Archive for 8月, 2020

書家の石川九楊の本『日本語とはどういう言語か』(2006年)のp.209の見出しは「漢字によって阻まれた動詞の成長」となっていて、「なく」という日本語の動詞の例が挙げられている。
古代日本における漢字の移入にともない、たとえば動詞「なく」は、泣、鳴、啼、哭といった文字に依存することによって、それ自身の発達が阻害されたと言う。
英語では猫が鳴くのをmewという動詞を使って表現するが、日本語では「にゃあとなく」と副詞を添えざるを得ず、「みゃあなく」「わんなく」などといった独自の動詞が誕生することはなかったと言うのである。

以上、三好の言う「少數の動詞」に関連して、日本語の形成および生成変容に象形文字(漢字)が果たした役割の大きさとその結果生じた和語動詞の少なさの指摘を紹介した。
けれども既述のように、詩歌の構成上そのことが「工夫の餘地なく」「宿命的」に押韻を妨げることには、ならないのである。

しかし、この本のタイトルはかの三浦つとむの名著とうり二つで、現在では両者とも講談社学術文庫に収まっているのは苦笑を禁じ得ない。
石川の本には、同書名の先達の達成について片言の言及もないのである。
レベルが違うと言えばそれまでだが、たとえば武田鉄矢がラジオのレギュラー番組で石川のこの本をとりあげて長々紹介しているのは、今日的現象にほかならないと言えるだろう。

「日本語の動詞」に関連して、今日的現象をさらに端的に示す次の例を一読されたい。

YAHOO!JAPAN知恵袋(2012/11/17)
〔質問〕
日本語(大和言葉)ってひょっとして動詞の数が少なくないですか?
例えば、日本語の「かく」は漢字を当てると、「書く」「描く」「掻く」ですが、 日本語本来の概念としてはすべて「かく」ですよね。
英語では「Write」「Draw」「Scratch」、全部別です。
他にもいくらでも例があると思いますが割愛します。
日本語って動作の概念がかなり未分化のままなんじゃないでしょうか?

ベストアンサーに選ばれた回答(2012/11/17)
その発想は西洋的です。
概念にごく自然な形で言葉に分化しています。概念として似ている物を、似たままそのままのイメージで言葉に仕立てた日本人の知恵です。
(略)
日本語では、子供は「かく」という平仮名の言葉を教えられ、やがて漢字を覚える頃、漢字に合わせ無理なく概念を高度化・複雑化させられます。個人の言葉の習熟度に関わらず、子供から大人までなんとなく言葉が通じるのも、日本語の優れた体系化のお陰でしょう。極めて優れた特徴として、人間が使う言葉の理想形だと私は思っています。

もちろん「ベストアンサー」に選ばれたこの回答は、石川の言うように日本語形成史からしても明白な誤りである。
それ以上に問題なのは、質問者は適切な具体例を示して推論しているのに対して、回答者は頭ごなしに質問者を否定し、調査も論証ももちろん具体例も抜きで、ただただ日本語優秀論を断言、お説教を垂れていることである。
上から目線の夜郎自大というか、ひとりよがりのお説教というべきか、内閣官房機密費に与った、電通あたりの「すごいニッポン」世論工作の末端の現れなのかも知れないが、いずれにせよこのようなトンデモ回答をベストアンサーとするならば、日本列島の住民は総体として再び衰亡の途をたどるしかないのである。

大岡信は「押韻定型詩をめぐって」(『現代詩手帖』1972年4月号)において、現代詩上葬り去られた感のある「マチネ・ポエティク」の試みを、委細をつくし再評価した。
なかでも注目すべき指摘を以下に掲げる。

「三好達治が押韻不可説の根拠とした、日本語では少数の動詞が文の末尾にこなければならない宿命をもつという考え方について、『口語プロソディ試論』という貴重な労作(私家版タイプ印刷、都下南多摩郡多摩町桜ヶ丘二-二〇-六、梅本方、昭和四十一年刊)をまとめて口語定型詩の可能性を立証しようとした神奈年遅は、「安易な固定観念」だとし、文法的特質からの制約は、「かなり根拠が薄弱なのである」という。
 『なぜならば、「そうしなければならない」という強い文法的要求は、日本語の場合、無く、文章の末尾にいわゆる体言止めとして名詞を持ってこようと、動詞の中止法を使おうと、副文章を置こうと、一向に差支えない(後略)』」

神奈年遅の『口語プロソディ試論』という本は、残念なことに国立国会図書館にも所蔵がなく、原文を確認できないため肝心のところは部分的で孫引きしかできないが、体言止めや中止法以外にも、倒置法なども詩歌には多用される。三好が日本語の「措辞法」が押韻の「最大の難関」であり、過去現在未来にわたって致命的であるとする主張はもともと誇大で「根拠が薄弱」であることは確かである。
そもそも語順がSOV構造の言語は、琉球語、アイヌ語や韓国・朝鮮語、モンゴル語のみならず、ウズベク語やチベット語、ビルマ語、ペルシャ語やイラン語、チベット語、さらにアムハラ語からアルメニア語、古代シュメール語まで存在し、世界的にはSVO構造より多いという説もあるほどで、ひとり日本語が孤立して特殊なのではない。調べればそれぞれの言語のそれぞれの時代において、詩歌の押韻は工夫され、産み出されているはずである。なんといっても詩歌(うた)の骨格は「韻律」(プロソディ)に存するからである。

