硬派の週刊書評紙「図書新聞」に、ようやくまともな拙著の評が出た(2013年2月2日付・写真を2段階でクリックすると読めるうように拡大されます)。
拙著は現在4刷りだが、初刷りから数えて5ヶ月目ということになる。
『江戸の川 東京の川』以降、江戸東京の歴史・地理・地形を横断した旺盛な著作で知られる、鈴木理生さんの執筆である。
「迷著のような名著」という、過分な評価をいただき、恐縮している。
現在の「東京地形ブーム」が、その本質を「テレビ流れ」のトリビアリズムにおいていて、写真や図版をならべ、知ったかぶりをして面白がっている「景観論」の亜流にすぎないという指摘はまったく同感である。
危機意識や、倫理性がまるで欠如しているのである。
そこまでは触れていただけなかったが、拙著の献辞を「フクシマの地霊に」としたのは、「伊達」ではないことを、ふたたび強調しておきたい。
「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」(テオドール・W・アドルノ「文化批判と社会」)に倣えば、「3・11」以後、「東京」を〈味わい〉もしくは〈楽しむ〉などという心性はそもそも「阿呆」か「能天気」以外の何ものでもないのだ。
「廃〈都〉」こそ、21世紀の列島の未来図である。
その権力志向を買われて、石原ナントカに釣りあげられたイノセ某という元物書き男は、「オリンピック」を連呼するピエロにしかなりえないのだ。
私が、『江戸の崖 東京の崖』に秘めた「毒」、つまり究極のメッセージは、実は「廃〈都〉」にある。
そこまで読んでいただけた人がいたとしたら、物書き冥利に尽きる。
ベアテ・ゴードンさんが、12月30日に亡くなった。
いま日本の「政界」で、「憲法」が岐路に立たされているような観があるが、彼女が、65年つづく「戦後の日本」に大きな貢献をしたことは、消えることのない事実である。
そのことに、あらためて感謝し、ご冥福をお祈りする。
多言は無用であろう。
ニュースは下記のサイトを参照されたい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130101-00000003-asahi-soci
また、ベアテさんがいかなる人物であったかは、次のサイトが詳細に語っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%B3
私は、以前の会社で編集長をしていたときに、下の本のタイトルを考案しただけであった。
それでも、ベアテさんとご主人やお子さん夫婦が来日した時も親しくさせていただいたし、日本でたびたび講演なさった時も何度かお邪魔したことがある。
いつ接しても、彼女の人間的な温かさに触れて、穏やかな気持ちになれたものだ。
扇ナントカという宝塚出身のタレント政治家が、参議院議長だったときだったか、ベアテさんに、「あなたのおかげで日本の女性は、美徳を失ったのではないかという意見もあるが・・・」と質問にもならない愚問を発したとき、ベアテさんはにっこり笑って、「でも、別の憲法だったら、あなたもこうしてはいられなかったかもしれませんね」と返事したと(詳細は忘れたが)いうエピソードを直接聞いたおぼえがある。
いま、わたしたちができることがあるとすれば、「ベアテ基金」のようなものを設立することだろう。
それが、「今の世にある」、わたしたちの、精一杯の「自己表示」なのだ。