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連 載

(財)日本地図センター発行の月刊誌『地図中心』に、「江戸東京水際遡行」という、文章を毎回何ページか書いていたのだけれど、忙しさについ中断してしまった(2007年1月~2008年7月まで17回連載)。

2012年1月号から再開するにあたり、江戸東京の地形、とくに坂の関係について、原理的な側面を少しさぐってみた。題して「切土坂・盛土坂」という。

当ブログ2011年10月2日の記事を展開させたようなものだが、以下要点だけ述べておきたい。

坂の祖形は崖にあり、坂はそこから人の手によって生成された、というのが、言いたいことの第1点。
第2の点は、坂は「道」の一部ないし全部であって、単なる斜面とは区別されなければならないということ。
さらに、坂は「竪の坂」「横の坂」の区別があり、都市部でもかつて存在した「横の坂」、はほとんどが竪の坂に改修されているということ。
また、その竪の坂の多くは「切土坂」であるが、盛土との「複合坂」もすくなくないこと、など。

以上を、模式図や写真、文書記録をつかって述べている。
詳しくは今月末発行の同誌をご覧いただきたい。

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