Archive for 6月, 2022

collegio

「地図文学傑作選」 その16

このシリーズもそろそろ一区切りとするが、それにあたっては本項その5で予告したスティヴンスンの『宝島』(1883年)について書いておかなければならない。

前回登場した堀辰雄の『美しい村』の「地図」は、作者が婚約に至る少女のために、色鉛筆と万年筆で「丹念に」描いたのであった。
方や不朽の名作『宝島』誕生の契機となった「地図」も「念入りに」「美しく色どられ」ていたとは、作者自身が「私の第一作「宝島」」で書いている通りである(阿部知二訳『宝島』付編、岩波文庫、1963年初版)。
前者は当面の役割を果たした消耗品だったとは指摘した通りだが、もし遺されていれば「文学アルバム」の格好の素材であったろう。
『宝島』の発端となった地図も同様に失われてしまったのだが、それは作者によって逸失放念されたからではなかった。

「物語が本として出版されることに決まったとき、私は原稿について地図もともどもに、カッセル社に送った。校正刷りはきて手を入れたが、地図については何の音沙汰もなかった。手紙を送ってたずね、地図を受取ったおぼえはないと告げられたときには茫然自失してしまった」(同前)のである。

出版のために、地図は描きなおされなければならなかった。
つまり本の誕生には「出まかせに地図をえがき、思い付きで片すみに標尺をしめし、それに寸法を合わせて物語をかきあげ」た最初の段階と、「一巻の書物を調べ、そこにあるすべての地点の表をつくり、その細目に適合するように、コムパスを利用しつつ地図を苦心してつくりあげ」た、もうひとつの段階が存在したのである。
下掲は『宝島』初版本(1883年)の口絵地図だが、「父の事務室において、汐を吹く鯨や帆船の飾りもろとも書き直され」たもので、「諸種の字体」の特技のあった父親は「フリント船長の署名」を書き、そこに「ビリー・ボーンズの航海指示」まで加えた。
そうして出来上がった二つ目の地図は、「何とはなしに私にとっては、それは「宝島」ではないのだった」。

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失われた最初の「宝島」の地図については、前述の「私の第一作「宝島」」(「アイドラー」誌、1894年8月)にはたしかに「私は一つの島の地図をかいた」とあるのだが、スティヴンスン全集(The Works of Robert Louis Stevenson, Tusitala Edition. vol.2, 1923)に収録された義理の息子オズボーン(Lloyd Osbourne)の ‘note’ によれば下記のように元図はオズボーンで、スティヴンスンはそれに手を入れ「宝島」と書き込んで持って行ったのだという。以下少し長いが、その該当部分を掲げる。

‘one rainy morning, busy with a box of paints, I happened to be tinting the map of an island I had drawn. Stevenson came in as I was finishing it, and with his affectionate interest in everything I was doing, leaned over my shoulder, and was soon elaborating the map and naming it. I shall never forgot the thrill of Skelton Island, Spy-Glass Hill, nor the heart-stirring climax of the three red crosses !. And the greater climax still when he wrote down the words ” Treasure Island ” at the top right-hand corner ! And he seemed to know so much about it too-the pirates, the buried treasure, the man who had been marooned on the island. ” Oh, for a story about it,” I exclamed, in a heaven of enchantment, and somehow conscious of his own enthusiasm in the idea. / Then after writing in more names he put the map in his pocket, and I can recall the little feeiing of disappointment I had losing it. After all, it was my map, and had already become very precious owing to its association with pirates, and the fact that it had been found in an old sea chest which had been lost and forgotten for years and years. But my step-father took it away, and the next day at noon I wad called up mysteriously to his bedroom (he always spent his morning writing in bed) , and the first thing I saw was my beloved map lying on the coverlet. Still wondering why I had been summoned so specially, and not a little proud and expectant, I was told to
sit down while my step-father took up some sheets of manuscript, and began to read aloud the first chapter of Treasure Island.

