Archive for 11月, 2022

127年前の訳を見る前に、戦前の訳文を3例紹介しておこう。
まず野尻清彦訳『寶島』(世界大衆文學全集第18巻、1928年)だが、この野尻さんは筆名の大佛次郎のほうが知られていて、また星に関する著作で知られる野尻抱影はその兄、つまり清彦は本名である。その訳は以下の通り。

死人(しびと)の箱の上に十五人ー
よいとまけほ、ラムも一本よ!
酒と悪魔が残りはやっつけたー
よいとまけほ、ラムも一本よ!

地業歌「よいとまけ」に「ほ」を付けたのは、原文「ho-」への考慮かも知れないが、滑稽味が先に立ってしまう。
次は英文学者の平田禿木訳『寶島探検物語』(日本児童文庫74、1930年)、

僅か十五人が死人島へ残った、
 や、こらさ、こらさ、それにラム酒がたった一本。
あとは皆、酒と悪魔にしてやられ、
 や、こらさ、こらさ、それにラム酒がたった一本。

こちらは「やっこらさ」の掛け声をもってき、そこだけが辛うじて「歌」の痕跡を示す。
3番手、こちらも英文学者勝田孝興訳注『寶島』(譯註英文名著全集、第1輯第6巻。1930年)は

僅か十五人「死人箱」に残るー
ヨイコラサノサ、それとラム酒一本よツ!
酒と悪魔が他(ほか)の奴あ殺したー
ヨイコラサノサ、それとラム酒一本よツ!

三例いずれも意訳というより説明訳に近い。

第十章に描かれているように、実はこの歌は出航抜錨の作業歌であって、風力のほかは人力しかなかった時代、大勢の船員が揚錨機(キャプスタン)の梃子に取り付き、最後のho-のところでそれを一斉に押すのである。
つまりアクセントは最後の「ホー」におかれるから、訳においてもその部分は分節独立していなければならない。

以上を念頭に置いた上で、さて1895年1月、『文藝倶樂部』に掲載された宮井安吉訳「新作たから島」である。
タイトルが「新作」を冠しているのは、スティーブンスンの『宝島』が書籍となって一躍彼の文名を高からしめたのは僅か12年前、伝達時間の緩やかであった当時としては「新作」にほかならないからで、また「鬼ヶ島」をはじめとして日本の昔話に「たから島」はおなじみの設定だったからと考えられる。
そして、作者R・L・スティーブンスンが南太平洋サモアの地において44歳で亡くなったのは、その前年1894年12月3日。
訳業はまだ作者存命、ないしその訃報を得たばかりのことだったのだ。なお訳者の宮井安吉は斎藤秀三郎に次ぐ独自の英文法の研究者という評価があるようで、こちらも歴とした英文学者である。その訳文は

死人(しにん)の紙箱(つヽら)の其上(そのうへ)に、
人数(にんず)合(あは)せて十五人(じうごにん)、
ヨホヽ糖酒(ラム)も一本(いつぽん)
爰(こヽ)にある。

のように、見事な七五調である。「紙箱(つヽら)」は通常「葛籠(つづら)」、つまりツヅラフジで編んだ比較的大きな衣装入れのことで、たしかに機能としてはchestに相当する。船員用のそれは通常金具留の木製だと思うが、わざわざ「紙箱」とした理由はよくわからない。
つづらは舌切り雀の昔話でおなじみだが、今の若い人には通じないだろう。しかし当時としては適訳と思われる。
ただし「ヨホヽ」では七五調にならず、アクセントもない。しかも2連目はまったく省略されている。
もっとも冒頭の訳者名に「卯の花菴主人抄譯」と書き、原文が全34章なのにこちらは30章、1章の歌の2連目省略、23章は章ごとスキップされている。
最初期の作品紹介としては抄訳でもよかったのかも知れないが、後世への影響もあることだし、ここは2連目も続けてもらいたかった。例えば

