2月 16th, 2017
白泉抄5 (渡邊白泉の句業から)
飯田龍太白泉をして「たんねんに読んでも、ほとん見るべき作はない」とし、「極月の・・・」は「なんともつまらない作品である。こんな句に魂の甦りもなにもあったものではない」(『秀句の風姿』一九八七)とたたみ掛く。「読み」を放擲、ただに貶めんてふ、無視無化への「義務的な衝動」なり。「魂の甦り」とは白泉自身の言葉に候。以下にそを引かん。『渡邊白泉全句集』中「瑞蛇集」あとがきなり。
「俳壇や文壇から絶縁された孤独の窖で無償の努力をつゞけることは、わたしにとってさしたるくるしみではなかったが、この時期にあっては身の細胞が日に日にハラハラと舞い落ちてゆくような痛苦を味わったのである。/しかし「夜の風鈴」の一句によって、わたくしは甦えることができた。五年間わたくしから離れ去っていた何かゞ突然帰ってきて、わたくしの魂と一つになったのである。生きていてよかったというような言い方では十分に言いあらわせないような充実感をわたくしは覚えたことである。/爾来わたくしは、焦ることもなく、恐れることもなく、ひとり閑々として俳句を作りつゞけて来た。俳壇というところにとゞまっていたら、このような制作のありかたはとうてい実現することはなかったであろう。わたくしは、この境を何よりも貴重なものとして守り通さねばなるまい。昭和四十四年、渡辺白泉記」
「瑞蛇集」すなはち白泉戦後の作集にて「自昭和三十九年至昭和四十三」とあり、「霧の舟」および「夜の風鈴」の二部より成る。その間五年の空白期あるゆゑとは白泉自ら記すところなり。
龍太が「なんともつまらない」「こんな句」「・・もなにもあったものではない」と三段構えに貶しめし極月の夜の風鈴責めさいなむは、一九六六年(昭和四一)に成りし白泉の魂の甦りなりき。「かの事件」から二六歳を経、自身の逮捕そのものを梃子とし、戦後俳壇の重鎮と仰がれるに至りし飯田蛇笏代表句「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」の虚構脱化を果たし得たり。すなはち俳壇・文壇に隔絶しつつ、この句をもってつひに「俳句ムラ」序列を顚倒せる境域を得たがためなり。「責めさいな」めし者あに官憲のみならんや。詩人の孤絶「二十億光年」たるべし。「瑞蛇集」てふ命名に白泉の意志と面目躍如を見んか。因みに蛇笏句は一九三三(昭和八)年の作なり。