三好のもうひとつの「根拠」とする「日本語の聲韻的性質」つまり「常に均等の一子音一母音の組合せ」が押韻を「甚だしく貧弱」にするという主張もまた同様で、基本母音が日本語同様aeiouの5つしかないラテン語とそれを祖語とするイタリア語やスペイン語なども音としては近しいものがあるし、日本語同様、ポリネシア諸語がいわゆる開音節を特徴としていることは、ハワイ語などの例でよく知られている。「我らの單語が、押韻的資質に缺けてゐるといふ、一大事實」(三好)などと息巻く必要はさらさらないのである。

ただここで触れておかなければならないのは、日本語は措辞法上末尾に位置するのが名詞に比べて種の少ない動詞で、しかもそのうち一部のものが頻出する、という三好の指摘についてである。

そのヴェルレーヌの、「詩法」(Art poétique)と名づけられた9詩節の短詩は、「何よりも先に、音楽を」という詩句で始まる。

De la musique avant toute chose,
Et pour cela préfère l’Impair
Plus vague et plus soluble dans l’air,
Sans rien en lui qui pèse ou qui pose.

何よりも先に、音楽を。
そのために、奇数を好むこと。
おぼろげで、大気に溶け込みやすく、
奇数の中には、重さも、固定した感じもない。
(https://bohemegalante.com/2019/06/16/verlaine-art-poetique/から引用)

上掲は冒頭から4詩節のみだが、原文は文字をみただけでも脚韻が踏まれているのがわかる。
フランス象徴詩は音楽性を重視し、なかでも「ヴェルレーヌ自身大変に音楽的な詩人であり、彼の詩は数多くの作曲家によって曲を付けられ、現在でもしばしば歌われている」(同前)という。

三好が「萩原朔太郎氏へのお答へ」で意図的に日本語詩の「音韻」と「音楽性」を否定したのは理由があった。
それは1935年4月に第一書房から刊行された萩原の『純正詩論』において、ヴェルレーヌが言うように詩の「音楽性」がとりわけ強調されていたからである。それは同書の一篇「和歌の韻律について」(1976年刊全集第九巻、pp.19-38)では、「音楽」という言葉が12箇所に使われているのでもわかる。
三好にとっては先輩大詩人の発表した「詩論」であったが、その先輩は「第五高等学校(熊本)第一部乙類(英語文科)浪人入学も翌年落第、第六高等学校(岡山)第一部丙類(ドイツ語文科)転校も翌年落第退学、慶大予科も中退」という「学歴」の持主であるから、フランス詩についてはもちろん三好のほうが圧倒的に「専門家」なのである。
『帝大新聞』において大詩人の新著の瑕疵を暴き、その説を貶めることによって自らの詩人としての地位上昇を謀るのはある意味で当然の所作であった。「萩原朔太郎氏へのお答へ」とは、その末文に「お需めにより、先日の拙文を細説した」とあるように、『帝大新聞』掲載文への萩原の疑問ないし質問に対応した再説明であった。

三好のこの手法は、戦時期をはさんで23年後に後輩たち(中村真一郎と福永武彦は東大仏文、加藤周一は同医学部出身)に再応用される。「マチネ・ポエティク」のソネット押韻の試み、すなわちその音韻、音楽性への否定である。それはまず冒頭において「同人諸君の作品は、例外なく、甚だ、つまらないといふこと。」と一蹴される。この三好の三番煎じ応用ハードブロウによって、彼らの試みは文学史において「エピソード」として葬られた。
しからば、三好の立論はまっとうなものであったのかと言うと、決してそうではなかったのである。

萩原の「和歌の韻律について」は、三好も「この論文は、本書中白眉のもの」(「日本語の韻律 萩原朔太郎氏著『純正詩論』讀後の感想」『帝大新聞』)と認めるように、今日においてもなお正鵠を射たきわめて重要な指摘として読むことができる。そこには日本語の伝統的な定型詩の音韻効果が具体的かつ実証的に示されているのである。
さらに言えば、三好自身の代表作「雪(太郎を眠らせ)」と「甃(いし)のうへ」が対句と対韻、脚韻による、極めて音楽性をもった詩篇であることも自己矛盾であった。
陸軍幼年学校から同士官学校に入学した経歴をもつ三好の軍人エトスは筋金入りで、三島由紀夫は三好の喧嘩は「文壇最強」と言っていたらしい。
自らを棚に上げ、冒頭においてとりあえず対象への攻撃に集中する手法は常套だったろう。
しかしその攻撃の拠って立つ堡塁は、先に紹介した「朗讀音」云々に似た経験則で、言語学的根拠薄弱にして牽強付会、しかしながら人口に膾炙し易い「日本語特殊論」だったのである。