Archive for 10月, 2014

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詩 集

小社はじめての詩集を、過般同時2冊刊行しました。
以下その概要と「あとがきのかわり」を紹介掲載します。

仙台に棲息せる稀有の「タダイスト」詩人
はじめての詩集同時2冊刊行!!
―40年にわたる詩作の結晶 ここに公刊―

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「佐山則夫の詩1 イワン・イラザール・イイソレヴィッチ・ガガーリン」ISBN978-4-902695-22-9  C1092 B5変型判 76ページ 本体925円
「佐山則夫の詩2 ウマーノフはぼくじゃない」ISBN978-4-902695-23-6  C1092 B5変型判 80ページ 本体925円

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あとがきのかわり
はじめての作品活字化同時二点刊行ながら、作者が用意したあとがきはひとつ。いたしかたなきこと、後輩にして編集子であるやつがれが、二作目あとがきは勝手に作文いたしまする。僭越ながら、半世紀に垂んとするお付合い。作者はまことに詩人であって、ほかに言いようがありませぬ。お互い地上に生を得て幾星霜、よくぞここまで生き延びてきたものと来し方を顧みする。元神童やらかつて秀才やらどこぞのお坊ちゃまやらが蝟集した、新設県立高校は宮城県仙台第三高等学校。「一」「二」は進学校としてつとに名を馳せるが、「三」はまだ海のものとも山のものともつかない。いずれも当時は男子校であって、そのなかでもとりわけマージナルな文芸部に属す。作者は早生まれの二回生、当方三回生。文芸部担当教員の一人に、幾許もなく東北工業大学に転じた菅野洋一先生がおられた。月一、二回だったか宿直室をつかって当時刊行開始された日本古典文学大系本とアーサー・ウェイリーの英訳本を並べ、面皰面黒制服に身を包んだ男子どもに源氏物語の講筵をのべられたのは先生であった。不肖弟子共、病を得てお亡くなりと仄聞したものの、その御嬢さんが復興ソング「花は咲く」の作曲者菅野よう子さんとはつい最近まで知らなかった。有名人ついでに言えば、二回生には元日本赤軍の和光晴生、三回生にドクトル梅津ことサックス奏者梅津和時の両氏がいる。同窓ではないけれど、作者名は永山則夫氏と頭一字違い。皆旺盛な「仕事師」でもあり、仙台在住有名人の極北ダダカンこと糸井貫二氏に親炙せる作者の続投が注目されまする。(2114年某月某日、売りものにもするのっ社(之潮))

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補 訂

「ご先祖様話」で訂正の必要があり、以下覚書としてしたためておく。
「須藤の家紋は丸に剣酢漿草」と書いたが、よく考えるとそれもあやふやな記憶で、むしろ芳賀の紋であり、肖像画の二ツ算木が須藤の紋なのかもしれない。

また、従姉に確かめたところ、さすがに戸籍をチェックしていて、祖父敬治が婿入りした芳賀の跡取り娘の名は「かつ」ではなくて「かちよ」。
1901年(明治44)に亡くなっている。芳賀の先代、かちよの母の名は「れん」という。厳しい人として語りつがれているらしい。
かちよの娘、つまり私の伯母の政代は仙台の高等女学校を出て、東京の中島飛行機に勤め、そこで山口県出身の福島繁雄と知り合い結婚、杉並の馬橋で所帯をもった。
その後、戦争がはげしくなったためか、一家は仙台に落ち着く。
福島繁雄さんが亡くなったのは1956年(昭和31)で、42歳だったという。