雨の朝だったけれど、私が描いた島の絵の彩色に熱中しそれが終わろうというとき、たまたまスティヴンスンが部屋に入ってきた。いつも私がしていることには心から興味をもってくれるのだが、その時は私の肩に手をのせ、それからすぐにその地図に入念に手を入れはじめた。スリリングな骸骨島、遠眼鏡丘という地名が書き込まれ、そしてどきどきするような3つの赤い×印が入れられたときのことを、私は決して忘れないだろう。そのクライマックスは、地図の右上隅に「宝島」と書きつけられたときだった。彼は海賊たちや埋められた宝、置き去りにされた海賊のことをよく知っているようだったのだ。私は彼が構想に熱中しているのにやっと気が付いて、夢みるような気分で「あっ、その物語ね!」と叫んだ。/さて、それからいくつか地名を書き込まれた後、彼はその地図をポケットに入れたのだった。だから今でも、地図が私の手を離れた時のちょっとした後悔を思い出す。結局のところそれは私の地図だったが、海賊とかかわり、何年もの間置き忘れられていた船乗り用衣装箱に発見されたという事実のため、きわめて価値ある地図となった。けれども私の義理の父がそれを持って行ってしまったのだ。次の日のお昼だったが、妙なことに私は寝室に呼ばれた。彼はいつも午前中は寝床で書きものをしているのだが、部屋に入ると私の大事な地図がベッドカバーの上に載っているのが目に入った。そうして、特別に呼び出された理由をつかめないでいるのに、さらにびっくりすることには、腰を掛けるように言われ、父は原稿を何枚か取り上げて「宝島」の第一章を大きな声で読み上げたのだった(拙訳)。

これに対して、スティヴンスン自身の説明(「私の第一作「宝島」」)は次の通りである。

しかし私は時としていささか羽目をはずして、その画家(というべきだったろう)と画架をならべ、彼とともに彩色の画をかきながら心たのしい競争のうちに、午後の時を過ごした。そうした時のいつか、私は一つの島の地図をかいた。それは念入りに、そして(私の考えたところでは)美しく色どられた。島の形が、いいようもなく私の空想を魅してしまった。そこには私を十四行詩(ソネット)のように楽しくする港があった。そして節理にうごかされているものの持つ無意識性によって、その作品に「宝島」という名称を付したのだった。(「私の第一作「宝島」」の一部。阿部知二訳)

対応する原文は以下。

But I would sometimes unbend a little, join the artist (so to speak) at the sasel, and pass the afternoon with him in a generous emulation, making coloured drawings. On one of these occasions I made the map of an island ; it was elaborately and (I thought) beautifully colourd ; the shape of it took my fancy beyond expression ; it contained harboures that pleased me like sonnet ; and with the unconsciousness of the predestined, I ticketed my performance Treasure Island.

両者比較するに、真相はオズボーンの言に近いと思われる。しかしスティヴンスンの頭の中では、地図はすっかり自分の創作になってしまっていた。その結果それこそ枚挙にいとまのない訳本や解説では、「地図」誕生話はとりどりとなってしまったのである。

それがどのようにとりどりであるかは、かつて「地図のファンタージエン」(Libellus, No4, 1992年)にかいつまんで記した。またその続編「児童文学の地図物語」のサブタイトルを付した「『宝島』再考」(Libellus, No10, 1993年)では、現代日本児童文学に新段階を画すと言われた上野瞭の『日本宝島』を紹介した。併せて参照していただければ幸いである。

さて、本項その5では『宝島』がなぜ「地図文学」であるか後述すると書いたが、物語の発端に地図が存在する構造を、スティヴンスンの述懐に沿って、もう少し探ってみよう。

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「地図文学傑作選」 その15

前回は澁澤龍彦の「ミニアチュール・フェチ」に寄り道したが、「ミニチュア」で思い出されるのは、その7・その8で言及した前田愛が「『美しい村』という作品は、『失われし時を求めて』を、その何十分の一かに縮小したミニチュアであるかのように思われてくる」と書いていることである(「堀辰雄『美しい村』」『幻景の街』1986年。初出は『本の窓』1984年新春号)。

堀辰雄は「プルウストの文体について」という小文の付記に「私はいくたびかプルウストを読み、そのつどこの大いなる作家に対する敬愛を深めて来た。今年の夏も私は一月ばかりプルウストを読んでゐた。このごろの私にとつてはこの比類のない作家が彼独自の新しい方法で絶えず人生の姿を明らかにしてゆく――その見事な過程のみならず、そこに漸次見出されてゆく人生の業苦のやうなものがひしひし胸に迫つて来るのである」と述べて、その傾倒ぶりを示した。しかし『美しい村』が『失われた時を求めて』の「ミニチュア」であるかないかは判断しかねる。

