コロナウィルス対応で、休校による混乱ばかりが話題となっているが、実はそれは大した問題ではない。
現政府がいま力を注いでいるのは、感染者の把握ではなく、その真逆の隠蔽にほかならないからだ。
中国から提供された検査キットも活用せず、検査体制を国立感染症研究所に限定化し、韓国より1桁以上少ない1日1000人未満の検査体制にして感染者数値の上昇を妨げている。
不作為(意図的なサボタージュ)手法による、情報操作である。
2日、WHOからその積極的な対応が評価された韓国からは、大統領のウィルス対応協力の呼びかけがあったのだが、もちろんアベとそのお友達および子分たちは馬耳東風をきめ込んだのである。
このような小手先技は、国際的な信用失墜に直結する。
信用失墜はしかしクルーズ船の例ですでにはじまっていた(「日本政府の対応は、公衆衛生危機の際に行ってはいけない対応の見本」ニューヨーク・タイムス)。
情報操作と隠蔽はそもそもこの連中の十八番、「政治家」としてもっとも腐心するところなのである。
もしいままともな検査体制が敷かれ稼働していれば、初期対応失敗の結果として日本列島の感染者数は間違いなく桁外れに上る。
隠れ感染者や公表されざる感染スポットは、すでに身近に存在するかも知れないという疑心は当然である。
極東の列島の愚かな政策と対照的に、同極東の島台湾では、真摯にして迅速、賢明な感染症対策が功を奏し、支持率をも飛躍的に上昇させた。
中国は多大な犠牲をはらい、ウィルスの蔓延をほぼ湖北省内に封じ込めつつある。
列島におけるの感染者捕捉のサボタージュ状態がつづくならば、オリンピックどころの騒ぎではない。
「コロナ」と指さされ、軽侮されつつ隔離ないし排除されるのが日の丸国とその住人となる可能性はきわめて高く、それはすでに始まっているのである。
公衆衛生上の対応策は、結局のところ感染源(感染者)を発見(特定)し、それを公表周知させ、ゾーニング(隔離・封じ込め)することに尽きる(『感染地図―歴史を変えた未知の病原体』) 。繰り返すが、隠蔽はその真逆である。
「行ってはいけない対応」は、この愚かな政権を許すかぎりつづくのである。
【追記】
マスコミも隠蔽の実態にようやく触れるようになった。
以下は朝日新聞デジタル版2020年3月4日22時22分の記事の一部である。
「新型コロナウイルスの感染を判定するPCR検査をめぐり、日本医師会は4日の記者会見で、医師が必要と判断しても保健所が認めずに検査を実施できなかった例が全国で30件あまり確認されたと明らかにした。(略)新型コロナウイルスのPCR検査は現在、感染症法に基づく「行政検査」とされ、保健所が認めないと実施できない。日本医師会によると、保健所が認めなかった理由は「重症ではない」が5件、「濃厚接触者ではない」が1件などで、大半は理由が不明という。」
気候変動や地殻変動に加え、ウィルスが現代ヒト社会の存立構造を侵食しつつある。
極東島の裸王Aは自己統率を示す機会とみたか、クルーズ船対応混沌遅鈍から突如転じて無理無要の全国休校を宣い、混乱に拍車をかけているのは笑ってしまう。
自然現象やウィルスよりも怖いのは、実は隠蔽政治や集団的憎悪、パニックに陥るヒト社会である。
ところで世界のメガディザスター史のなかでも突出して、犠牲者10万人を数うとされる明暦の大火は明暦3年1月18日から20日にかけてのできごとで、江戸東京時代400年のうち関東大震災、東京大空襲にならぶ巨大画期であった。
ただしその日付は旧暦であって、西暦になおせば出火は1657年3月2日の午後2時頃。
したがってそれは明日でちょうど363年目にあたる。
偶々長崎のオランダ商館長が将軍への拝謁のために在府していて焼け出され、その日記がオランダに送られていたため、同日の日付のあるリアルタイムの記録が残された。
昨年末に出た講談社現代新書『オランダ商館長が見た 江戸の災害』(F・クレインス著、2019年12月刊)にその一部が小出しに紹介されている。
明暦の大火については浅井了意著と目される『むさしあぶみ』(万治4・1661年刊)が著名だが、伝聞脚色を主とした回想体の仮名草子ないし浮世草子で、網羅的記述ではあるもののリアルドキュメントとは言い難い。
浅井了意の著であることが明白な『江戸名所記』(寛文2・1662年刊)は、その回向院の項が『むさしあぶみ』の要所抜粋で同域を出ない。
講談社現代新書の紹介はその意味で大変重要なのだが、京都の日本文化研究センターの准教授だという著者が書いたものとしてはまことに不満である。
なぜならば、学者の仕事としてまずは本来のドキュメント全容を日本語にして公開する仕事に取り組むべきで、軽々に新書を書くのは後先が逆なのである。
本書における江戸の災害は舐めた程度にして、筆を京都や雲仙・普賢岳の災害に転じているのには憤懣さえつのる。タイトルの「江戸」が空間と時間の両方にわたることを使った羊頭狗肉の類とさえ言いたい。
その過少な明暦の大火の記述で、著者がわが『明暦江戸大絵図』(書籍版、2007年1月刊)を紹介、利用して論をすすめたのはよろしいとして、大目付井上政重上屋敷跡を現在の東京法務局附近としているのはさらにいただけない。
東京に土地勘のない著者であるためだろうが、編集や校正担当者は東京在住者に違いない。だからその誤りに関しては責は版元編集に帰せられるのは、大阪在司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズ第36巻の嗤うべき「平川」誤記と同等の構造である。
いずれにしても近々、この新書と商館長日記を利用したA・モンタヌスの『日本志』および『むさしあぶみ』、そして『明暦江戸大絵図』のそれぞれ該当部を参照しながら、コロナウィルス渦中363年目の跡地を、文京区、千代田区、台東区と歩いてみるつもりである。
現代都市が中枢部を含めてほとんど焼尽するような明暦大火並みの大規模火災は現実的ではないが、大地震や噴火となればその基礎インフラ全体の脆弱性は逆に火を見るよりも明らかである。
そうして極東列島の「避難所は体育館」というきわめて劣愚な「常識」が、その場にウィルスとストレスを充満させ、個々人の死に至るプロセスに「加油」することも間違いない現実なのである。