Archive for 5月, 2013

漢字の道・路・途・径は、和語ではすべてミチという。ミチの「ミ」はミコ(御子・巫女)やミタ(御田)、ミホトケ(御仏)と同じく、また、オシロ(御城)やオウマ(御馬)の「オ」と同類の、接美辞ないし敬辞だから、語の本体は「チ」である。
これをトチのチと言ったらそれはもちろん誤りで、土地は漢語だから除外して考えなければならない。
語幹のチが共通するのはチマタ(巷・岐・衢)である。チマタはチが交叉したところ、すなわちツジ(辻)である。チを語幹とする言葉には、ほかにマチ(町・街・区・襠)やウチ(内)、オチコチ(遠近)、アチコチ(彼方此方)があって、すべて場所ないし空間をあらわす。
「チ」が「道」の意で用いられるのは、アヅマヂ(東路)やシナノヂ(信濃路)のような接尾辞的な例で、『古事記』(下巻・歌謡)には、タギマチ(当芸麻道)とある。
ここから推認するに、地表の交通経路をあらわす古い和語には、「チ」と「ミチ」の二種類があったようだ。
現代は、ほとんどすべての地表空間が切り分けられ、それぞれ領有ないし所有が主張されるが、二百年もさかのぼれば領域は曖昧となり、さらに古くは、むしろ地上における人の場所はごく限られたものであった。
そうして、狩猟と採集に生存を依存していた人類の長い時代、集落はひらけた場所にあったとしても、一旦その場を離れれば、周囲は原野であり、森林であって、そこは野性と霊威の支配する異界であった。だから、そのなかを通じる「チ」とは、人間の領域の属性を延長しつつも、野性や霊威とも親密な過渡的ないし曖昧なエリアであったのである。
その過渡的なエリアが人間意志の顕現のような様相に転じるのは、灌漑農耕が成立して社会が内部分化し、また征服被征服の外部的な階層性をも抱え込むようになって以降である。
すなわち、敬称を冠したミ・チが誕生する。
霊威は人間領域の外部から内部へ仮託され、やがてそれは威令にとってかわった。奴隷労働にせよ、徴用にせよ、農閑期雇用にせよ、かつては「威令」として動員された、人間の労力がつくりだした交通経路がミ・チなのである。
そうして、すべてのミ・チは、「お馬」がミヤコから走り出、またそこに向かう「軍用道路」だったのである。
最近の東京都小平市の、後出しじゃんけんそのものの住民投票条例改変例でも判るように、トーキョーの道も、一旦計画決定されたら問答無用に通すのが、「軍用」ならざる「自動車用」のミ・チだったのだ。だから、ミ・チはそこに「住む者」を無視し、むしろ「そこのけそこのけ」と排除するのである。このようなことが「あたりまえ」の列島には、いまだ「人間の道」は不在であると言わなければならない。

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古地図とくずし字

標記のようなタイトルの本を、以前代取をやっていた版元では看板商品のようにいくつも出していた。
この種の本の出版は一時途切れていたものを、私が復活させたのだが、それは自身が勉強したいためであった。

ただ決定版というような「くずし字」の参考書は、存在しない。
いかなる語学の世界もそうであるように、くずし字や古文書を読む「コツ」は、なんといっても慣れる以外にないからだ。
よい道具がそろっていても、それを常々使っていないかぎり、技は上達しない。
私自身があいかわらずこの世界の初心者であるのは、継続して読むことがないためだ。
しかし、多くの人が継続できる状態ではないからこそ、初心者向けの本は、「売れる」のである。

最近、必要に追われて、遅まきながら江戸図の「祖」(おや)と言われる、「新板江戸大絵図」の「刊記」をあらためて読んでみた。

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原文は上掲の通りだが、「初心者」にはところどころ読めないため、図書館で参考書を探していたら、三田村鳶魚の『未刊随筆百種』に「江戸図書目提要」というのがあって、その380ページに同図の刊記が「附言」として活字化されていた。
鳶魚の解読は以下のようなものである。

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しかし、これをみて驚いたのは、あきらかな誤読があったことである。

当方の「読み下し」は以下の通りである。

一 此絵図御訴訟を以て板行致し候間、他所にて類板有まじきものなり
一 此御堀之外、東西南北も仕り候様に、仰付なされ候間、追付板行仕出し申すべく候
一 遠方之方角御覧なられ候事、じしやく(磁石)次第に此絵図御直し置きて御覧なされ候はば、相違有まじく候
一 間積リ壱分にて五間のつもりに仕り候、ただし六尺五寸之間なり
一 ■ かくのごとく仕り候は、辻番所なり
一 《 かくのごとく仕り候は、坂なり
一 □ かくのごとく仕り候は、御屋敷之境目なり
一 此絵図此前より世間に御座候へども、相違のみ多し。今度板行仕り候は道筋一つもちがひなく方角間積り迄こまかに仕り候
一 御屋敷の名付相違仕り候ところ御座候はば、御知せ下さるべく候、随分あらため申すべく候
  右此外、東は本庄(所)、西はよつや、南は大仏、北は浅草、残らず板行仕り出し申すべく候

さて、どこが違うか、較べてご覧ください。

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太陽の地図帖 019

旧知の今尾恵介さんから話があって、平凡社の標記のシリーズの『5mメッシュ・デジタル標高地形図で歩く 東京凸凹地形案内 2』(今尾監修)で、今尾さんとの対談を交えて、都内の3ヶ所の崖を案内した。
冒頭6ページは、その写真と対談内容である。

それだけでは意味も通じないだろうからと、1ページは書き下ろした。
題して、「崖が坂をつくり、坂が崖をつくる」という。

奥付は今月末になっているが、店頭にはもう出ている。
とりあえず書き下ろしの部分だけ、以下に掲げる。
(画像を2段階クリックすると、読めるように拡大)

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