Archive for 1月, 2022

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『地図の事典』書評 その4

カルロ・ギンズブルグは、このたび邦訳が出た著書(『恥のきずな』)の序言で次のように書いている。

「わたしたちは現在に侵略されている。インターネットは空間的な距離だけでなく、時間的な距離をも撤廃しつつつあるという印象を与える。コンピューターのスクリーンは、イメージやテクストのもつ物質性をはじめとして、過去の厚みを空無化してしまう。こうして、歴史的記憶はますます脆弱なものになりつつある。」

ネット社会では、歴史的記憶が薄ぺらになる。
それはモノや身体性として担保されることなく、言葉(文字/音声)や画像(イメージ)の跳梁と変容、その消費と消去に終始するからである。

拙書評の冒頭近くで「紙媒体からデジタル画面への離陸において、地図はその先頭グループに属していた」と書いたが、この事典の企画編集にもその影響は多大であった、と言うよりもデジタルやネットへの「離陸」という潮流のなかで新たな「地図ジテン」が思い付かれ、話が具体化したと考えるべきであろう。
その流れの上で本書の出版は勇躍、加速した、と言いたいところであるが、上梓に「10年」を要した。
それが何故であったか知らない。
その間隙を縫って『地理情報科学事典』(2004年)が登場した。地理情報システム学会編だが、地理情報システムとは、デジタルとネット技術にもとづく地図メディアにほかならない。本書にくらべればずっと小型、モノクロ印刷の地味な本で、タイトルに「地図」をこそ謳ってはいないが、メディアとしての地図の「離陸」を直接反映したジテンである。
それに遅れること7年、本書がカラフルな衣をまとってようやくステージにあがった時、地図の時制への意識はどこかに置き忘れたらしい。
それは、「メディアの離陸」に幻惑された挙句の「現在に侵略され」た結果、と推察してもあながち的外れではないだろう。
本書にももちろん「地図の歴史」の節はあるが、それと地図の時制とは別の事柄である。

次の「問題点」に移る前に、「地図の時制」と「古地図と歴史地図の区別」について表としたので以下を参照されたい。

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江戸時代ではないがこの表の「過去」の例のひとつに、「三億円事件の地図」を挙げておこう。

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当事件は1968年12月10日発生したから、半世紀以上前のできごとではある。午前中におきたその大事件は当日の夕刊第一面トップ、現場写真と地図付きで掲載(上掲・朝日新聞)された。この場合の新聞の地図は当時の「現在地図」であるが、今となっては「古地図」である。
それと対照的に、2018年12月7日の読売新聞オンラインに掲載された「三億円事件半世紀」の記事の地図(下掲)は「歴史地図」である。

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当日の夕刊地図を「古地図」として不自然でないのは、事件から何年か後に幅30メートルの東八道路が開通し、現場付近の景観が大きく変わってしまったからである。東八道路は、下の地図(「歴史地図」)の「学園通り」の北側、「”白バイ”待機場所」の文字を左上から右下に横断するように、平行して通る。また当時の航空写真や写真、そして地図(古地図)等の、畑や原っぱ、疎林が散在し、それらが住宅等の面積より余程広いという、今日とくらべて閑寂な郊外地の様相がそれを補強するだろう。

(つづく)

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『地図の事典』書評 その3

仕事の合間、時間をひねり出して「その3」を書きつける。
『図書新聞』No.3528では、具体的に指摘する「余白」のなかった「ひとつだけ問題点」とは、以下のようなケースである。

第1章「A地図を知る」の4節「A4地図の種類」の19項(A4-19)は「利用者グループ指向地図 user oriented map」という。本書の読者はこの「利用者グループ指向地図」という項目見出し自体に、まず疑問を抱くであろう。
その概念説明もなく、いきなり「子供用地図」「女性用地図」「ユニバーサル地図」「デフォルメ地図」「風水図」「観光地図」「歴史地図」と小見出しが並び、それぞれに説明記事を付すのである。
「子供用」や「女性用」などというからには、「一定の利用者の特性に配慮して作成される地図」ということなのだろうが、そうであればその典型は盲人用の地図だろう。
しかしそれは162ページ先、第2章「B地図を作る」の4節「地図の製作・複製」の12項目「触地図 Tactual maps」に飛んでしまうのである。

ところでそもそも地図にあっては、一般図 general map 以外は何らかの主題図である。つまり主題図はどれをとっても「特定の利用者グループ」向けに配慮して作成されると言える。だからこのような項目見出しは無意味で、分類に困った編集側がひねり出した区分用語としか考えられず、読者に対して適切とは言い難い。

以上は前置きで、本論は以下のとおりである。
「歴史地図」が問題である。
特定の「利用者グループを指向」して作られている「歴史地図」とは何だろう。
それは「歴史理解」ないし「歴史好き」のために、「その利用を念頭に」「作成された」地図と言っていいだろう。
その典型は、学習教材の「日本史地図帳」ないし「世界史地図帳」である。
だから「歴史地図」が「利用者グループ指向地図」であると言えば、そのかぎりで間違いではない。
つまりその項に従属する「歴史地図」という小見出しまでは、配列上の誤りはない。
問題は、その解説記述である。

