Archive for 12月, 2013

“ブラタモリ”や『アースダイバー』から近刊本まで、
《素人地形談義》の誤りを具体的に指摘。
自然地理学・地形学の営みを平易に語る、待望の書!
口絵カラー8ページ、
「おもな駅名」を記載した、東京・横浜デジタル地形段彩陰影図付。

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対話で学ぶ 江戸東京・横浜の地形
松田磐余/著
A5判 カラー口絵8ページ+本文256ページ
本体価格1800円+税
ISBN978-4-902695-21-2

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(口絵の一部)

目次
まえがき
第1章 都心部の地形 ―日本橋台地・江戸前島・日比谷入江
 1 銀座の尾根・新橋の谷
    伏在する尾根と谷/海面変動/台地と波食台
2 日比谷入江
    日比谷公園の珪藻化石/最近1万年の海面変動
 3 中世以降の変化
    鍛冶橋の骨/都立産業会館の骨/地下鉄丸の内線の工事現場
    運輸省ビル/二重橋際/坂下門/東京駅八重洲北口遺跡
    丸の内線東京駅付近の地質断面図/3つの内容を関連付けてみる/まとめ    
徳川家康入府後/江戸前島と周辺の地形/『水の都市 江戸・東京』
第2章 山の手台地を開析する谷の地形と地盤
  1 NHKの番組「ブラタモリ」の間違い
           侵食と堆積―藍染川と石神井川
  2 下末吉海進と縄文海進の混同
            新聞と学会誌/『アースダイバー』の誤り
 3 山の手台地を開析する河川
            3区分される河川縦断形
 4 どこまで海(入り江)だったか ―目黒川    
            東山貝塚/目黒川低地の傾斜/地質断面図による考察
 5 どこまで海(入り江)だったか ―渋谷川・古川    
            谷底低地と豊沢貝塚/地質断面図による考察
 6 どこまで海(入り江)だったか ―神田川    
            神田川沿いの地形と地質断面図
 7 どこまで海(入り江)だったか ―藍染川(石神井川
            埋積されて出来た藍染川低地
第3章 横浜市中心部の地形
 1 横浜市中心部の地形発達史
    河岸段丘を欠く横浜市中心部/最終間氷期最盛期(下末吉海進最盛期)
    最終氷期極相期/後氷期(縄文海進)/縄文海進以降
 2 埋没谷底と埋没波食谷
    沖積層基底
 3 台地と低地が存在する理由
    隆起と関東ローム層の堆積
第4章 横浜市金沢低地の地形
 1 名勝「金沢八景」の誕生
    平潟湾と金沢砂州/夏島貝塚と野島貝塚
 2 金沢低地の沖積層
           海岸沿いの地質断面図/古宮川沿いの地質断面図/沖積層基底
 3 金沢低地の地形発達史
    最終氷期から金沢砂州の形成まで/人工改変
第5章 山の手台地東北部(赤羽付近)の地形
 1 成因の異なる地形
    成増台と本郷台/多摩川の名残川である石神井川/赤羽台地の谷/地下に埋もれて
いる地形/ボーリング柱状図に現れている地史
 2 現地に行ってみる
    地形図をたどりながら
第6章 多摩川低地の形成
 1 多摩川低地の地形と堆積物
    多摩川低地と周辺の地形/多摩川低地の堆積物
  2 多摩川低地の地形発達史
    沖積層発達史/沖積層基底/多摩川と鶴見川の関係
第7章 東京23区と周辺の地形発達史
  1 台地と低地
    地形発達史の重要性/関東平野における東京23区の位置/東京23区の地形の概要
  2 山の手台地と下町低地の形成
  下末吉海進時の海岸線/S面の対比について/亜氷期・亜間氷期
    /離水時期/火山灰編年学
 3 東京低地の地盤
    地質断面図に現れている氷河性海面変動/ブロック図による説明    
  /沖積層の分布
 4 東京低地の形成
    東京低地の陸化過程
 5 最終間氷期以降の海面高度の変化と地形発達史
    山の手台地の地形発達史/地質断面図による説明
第8章 東京・横浜の地形を理解するための基礎
 1 関東地方の地形
    新しい低地、古い山地/下末吉面と地殻変動
  2 沖積低地の地形
    土石流と低地の形成/自然堤防、後背湿地、三日月湖
  3 氷河性海面変動と地形
    氷河性海面変動とは/気候変動の歴史/最終間氷期から現在までの歴史
  4 氷河性海面変動による地形の変化
    侵食基準面の変化と段丘化/気候変動と地形形成モデル/海食崖、波食台、
    砂州、磯、浜/地殻変動の影響
 あとがき
 おもな参考文献
 索 引

著者紹介
松田磐余(まつだ・いわれ)
1939年、東京都品川生まれ。東京都立大学大学院修了、同大学理学部教授、関東学院大学教授を経て、
現在関東学院大学名誉教授。理学博士。著書に『江戸・東京地形学散歩』(之潮)ほかがある。

父と母の死後、残された手紙や日記類をひもといて、はじめて知る、その若き日の実像。
画期的「漱石全集」を編集し、戦後出版史上に屹立する金字塔を打ち立てた秋山豊が描く、「苛酷な時代」の群像。
一世代前の人々の軌跡が、リアリティをもってよみがえる。

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石や叫ばん -1920年代の精神史
秋山 豊 著
四六判 458ページ 本体2800円+税
ISBN978-4-902695-20-5  C0021

目 次
第一章  祖父から父へ
第二章  群馬共産党事件
第三章  田中ウタ
第四章  建設者同盟
第五章  総同盟の方向転換
第六章  田中ウタ、ふたたび
第七章  豊原五郎
第八章  三・一五事件
第九章  母の家
第十章  母の日記
第十一章 切り離されて
第十二章 獄から獄への手紙
第十三章 母の手紙
第十四章 関根悦郎と西村桜東洋
第十五章 その後のウタ、父と母
第十六章 母の上京
あとがき
人名索引

