年末恒例の「NHK紅白歌合戦」というのを、いまやっている。
これが「日本の代表的エンターテイメント」であるなら、恥さらしというものである。
男の子、女の子の、咽喉の上からしか出ていない、出ない声のオンパレード。
聴くに、見るに堪えない。
演歌歌手などを除いては、総じてとても「歌手」などといえたものではない。
比較して、ビデオ出演した「レディー・ガガ」は、さすが「歌手」である。
巨大獅子頭の上で歌った、金箔パゴダのような小林幸子の衣装も、何の意味があるのかまったくわからない。
皮相の「話題性」ないし「視聴率」を意識しただけのプロデュースなのだな。
勘弁してくれ。
というわけで、結構見てしまってからチャンネルを変える。
いや、折角の「2011年の最期」なのだから、テレビを消して瞑目すべきだろう。
昨日は今年最後の日曜日。大概の新聞書評欄は今年の×冊というお定まりのページを掲げているが、新刊にあまり興味のない当方としてはざっと目を通した程度。
管見のかぎりで、今年記憶に残った文章は『東京新聞』10月11日の夕刊に掲載された、金原ひとみのものだった。
芥川賞や直木賞もジャーナリズムの例祭程度にしか思っていないから、ましてその受賞で話題になった若い女性作家の作品も読んだことがない。
しかし、たしか芥川賞受賞作家の、この文章はよかった。
小説がどうなのかは知らない。
文章がよかった、というのは、事態の正鵠を射ていて、しかも共感するところ大であった、という意味である。
この文章だけで、この「作家」は後世に記憶されると思われる。
見出しが「制御されている私たち 原発推進の内なる空気」となっているが、それは多分編集部でつけたもので、あまりよろしくない。
文章自体を読むための邪魔になる。
その文章は、次の字句をもってしめくくられる。
「私たちは原発を制御できないのではない。私たちが原発を含めた何かに、制御されているのだ。人事への恐怖から空気を読み、その空気を共にする仲間たちと作り上げた現実に囚われた人々には、もはや抵抗することはできないのだ。しかしそれができないのだとしたら、私たちは奴隷以外の何者でもない。それは主人すらいない奴隷である」
ここには、「国家公務員」も奴隷だ、との認識がある。
「奴隷の主人は、また奴隷である」とは魯迅の言葉とされる。かつて竹内好は次のように書いた。
ドレイが、ドレイであることを拒否し、同時に解放の幻想を拒否すること、自分がドレイであるという自覚を抱いてドレイであること、それが「人生でいちばん苦痛な」夢からさめたときの状態である。行く道がないが行かねばならぬ、むしろ、行く道がないからこそ行かねばならぬという状態である。かれは自己であることを拒否し、同時に自己以外のものであることを拒否する(「中国の近代と日本の近代」)
しかし、いまや奴隷論は魯迅や中国の近代史に事例を求める必要はない。
日本列島も、このかたずっと奴隷列島だったのだ。
ワタシもオマエも奴隷であった。
その状態が、世界の、万人の目の前に、まざまざと「露出」してきたのが3・11とその後、そして現在である。
ハーバード大学のマイケル・サンデル氏が、被災直後の状態をほめたとしても、それは奴隷の秩序であった。
だから、今年の十大ニュースの第一は、「奴隷列島暴露/奴隷状態ただちに変化なし」である。
レヴィ・ストロースの弟子で高名な文化人類学者の川田順造が、この11月に岩波書店から本を出した。
『江戸=東京の下町から 生きられた記憶への旅』という。
自身が「深川」の出身で、そのフィールドを素材にしたのである。
30年も前の雑誌連載などを単行本にしたのだ。
ただ集めた、という本としてのつくりの問題性、表記の妥当性や誤植、参考文献の記載について云々するつもりはない。
しかしこの著者は、アフリカをフィールドにした『曠野にて』という本で、黄金海岸の奴隷貿易史を論じていたはずだ。
下町といえども、いま「東京」を謳う本があれば、3・11を避けてすますことはできない。
フクシマに触れずして「地域」を語ることは許されない。
3・11をパスし、フクシマを視野に入れないこの「東京下町」本は、おのが「奴隷」としての立ち位置の無自覚さ故に、「今年の×本」の筆頭にあげられるだろう。
(財)日本地図センター発行の月刊誌『地図中心』に、「江戸東京水際遡行」という、文章を毎回何ページか書いていたのだけれど、忙しさについ中断してしまった(2007年1月~2008年7月まで17回連載)。
2012年1月号から再開するにあたり、江戸東京の地形、とくに坂の関係について、原理的な側面を少しさぐってみた。題して「切土坂・盛土坂」という。
当ブログ2011年10月2日の記事を展開させたようなものだが、以下要点だけ述べておきたい。
坂の祖形は崖にあり、坂はそこから人の手によって生成された、というのが、言いたいことの第1点。
第2の点は、坂は「道」の一部ないし全部であって、単なる斜面とは区別されなければならないということ。
さらに、坂は「竪の坂」「横の坂」の区別があり、都市部でもかつて存在した「横の坂」、はほとんどが竪の坂に改修されているということ。
また、その竪の坂の多くは「切土坂」であるが、盛土との「複合坂」もすくなくないこと、など。
以上を、模式図や写真、文書記録をつかって述べている。
詳しくは今月末発行の同誌をご覧いただきたい。