入院でもしないかぎり、20世紀を代表すると言われるプルーストの大長編を通読することはまずないだろう、と言うよりはその機に選ぶのはこの冗長な翻訳書ではなく、まずは中里介山のこれまた大長編『大菩薩峠』のほうだろうからである。
前田は『失われた時を求めて』の最終編「見出された時」に描かれたサン・ルー嬢と、『美しい村』の「夏」の章冒頭に登場する、向日葵に譬えられた黄色い麦藁帽子の少女を対応させた。
しかしその麦藁帽子の少女はその後堀と婚約し、サナトリウムで起居を共にするもほどなくして死別する矢野綾子(「風立ちぬ」の「お前」節子)その人の姿であって、「見出された時」は瞥見したかぎりだがサン・ルー嬢の描写とはとても比重が釣り合わない。そもそもプルーストは同性愛者だったのである。

さて、1933年(昭和8)に執筆された『美しい村』は堀の「軽井沢小説」のひとつで、野薔薇や躑躅の茂み、落葉松の小径やいくつかの「バンガロオ」などの描写とともに、作品の終盤に描かれた少女の面影が読者を魅了するのだが、その少女との「媒介物」として「地図」は次のように出現する。

或る日のこと、私は自分の「美しい村」のノオトとして悪戯半分に色鉛筆でもって丹念に描いた、その村の手製の地図を、彼女の前に拡げながら、その地図の上に万年筆で、まるで瑞西(スイス)あたりの田舎にでもありそうな、小さな橋だの、ヴィラだの、落葉松の林だのを印つけながら、彼女のために、私の知っているだけの、絵になりそうな場所を教えた。その時、私のそんな怪しげな地図の上に熱心に覗き込んでいる彼女の横顔をしげしげと見ながら、私は一つの黒子がその耳のつけ根のあたりに浮んでいるのを認めた。その時までちっともそれに気がつかないでいた私には、何んだかそれはいま知らぬ間に私の万年筆からはねたインクの汚点(しみ)かなんかで、拭いたらすぐとれてしまいそうに思えたほどだった。/翌日、私は彼女が私の貸した地図を手にして、早速私の教えたさまざまな村の道を一とおり見歩いて来たらしいことを知った。それほど私の助言を素直に受入れてくれたことは、私に何んとも言いようのない喜びを与えた。

「悪戯半分に」と「怪しげな」は韜晦の措辞である。その「地図」は実際に、明らかな意図のもとに、細密に描かれたのである。色鉛筆と万年筆を用いたというのだから、作品と言ってもいい。
しかしその「ノオト」が遺されることはなかった。それは、地図が役割を果たし終えたからである。ありていに言えば、一般に地図はまずもって当座の伝達メディア、すなわち「消耗品」としてこの世に出現するのである。

ところで堀の『美しい村』は1930年代もはじめに発表されたものだが、それから10年ほど前の1919年(大正8)、雑誌『改造』の8、9、12月号と都合3回にわたり掲載された相似形のタイトル作品は佐藤春夫の『美しき町』である。
方や「村」、こちらは「町」でしかも「美しき」と文語調である。サブタイトルに「画家E氏が私に語った話」とあるように、この作品は作中話の形式をとっているのだが、E氏の語りでは一貫して「美しい町」である。文語調のタイトルは、作品が「入れ子」であることを明示するもののようである。
1919年は「都市計画法」と「市街地建築物法」がはじめて制定された年で、佐藤の作品はそれをある意味で戯画化したものであった。すなわち「美しい町」は東京市中の一区画の建設計画で、プランニングに従事した画家E氏と老建築家、そしてそのプランナーであるE氏の旧友にしてアメリカ人の父親から莫大な遺産を継いだとする詐欺師の話なのである。
つまりそれは当初から「画餅」ならざる「絵に描いた町」にすぎなかったのだが、その旧友のプランは都市の理想と美に満ちていたがゆえに「美しい町」であった。3年がかりでできあがったのは「その家のなかにはそれぞれ一つ一つのかすかな光があって、それがそれらの最も微細な窓から洩れ出して、我々の目の下には世にも小さな夜の町が現出していた。その窓という窓からこぼれ出す灯影は擦りガラスの鏡の静かな水の面へおぼろにうつった」卓上のミニチュアの町であった。
地図文学の枠外ではあるけれども、ひとつのエピソードないし『建築文学傑作選』が外した重要作品としてとどめおく。

