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『地図の事典』書評 その4

カルロ・ギンズブルグは、このたび邦訳が出た著書(『恥のきずな』)の序言で次のように書いている。

「わたしたちは現在に侵略されている。インターネットは空間的な距離だけでなく、時間的な距離をも撤廃しつつつあるという印象を与える。コンピューターのスクリーンは、イメージやテクストのもつ物質性をはじめとして、過去の厚みを空無化してしまう。こうして、歴史的記憶はますます脆弱なものになりつつある。」

ネット社会では、歴史的記憶が薄ぺらになる。
それはモノや身体性として担保されることなく、言葉(文字/音声)や画像(イメージ)の跳梁と変容、その消費と消去に終始するからである。

拙書評の冒頭近くで「紙媒体からデジタル画面への離陸において、地図はその先頭グループに属していた」と書いたが、この事典の企画編集にもその影響は多大であった、と言うよりもデジタルやネットへの「離陸」という潮流のなかで新たな「地図ジテン」が思い付かれ、話が具体化したと考えるべきであろう。
その流れの上で本書の出版は勇躍、加速した、と言いたいところであるが、上梓に「10年」を要した。
それが何故であったか知らない。
その間隙を縫って『地理情報科学事典』(2004年)が登場した。地理情報システム学会編だが、地理情報システムとは、デジタルとネット技術にもとづく地図メディアにほかならない。本書にくらべればずっと小型、モノクロ印刷の地味な本で、タイトルに「地図」をこそ謳ってはいないが、メディアとしての地図の「離陸」を直接反映したジテンである。
それに遅れること7年、本書がカラフルな衣をまとってようやくステージにあがった時、地図の時制への意識はどこかに置き忘れたらしい。
それは、「メディアの離陸」に幻惑された挙句の「現在に侵略され」た結果、と推察してもあながち的外れではないだろう。
本書にももちろん「地図の歴史」の節はあるが、それと地図の時制とは別の事柄である。

次の「問題点」に移る前に、「地図の時制」と「古地図と歴史地図の区別」について表としたので以下を参照されたい。

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江戸時代ではないがこの表の「過去」の例のひとつに、「三億円事件の地図」を挙げておこう。

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当事件は1968年12月10日発生したから、半世紀以上前のできごとではある。午前中におきたその大事件は当日の夕刊第一面トップ、現場写真と地図付きで掲載(上掲・朝日新聞)された。この場合の新聞の地図は当時の「現在地図」であるが、今となっては「古地図」である。
それと対照的に、2018年12月7日の読売新聞オンラインに掲載された「三億円事件半世紀」の記事の地図(下掲)は「歴史地図」である。

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当日の夕刊地図を「古地図」として不自然でないのは、事件から何年か後に幅30メートルの東八道路が開通し、現場付近の景観が大きく変わってしまったからである。東八道路は、下の地図(「歴史地図」)の「学園通り」の北側、「”白バイ”待機場所」の文字を左上から右下に横断するように、平行して通る。また当時の航空写真や写真、そして地図(古地図)等の、畑や原っぱ、疎林が散在し、それらが住宅等の面積より余程広いという、今日とくらべて閑寂な郊外地の様相がそれを補強するだろう。

(つづく)

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