著者紹介
秋山 豊(あきやま・ゆたか)
1944年生まれ。東京工業大学卒業後、同大学助手をへて、岩波書店に入社。
講座・辞典の編集から、1993年に刊行開始された『漱石全集』の編集に従事。
2004年、同社退職。
著書に『漱石という生き方』『漱石の森を歩く』(いずれもトランスビュー刊)ほか。

毛沢東が「法」を嫌っていた、というのは有名な話です。
「成文法」は専制者の「恣意」を掣肘するから、専制者はそれを本能的に排除するか、骨抜きにしようとする。
専制者にとって必要なのは、自らの「意志」ないし「欲望」を現実化する手段とそのプロセスだけなのです。
したがって専制国家には、万民の「共通理解」としての「法」は存在の余地がなく、「令」のみが横溢する。

専制に対する「民主主義」とは、統治者ないし権力者(日本においてはこれらをまとめて「官」という。以下、「官」とする)に対して、一般庶民(以下「民」とする)が「法」を介してコントロールできるシステムを言い、だから「法にもとづく国家」ないし「法治国家」などと言われるのですが、これは基本的に、権力の座にあるものは、放置しておけば野放図に「恣意」や「欲望」を発動するから、それは「法」システムによってチェックされるべきだ、という理解が存在するのです。
権力性悪説と言ってもいい。
これに対して、家父長国家あるいは家族国家観を強調する者は、権力性善説に立つことになるでしょう。
いずれが、リアルな認識であるか、言うまでもないこと。
権力の座にあるものは、権力を手中にしているがゆえに、常に恣意と野放図の誘惑に傾き、あるいは毛(文革)や旧日本軍部のように、暴走する。

官僚と政権が秘匿したいと思った、あるいは後からでも都合が悪いと思った、一般には知られない情報を手に入れたり、公表したりすれば、それは罪に科するという、日本列島における「法」は、法本来のありかたから倒立しているのです。

つまり「法」が権力の不正〈=恣意〉や暴走を制御する、あるいは「民」の権利を守る、もしくは「企業」や「役所」側と「民」側の利害を調整する緩衝装置でもなくて、単に権力の恣意に奉仕するための道具(「令」)になり下がっている、というほかない。

「秘密」の範囲を法によって明確に規定することもなく、すべてに「その他」事項を付帯させ、秘密であるかどうかの最終判断は政権に委ねるとする「法」は「法」ではあり得ない。

「法の自殺」と言ったひとがいるのかどうか知りませんが、こうした法にあらざる法が成立するような事態をみれば、日本における「近代国家」とは「飾り衣装」にすぎなかった、と判断せざるを得ない。

私たちが、中学校以降で習う「三権分立」(モンテスキュー『法の精神』)とは、裁判所が行政府に対して独立しなければならない、ということだけではなくて、当然ながら「法」そのものが、行政者の「恣意」(「裁量」)から独立したものでなければならないのです。

その「独立」が保障されない国家においては、行政に従事する者(役人)は、「事」に即して判断せず、「人」すなわち「上位者の意」に即して判断する。
だから役人は、その目を上にばかり向けている「ヒラメ」とならざるを得ない。
日本の「裁判所」は、肝要なところでは「法」ではなくて、「上位」(最高裁事務当局)がコントロールするようなシステムになっている。
そうして、それは結局のところ、行政府がコントロールする。
最近の「日銀総裁」の人事が物語るように、現政権は形だけでも存在していた「分立」を突き崩した。
そうして、「教育」については、「上位下達」であった戦前のシステムへの回帰が急のようです。

先の戦争で、この「国」はわざわざ海外に出かけて行ったわけですが、その結果国内の主要都市は焦土と化し、「英霊」の多くは「餓え死に」をし、挙句の果ては「ポツダム宣言受諾」という「降伏」に終わったのです。
それが何故か、を学ばず、「負けた」ことすら学ばず、逆に「降伏」に至ったルートを「取り戻そう」とする現状は、「原発事故」が単なる自然災害であったとして、そのことに学ばない構造と軌を一にしています。

「原発事故」の悲劇(喜劇)とは、罰せられるべき「下手人」と、起訴すべき「検事」ないし「裁判官」が、同類項に属していて、いまだなにごともなかったように平然としていることにある。それは、「未分化」の悲・喜劇にほかならないのです。

現状が「愚者」の確固たる構図にほかならないことは、拙著『江戸の崖 東京の崖』最終章、タロットカードの図柄として示した通りです。
首相という役職にあるらしい、アベなんとかの顔は、タロットカードの愚者の絵そのもの。

「力をもったもの」、あるいは「上位者」がオールマイティで、すべてを意のままにできるようなシステムは、ロクな結果にならない、という教訓が忘れ去られようとしています。
役人世界で発生した「事」にあたっては、担当者がその事に即して是非を判断するのではなく、「上意」を忖度するしかないから、個は蜥蜴のしっぽ切りの意味で軽度の「責任」をとらされるだけで、実際の「無責任無限連鎖システム」は無傷で残り、「事」は虚構で固められる。
これが、日本における「逆」フェイル・セーフシステム。
「原発事故」もそのひとつ。

要は、稚(おさな)いのです。
日本列島上の、「官」も、「民」も。
「三権分立」は、まだ教科書のうえだけの理解。
「官」も「民」も、「官」「民」といった構図自体がナンセンスであることを悟り、実際に権力の「分化」が必要だと納得するまでは、この先100年か200年か、まだいくつかの大きな「災厄」の洗礼を受けなければならないようです。