飲んで悪魔の思うつぼ
残りの奴らはあの世行き
ヨーホ、ホー、糖酒(ラム)が一本
ほれ爰(こヽ)に

といった具合。これを生かして手直しすれば

死人の箱のその上は、人数かぞえりゃ十五人
ヨーホ、ホー!、ラム酒一本もう一本
飲んで悪魔の思うつぼ、残りの奴らは
あの世行き
ヨーホ、ホー!、ラム酒一本もう一本

Fifteen men- ではじまる原文の、海賊らしく叩きつけるようなリズムにはとても及ばないが、七五調四拍子は確保できた。
キャプスタンの梃子を押す、最後の「ホー」も分節できた。

歌の命はリズムである。俳句や短歌は言うに及ばず、命ある詩の根源に脈打つのは音のリズムである。
海賊歌翻訳における画竜点睛は、その工夫にあるのではなかろうか。

Fifteen men on the dead man’s chest–
Yo-ho-ho-, and a bottle of rum!
Drink and the devil had done for the rest–
Yo-ho-ho-, and a bottle of rum!

児童文学というより世界文学の古典で、近年「古典新訳文庫」の1冊にもなったスティヴンスン『宝島』の翻訳は汗牛充棟数知れずだが、第1章と23章に登場する上掲の「海賊の歌」に限ってみれば、まともな日本語として訳されたためしはないのではなかろうか。

韻文の訳は確かに難しい。
意味が通ればそれでよしとするわけにはいかないからである。

阿部知二訳岩波文庫版『宝島』(1963年初刷、1978年12刷)では、以下の通りである。

亡者の箱まで、這いのぼったる十五人—
 一杯飲もうぞ、ヨー・ホー・ホー!
あとの残りは、悪魔に食われたよ
 一杯飲もうぞ、ヨー・ホー・ホー!

原文の Yo-ho-ho- がそのまま生かされているのは好ましいが、原文の4拍子でズンズンと叩きつけるリズムはまるで消えているのである。
佐々木直次郎・稲沢秀夫訳新潮文庫版『宝島』(1951年発行、1997年改版)は

死人の箱にゃあ十五人—
 よいこらさあ、それからラムが一壜と!
残りのやつは酒と悪魔がかたづけた—
 よいこらさあ、それからラムが一壜と!

Yo-ho-ho-を「よいこらさあ」としたのは確かに工夫だが、日本昔話の滑稽味を伴ってしまい、また全体のリズムは考慮の外。
金原瑞人訳偕成社文庫版『宝島』(1994年初刷、2018年35刷)は

死人の箱に十五人—とくらあ
ほーれ、それからラム酒が一本よう!
残りを殺ったな、酒と悪魔だ—
ほーれ、それからラム酒が一本よう!

これもまったくリズム無視、雰囲気を出すための無理やり言葉が邪魔で、いずれも失格。
海保眞男訳岩波少年文庫版『宝島』(2000年1刷、2015年14刷)は

死人(しびと)の箱には十五人
ラム酒をひとびん、ヨーホーホー
酒と悪魔が残りの奴らを片づけた
ラム酒をひとびん、ヨーホーホー

としていて、1連目は「箱には」の「は」と「ラム酒を」の「を」が字余りの無意識七五調で、Yo-ho-ho-も生かされている。
しかし2連1行目はリズムが放棄され意味の流し訳である。
ちなみに講談社が創業50周年記念として1959年から62年にかけて世に送った全50巻の『少年少女世界文学全集』の7、イギリス編第4巻(1962年)に収録されている阿部知二訳の「宝島」では、

亡者のはこまで、やってきたのは十五人ー
 いっぱいのもうぜ、ヨ・ホ・ホ!
あとののこりは、あくまに食われたよー
 いっぱいのもうぜ、ヨ・ホ・ホ!

だから、岩波文庫に収録するにあたっては ‘on’ を気にして、1行目後半を「やってきたのは」から「這いのぼったる」と訂正したのである。
訳はどうしても解釈や意味が優先され、歌のリズムまでは頭がまわらないらしい。
ことのついでに紹介すると、講談社の児童文学全集企画には先蹤があって、大阪は創元社が1954年から56年の間に刊行した「世界少年少女文学全集」(第1部50巻、第2部18巻)であるが、その第5巻イギリス編3(1953年)に西村孝次訳『宝島』が収録されている。そこでは

死人の箱にゃあ、十五人ー
 よいこらさあ、おまけにラム酒が一びんよ!
酒と悪魔が、残りのやつをやっつけたー
 よいこらさあ、おまけにラム酒が一びんよ!