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「地図文学傑作選」 その14

前回の末尾で、地図認知の基本システムと言うべき「視座の転位と「Cosmic View」的な漸移のスケール移動」について触れたが、視座の転位については「その3」の「地図的観念と絵画的観念」(正岡子規)で一通り述べた。

一方の「スケール移動」だが、まず説明しておかなかればならないのは「Cosmic View」だろう。その発端は1957年にドイツで刊行されたキース・ブーケによる同名のグラフィック書籍で、サブタイトルに「the Universe in 40 Jumps」とあるように、猫を抱いた一人のオランダの少女を起点として外界が宇宙大から原子のスケールまで拡大縮小する、画期的な教育絵本であった。これに触発された映像も少なくなく、今日では Cosmic Eye-Universe Size Comperisionといったタイトルのyoutube画像を目にすることが可能である。

こうしたサイズ変容ないしスケール移動に触れた書き物として、澁澤龍彦の「胡桃の中の世界」(1974年、『澁澤龍彦全集 13』pp.203-217)を挙げることができる。そのタイトルは、本文中でも触れられているようにシェイクスピア作品『ハムレット』の第二幕第二場におけるハムレットの科白から採られている。
すなわち旧学友ローゼンクランツの「なるほど、望みある身には、この国はいかにも狭すぎましょう」に対する返答、「なにを言う! このハムレット、たとえ胡桃の殻のなかに閉じこめられていようとも、無限の天地を領する王者のつもりになれる男だ。悪い夢を見なければな」(福田恒存訳)の一部なのである。

しかしその科白原文は「O God, I could be bounded in a nutshell and count myself a king of infinite space, were it not that I have bad dream」である。つまり、それは ‘nutshell’ (堅果の殻)であって、「胡桃」(walnut)とは言っていない。
しかし近隣の図書館でいくつかの訳本をあたった限りだが、この「胡桃」は福田訳にかぎらず次の坪内逍遥訳以来踏襲された語とみられる。「おゝ\/! 胡桃の殻に押籠められてゐようと、無辺際の主(あるじ)とも思はうものを、悪い夢をさへ見なんだら」。

英語でnutを含むおもな語には、walnut(クルミ), chestnut(クリ), hezelnut(ヘーゼルナッツ), peanut(落花生)があり、要は殻のある食用果実のことで堅果と訳されるが、日本語の堅果にはacorn(ドングリ)を含むから、概念的にはズレが生じる。
ヘーゼルナッツや落花生は近年の外来種だから除外するとして、クリ、ドングリ、クルミ(オニグルミ)は日本列島には縄文時代から存在し、またそれらは当時の人々の主要食糧の一種で、栽培されてもいたのである。もちろん殻を除去して食用にしたのだが、ドングリの場合はタンニンを抜く水晒し行程が不可欠であった。
いずれも語音に ‘kur’ を含み、殻に包(くる)まれた木の実の意であって、語源が「包(くる)む」にあることは、各地の方言をチェックしても明瞭である。

つまり ‘nutshell’ を「クリの殻」などというよりは「クル(包)ミの殻」としたのは極めて的確で、それが意識されたか否かは別として、また坪内以前の訳は当面未詳として、語が踏襲されてきたのにはそれなりの理が存在した。そこからさらに「殻」が省略されて「クル(包)ミの中」となっても何ら不都合はない。さらに言えば「包み:殻」とその内部の構造は、図らずもフッサール現象学の超越と内在の関係を示唆して意味深い。それは外界認知の構造そのものだからである。

