前掲詩3行目「かっぱらっていった鉄の器」とは、戦時供出させられた(「金属回収令」1943年8月12日勅令第667号)金属類を指し、それでつくられた兵器、軍需品は刀にかぎらないが、かりに軍用刀だったとしてもその時期のものはほとんどが間に合わせの「ごぼう剣」で、日本刀に鍛え上げる余裕などなかったのである。
しかしそのような実状や事情など、植民地にされた異民族の側からは知ったことではない。そもそも「かっぱらっていった」のは土地(国土)や言語、氏名(創氏改名)、そして「慰安婦」や戦時強制労働(連行=拉致)などヒトの身体そのものでもあったからである。しかし昨今の日本語の「情報」には、こうした「政策」は「強制ではなかった」といったひとりよがりの詭弁が流通している様相である。

さて、後ろから2行目の「素っ裸の女兵」と「素っ裸の娼婦」はそれぞれ当時の日本と韓国を象徴する。
「アジュッカリ」は前掲訳注にある通り。
この詩は平岡の「ハプニング」が、これまたひとりよがりの美意識つまり自己満足の到達点に過ぎないことを、率直な「他者の目と言葉」によって明らかにしたものと言っていい。しかし注意すべきは「ひとりの人間の生命の終焉がもたらす悲しみのみ受入れる」と付記している点で、ここに後の金の「サルリム(生命)運動」の伏線、すなわち政治に偏位しないヒューマンな視線を見ることができるのである。

金芝河(キムジハ、本名金英一キムヨンイル、1941‐)は、1960年の韓国四月革命(4・19)に参加、指名手配や地下潜行、逮捕を繰返しながらソウル大学を卒業、職業を転じつつ詩作。長編譚詩「五賊」が反共法違反に問われ逮捕、1974年死刑判決を受けるも一旦は釈放されるが、「人民革命党」事件捏造を批判して再逮捕される。
再度の死刑判決に対しては国際的な釈放救援運動もあって、1980年再釈放された。
しかしその後の金の主張は今日に至る韓国の政治潮流のなかで容れられず、忘れられた存在となった。

『長い暗闇の彼方に』の出版は、日本列島における金芝河支援ないし救援の一端でもあった。
その冒頭におかれた詩と「反対」のメッセージは、国際的にも一様に「衝撃」をもって受け止められ余韻まだ冷めやらぬ平岡の「蹶起」すなわちハラキリ死への精一杯の批判である。
しかし版元首脳部の意向は、この冒頭部の削除であったという。
平岡は日本のマスコミで「次期ノーベル文学賞候補」と話題にされながら、同性愛をはじめとしたスキャンダル種には事欠かなかった。だからその著作権継承者(遺族)の意向は忖度の対象となり、実際に遺族側が勝訴した「『剣と寒紅』事件」は1998年に提起されたのである。
編集部が削除に抵抗し、なんとか刊行にこぎつけた。
この冒頭部の活字のポイントがきわめて小さいのはその証左である。

平岡の死の2年前、世界的な「叛乱の年」として知られる1968年の7月に『中央公論』に掲載されたその「文化防衛論」は、戦後の日本の論調のひとつの極点であろう。そのひとりよがり極点がいまなお強力な磁力を保ち、列島内部に磁場を拡げていることは留意されてよい。しかし『長い暗闇の彼方に』の出版からほぼ半世紀を過ぎ、「世界」は大きく変容した。
もっとも巨大なステージ・シフトは、政治(軍事を含む)と経済の両面で東アジア各国の比重が飛躍的に高まり、そのなかで「日本」は評価も実力も相対的に沈下し、それはなお進行中であるという事実である。つまり金の「身の毛もよだつ」”大日本帝国復活”の危機意識は、今日では杞憂に終わる可能性が高い。しかし仮にも大日本帝国復活が現実化するとすれば、それは列島空間に限られるだろう。そのとき日本列島住民はさらに苛酷な「世紀の再敗戦生活」を余儀なくされる可能性が大きいのである。

リアルな政治は、常に相対的力学であり、時間の関数である。その反対に、美意識やひとりよがりへの傾斜は自滅への途である。
平岡の「防衛」とはヒューマニズムには無縁で、それは現在や未来を切り開くのではなく逆に特定の過去に拘束されるものである。他者には笑止な「勝手にエンペラー」の虚構に拠り、とどのつまりは死に収束するパラドックスである。醒めてみれば「神州無敗」同様愚かしい夢想であり、他者にとっては「三島事件」同様グロテスクなショーに終わるのである。

皇(おほきみ)は神にしませば戰(いくさ)負け人王(ひとわう)たるは詐欺のまた詐欺(『天軆地圖』p.49)

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