「歴史的事件や文化財,歴史地名が印字された歴史地図は主題図の一種であり,その時代の景観も考慮された地図になっている」。
この文章も、ここまではとくに問題ない。
しかし続けて「行基図」「国絵図」「東海道分間絵図」「伊能忠敬の作成した日本地図」を持ち出し「歴史地図とは,現代から見ればいかにもその時代を彷彿とさせる古さを感じさせるものであるが,発行当時にさかのぼれば最新の情報が盛り込まれた地図であった。したがって,歴史地図はその時代の人々の地域像や世界像が表現された媒体であったに違いない」と書き、「東海道分間絵図」の一部まで挿図として掲げるに至っては、混乱から誤謬の域に足を踏み入れてしまっているのである。

「行基図」はいざ知らず、「国絵図」「東海道分間絵図」「伊能忠敬の作成した日本地図」は、「歴史理解のために」「作成」された地図ではない。
それは、同時代の一般図にほかならない。
同時代の一般図は、後世「古地図」ないし「地図史料」となり得るけれども、それは「歴史地図」ではない。

さすがに『地図学用語辞典』は「辞典」だけあってその点をはっきり区別し、「歴史地図 historical map」の項に「古地図はそれが作成された当時の状況を示すのに対し、歴史地図は、その編集者・作成者の歴史に対する解釈が反映する」と書いている。
これは1985年の初版であるが、1998年の増補改訂版においても変更はない。
また『図説 地図事典』(1984年)においても、「歴史地図」の項に「その時代にかかれた地図は古地図と現在呼んでいて、決して歴史地図という呼び方の中に入っていない」と明快である(これらに関連して、古地図類および旧版地図とデジタル社会について述べた拙著『地図・場所・記憶』〈2010年〉はいささかの参考となるはずである)。

本書の企画編集段階では、「歴史地図」は当時ではなく後世になって当時を読むためにつくられた地図であることを踏まえて、「利用者グループ指向地図」として例示し執筆依頼したのだろう。そうであるにもかかわらず、執筆者は「歴史」=「古い」という安直構図に引きずられて「古地図」(地図史料)を持ち出してしまい、自分のみならず読者を混乱させ、誤解させることになったのである。
もちろんhistorical mapで検索すれば、いわゆる「古地図」もヒットすることは確かである。しかし日本語では「歴史地図」と「歴史的地図」とは異なる。その意味差に敏感でないとしたら、日本語のジテン解説としては失格である。
権威あるべき「事典」なのだから、曖昧ないし混乱した使われ方も含めて、「歴史地図」と「古地図」との弁別を解説すべきである。

「書評」には「適切ではない」と婉曲に書いたが、これは不十分な執筆準備と認識がもたらした「誤記」と言われても弁明できない。
「事典」を名乗る限り、まして「学会監修」を謳うのであれば、単なる説明不足やミステイクと言って済まされることがらではない。
この事例は、「監修」とはいっても、実際は項目選定と執筆割り当てに終始しただけなのではないか、という疑念をも生じさせるのである。

そもそも「歴史地図」は、地図の本質にかかわるきわめて重要な用語である。
本書の編集にあたっては、先行の地図ジテン類の項目をすべて検討したのだろうから(そうしなかったとしたら論外である)、本書は意識的に「歴史地図」を項目立てから外し、「その他大勢」に放り込んで済まそうした、あるいは済ませられる程度の用語としか認識していなかった、ということになる。
だから誤謬は単に執筆の問題ではなく、企画編集段階において派生していたのである。

「歴史地図」は、地図作製の「時代性」というよりも、その「時制」をダイレクトに露呈する。
その究極の例は、プレートテクトニクスによる「大陸移動図」であろう。
億年を単位とする地球物理のステージで見れば、現「世界地図」も過去と未来の大陸図に挟まれた一幕図である。
つまり、地図が「表現」であるかぎり、意識するしないにかかわらずそこに「時制」はついて回るのである。
通常の「歴史地図」とは時間のベクトルが逆向きだが、地図の「時制」にかかわる身近な例として「天気(予報)図」や「ハザードマップ(浸水予測図ほか)」「都市計画(基本)図」などが挙げられる。しかし本書において地図の時制が意識された様子はなく、これらの語での立項もない。諸地図は基本的に現在の断面ないし側面と弁えられるらしい。

以下の画像は、往年の学者には「プツゲル」の名で知られた歴史地図帳の日本語版である。
昨今は英語式にプツガーと言うが、それすら知らない地理・地図関係者が多いらしい。
F・W・プツゲル(1849-1913)がFW Putzgers HistorischerSchul-Atlasをはじめてリリースしたのは1877年であった。
この「歴史地図帳」はドイツの教科書として今なお使用されていて、以下はその日本語訳である。