さて澁澤の「胡桃の中の世界」は、ミシェル・レリスの「無限」(『成熟の年齢』所収)と題された幼時体験、すなわちココアの箱に描かれた少女が同じ少女の絵があるココアの箱をを指さしている画像が惹起する「一種の眩暈」の感覚と、「メリー・ミルク」の罐の絵やキンダー・ブックの表紙絵から受けた澁澤の幼時体験がほとんど同一であることへの想起からスタートする。
合わせ鏡双方の奥につづく像のように、入れ子の絵は無限を開示する。それを初めて目のあたりにした子どもは眩暈と恐怖に襲われる。しかし澁澤の筆先は無限の恐怖に向うことなく、「大きなものと小さなものとの弁証法を楽しむ想像力」の諸説諸例を経巡る。ただしその展開はピエール・マクシム・シュールの書き物(谷川渥訳『想像力と驚異』1983年)を骨子また素材とし、当書のタイトルもシュールの本の第5章「ガリヴァーのテーマとラプラスの公準」のエピグラム(ハムレットの科白)に由来するのである。

その章のはじめでシュールが述べている「ガリヴァー(あるいはミクロメガス)コンプレックス」は、地図的認知の構造を言い当てた趣きがある。澁澤もその語を用いつつ『後漢書』(「方術伝」)中の「壺中天」の譬え話から「ミニアチュールの戯れ」に触れ、またオーソン・ウェルズの『市民ケーン』のラストシーンを想起する。すなわちかつての新聞王の孤独な最期の手に握られていたのは、揺らすとミニチュアの家に雪が降るガラス球(「スノードーム」)で、それは「薔薇の蕾」という名の橇とともに少年時代の「世界」、つまり場所と時間の「クルミ」にほかならなかったというエピソードである。
澁澤はまた、G・バシュラールの『空間の詩学』(岩村行雄訳、1969年)の第7章「ミニアチュール」のⅠの一節を引用した後で、「私たちはそれぞれ、想像力の働きによって、いとも容易に論理を超越し、ミニアチュールの世界に跳びこむ」とも言う。それを地図の属性に引き付けてみれば、プランニングの想像力ということになる。同7章Ⅸでバシュラールは「遠距離もまた地平線のすべての地点にミニアチュールをうみだす」とし、さらに「われわれは遠方から所有する」の言葉も提示する。水平、垂直を問わなければ、これも地図の構造と言うほかない。

ミニアチュールとは「苔の茎が樅になる」(バシュラール、7‐Ⅴ)を典型とするスケール変容で、澁澤がこの著で展開したのはもっぱらこの「小ささ」のイメージなのだが、筆者の場合はその反対に高熱を発して寝ている折など、体が宙に浮いて宇宙大となる幻覚にとらわれることがある。カフカの『変身』ではないが、つげ義春作品の主人公も「死なんて真夜中に背中のほうからだんだんと……/巨人になっていく恐怖と比べたら/どうってことないんだから」(『ねじ式』1968年)と呟いた。これも想像上のスケール変容の例であることを補足しておく。

澁澤の「胡桃の中の世界」は、地図の原理を参照できるこうした著作(『ねじ式』を除く)への格好の案内文と位置付けられるだろう。

なお、いささか牽強付会の面があるが「入れ子構造」の地図の例として、本項その7で触れた「近代測量地図の最高傑作」参謀本部陸軍部の「五千分一東京図」(1883年3月測量「東京府武蔵国麹町区大手町及神田区錦町近傍)から、当時神田錦町に所在した華族学校(学習院)校庭の地図画像と、その開校を報じた『郵便報知新聞』1877年(明治10)10月17日の記事の一部を以下に掲げる。この校庭地図が「日本地図並びに琉球地図」と言われたのは、明治政府による琉球併合(「琉球処分」)が1879年(明治12)だったためである。

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「十七日、神田錦町華族学校親臨開業式の次第を拝見するに、表門及び南北の二門何れも西洋飾り美々敷日章を掲げたり。広苑及び各室の周囲には数百の紅灯を結び列ね、正面には紅白の幕を張り、馬立場には第一方面二分署の消防夫出張し、巡査は三門へ詰め柵内外を警護す。表門右方仮屋の中には海軍の楽隊伺候せり。庭面は日本地図並びに琉球地図を象(かたど)れり。廻廊には数種の盆栽を陳ね設け、玉座には百花を金瓶に雑挿せり(略)」