である。1950年代は Yo-ho-ho- を「よいこらさあ」として怪しまなかったようだ。

Fifteen men on the dead man’s chest–
Yo-ho-ho-, and a bottle of rum!
Drink and the devil had done for the rest–
Yo-ho-ho-, and a bottle of rum!

原文を舌頭二三十転もしてみれば、1行が「強弱/強弱/強弱/強」で、英詩のリズムは「強弱4歩(ぶ)格」と判るだろう。
つまりYo-ho-ho-の部分は、片仮名にするなら「ヨーホ、ホー」でなければならないのである。
その点、村上博基訳新訳古典文庫『宝島』(2008年初版、2019年3刷)は

死人箱島に流れ着いたは十五人
ヨー、ホッ、ホー、酒はラムがただ一本
あとは皆 酒に飲まれ悪魔に食われ
ヨー、ホッ、ホー、酒はラムがただ一本

としているから、ことYo-ho-ho-に関してのみだが比較的マシな訳と言えるかもしれない。

しかしこの海賊歌を日本語にするには、全体を五七ないし七五調のリズムに乗せて然るべき、と敢えて主張したい。
そうなると初期の訳ではどうしていたか知りたくなる。
そこで1895年の宮井安吉訳「新作たから島」(雑誌記事復刻集「明治翻訳文学全集」第7巻 スティーブンソン集)を瞥見してみたい。

collegio

google mapの穴 西大輪砂丘

現代人はスマホ依存と言ってもいい状態に落ち込んでいる。
電車に乗ってもバスの座席に座っていても、大概は窓外よりも手許の液晶画面に目をやり、あるいはせわしなく指を動かしている。
歩く時さえ前を見ない「スマホ歩き」や「ひとり喋り歩き」の手合いは少なくない。
それなしでは済まされない状態は、依存症というより中毒症に似る。
しかしながらこと空間や場所に関して、無頓着にスマホ情報に頼りきっていると「素寒貧」の穴に嵌る。

画面に何の記載もなければそこには何もないと思わされてしまうわけだが、基本地図以外はおもに利用者などがデータをアップすることによって成り立っているから、利用者が気付かないもの、あるいは利用者自体が少ないエリアは、それを見ている者にとって重要なことも”穴あき状態”になっているのである。

逆に言えば、郊外地などで皆が車で通り過ぎてしまうようなところでは、実際に地面を歩いてみること、そして画面ではなく実景に注意を凝らすと、デジタル情報ヌケが発見できるのである。
最近必要があって出かけ、スマホすなわちグーグルマップで目的地を検索せず、地形図を拡大したコピーをもって至近駅ではない駅から長歩きしたために、逆に思わぬ収穫を得た。これはひとつの経験であった。

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上のgoogle mapは埼玉県久喜市の宇都宮線東鷲宮駅北北西の一画だが、左手南北に通じる自動車道路の左右には広い空き地で何もないと思わされる。
スマホ画面をいくら拡大しても、これ以上の情報は得られない。

実際、建物は少ないのだが、周囲に目をやりながら歩いていると道路の向こう側に気になる木造建築が目に入った。
目的地までまだかなり歩かなければならないため躊躇したものの、車の走行が途切れた際道を横断し、それを見に行った。
思わぬ収穫とはそこにあった下の解説板である。

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「埼玉県指定天然記念物 西大輪砂丘」。
本来は長さ1キロ半に及ぶ、内陸性の大砂丘である。

この解説板は砂丘の頂点付近の神社前に建てられているが、google mapでは前述のようにいくら拡大してもは神社名はおろか天然記念物のキの字も出てこない。スマホ画面は「ここには何もない」というメッセージを発していて、道路の東側に「東大輪神社」名がみえるのとは対照的である。
ただし検索で説明板のある神社の名「西大輪神社」と入力すれば、その地点は示す。
しかし「砂丘」についてはノーコメントである。
以下の写真は砂丘説明板とその奥の西大輪神社だが、社殿が砂丘の高みに設営されたことがよくわかるだろう。

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社殿は、上のgoogle mapでは左下、「さんげつ ラーメン・安価」の「ラー」にかかる四角の図形で表わされているだけである。
スマホ地図には穴があると思うべし。
これが教訓である。