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英語圏の「歴史地図」としてポピュラーなのは、1979年に日本語版が出た『朝日=タイムズ世界歴史地図』である。

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(つづく)

「事典」というのは、この1月20日に掲げた書評にも書いたように、エンサイクロペディアの商品名であった。
出版の劣化に伴い、図書館購入をアテにした中身の薄い羊頭狗肉の「事典」が目白押しであるが、そうしてこの本もエンサイクロペディアというよりは一口知識のオンパレードではあるけれども、進化論を下敷きとしたフィロソフィとその中身は侮れないものがある。挿絵も地味な色使い、とぼけを加味した図の味わいはなかなかよろしい。

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続、続々、さらに、ますます、と本シリーズは5冊。
出版界の「柳の下にドジョウ6匹」定説通り、いや、これを真似た「ざんねんなクルマ事典」や「ざんねんな兵器図鑑」まで登場した。
そうして、今年はこのシリーズがアニメやテレビ番組となるらしい。

BookOffで200円で買った手持ちの古書はその第1冊目だが、発行年を確かめるために奥付を見て驚いた。
それがどこにも記されていないのである。
高橋書店という、書籍よりはスケジュール手帳で知られた版元の出版のせいでもあるのか、カバージャケットの内側に「2016年8月25日発行」とあるのをようやく見つけた。
念のためネット検索すると、初版1刷は「2016年5月21日」らしい。
だから手持ちは重版本なのだが、書誌情報に無頓着というより意図的にそれを曖昧にするやりかたは、紙の本の自殺行為であるとはかつて指摘したことである。その点では、本シリーズも「ざんねんないまどきの本」の誹りを免れない。

ただここで言いたいのは、実は「ざんねんないきもの」の頂点に立ち、進化過程としても前例のない短命を運命づけられているのは、現生人類(ホモサピエンス)に他ならないということである。
その理由は言うまでもなく、火と水を「手に入れ」て地表に殖え過ぎた挙句、「核」(爆発物・燃料)まで「手にして」しまったこと、さらに言えばなお「理性」を頼りにして憚らないことにある。
その「進化」の果ては、「温暖化」論議などとはステージの異なるプロセスなのである。

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『地図の事典』書評 その2

以下の画像は『東京経済大学報』(2017年10月号)の「教員リレーコラム」に寄せた拙文であるが、この「書評」を「予定」したものであるため再掲する。

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この中ほどに記したように、本書の原稿執筆締切は2015年9月で、刊行予定は2016年(の春?)であった。
本書の画像をメインに「企画から刊行まで10年」と書きつけた今年の年賀状を見たが、それは居直りと言うものであろう。

発行が遅れに遅れたのは何ゆえであったのか、締切通りに原稿を提出した執筆者に対して、いや執筆者全員に対して、途中経過報告も弁明も一切なかったのである。

すっかり忘れ去った頃に、出し抜けに校正ゲラが届き、挙句の果てに本ができたから執筆者割引で買え、という版元の通知である。
通常は執筆者印税について然るべき説明があって、それとの相殺で買えるなら買う、というのが作法であろう。
拙評に書いた通り、「監修」ないし「編集」に十分な時間がかけられた形跡も見当たらないのだから、不信感はさらに募る。

結論から言ってしまえば、この本はカラフルな見た目とはうらはらに、執筆者についても購読者ないし読者に対しても、甘えていると言うより「高を括っている」ところがあるのである。
(つづく)

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『地図の事典』書評

以下は『図書新聞』2022年1月29日号の6面に掲載された書評である。
この本について言うべきことは山ほどあるが、当面1件例示のみとした。

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年賀

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上掲写真は東京都港区の「南青山陸橋」出入口。反対側は地下の出入口で「乃木坂トンネル」という。片方が段丘開析谷に架け渡した陸橋で、台地の分水界をトンネルで潜り、赤坂通り谷の谷頭「乃木坂」(幽霊坂)に通じる。2021年12月4日撮影。

新年のご挨拶を申し上げます。
皆様には穏やかな新年をお迎えのことと拝します。
感染症蔓延の出口はまだ見えませんが、私的には半世紀以上親しんだalcoholをherbal teaに切替えてもうすぐ1年、お蔭で心身ともに大分楽になりました。
一方、昨年の之潮新刊は『せたがや中世拾い歩き』の1点のみながら、「武蔵野地図学序説」(『武蔵野樹林』角川文化振興財団)は順調に執筆連載中、それをもとに新たな著書を上梓する予定でおります。
中断していた早稲田大学エクステンションセンターの講座と、月1回の「自主講座」巡検も規模を縮小しながら再開しました。上掲写真はその再開第1回目のスタート地点下見時のスナップです。
皆様のご自愛とご清祥そして変わらぬご厚誼を念じ上げます。

2022年1月