたちにはお目にかかれないのです。
「岩の上の家」と聞いて、『新約聖書』の「マタイによる福音書」第7章24節から28節を思い浮かべる方もいるかもしれませんね。そこには次のように述べられていました。
わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである。
いわゆる山上の垂訓の最後の場面です。たしかに宮崎アニメのひとつの特徴である、大暴風雨や大洪水といったカタストロフィ・シーンは圧巻で、せり上がる海は崖っぷちから庭先まで溢れ、海生動物が楽しげに浮遊するのですが、その崖上の家は水没しないし、崩れ落ちることもないのです。世界が海にのみこまれても、宗介の家だけはそこにある。その家から、宗介とポニョは、リサを探しに出かける。水没した世界の上を、ポンポン蒸気の船に乗って。
H・C・アンデルセンの「人魚姫」と『旧約聖書』のノアの箱舟を埋め込んだようなストーリー展開ですが、そもそも宗助という主人公の名前は、宮崎さんが読んでいた漱石全集の『門』の主人公、野中宗助に由来するのだそうです。でも、宗助とお米(よね)夫婦が人目を忍ぶように身を寄せあって住んでいたのは江戸川橋あたりの崖の下の借家のはず。崖の下がいつのまにか崖の上に転位した。
崖の上の家といえば、手塚治虫描く「ブラック・ジャック」の主人公とピノコが棲む家も崖の上でした。異形の男女(カップル)が世界洪水を免れ、生活を築くというのは、神話の定型でした。そのためにはどうしても、外界に孤立した崖下か崖上の家必要だったのです。
ノアと動物たちのペアが40日40夜目に箱舟でたどり着いたのはトルコ東端標高5137メートルの成層火山アララト山。ただし、この山を聖書のアララト山と比定したのは中世ヨーロッパ人ですから、もちろんこれも伝説の類。漂着しても岩の山頂(いただき)、崖の上とはとても言えない。五千メートル級の山上では、家を建てて棲むと言っても仮小屋(シェルター)にしかなりえません。
いずれにしても、海と陸がせめぎあう舞台設定としては、海食崖とその上に建つ家以上のものはないでしょう。「崖の上のポニョ」は、だから「崖ぎわのポニョ」「崖っぷちのポニョ」でもあったのです。その崖っぷちにしても、「崖の上のポニョ」の崖は東京湾には存在し得ない岩の崖。「崖の上のポニョ」が、どこか地方の海岸を思わせるのはそのせいでもあるのです。
で、これがどうして「江戸城」と関係あるのか。それは、次回。