Archive for 5月, 2011

collegio

カエル

40年ぶりで「ぎっくり腰」というものになって2週間ほど経ったが、いまだ椅子に坐ると腰に鈍痛と言うか、嫌な感覚が生じる。
中学時代の運動がひびいているらしい。
陸上部で走っていたのだが、腹筋や背筋のいわゆる「筋トレ」で、妙な負荷がかかったようた。

幸いよい鍼灸医に診てもらっているけれど、患部になかなかヒットしない。
よほど深いところとみえる。

寝ている間にも、事態は進行していた。
業界メディアはほんの申しわけ程度にしか触れなかったが、いわゆる「20ミリシーベルト」事件というか問題というか、福島の親ごさんたちが文部科学省門前で、雨中座り込みまでやったおかげで、「大臣」の「1ミリシーベルトを目指す」という言質をようやく引き出した。
校庭の放射性物質汚染表土の削平も、国の費用でやらせるところまでもってきた。
新宿区百人町の東京都健康安全センターに設置されている、文部科学省の放射線モニタリングポストも、地上18メートルという非常識な位置から、人体への影響を測るのに適切な、地上1メートルに訂正されるらしい。
石原がそう言ったと。
都の担当者は、市民の抗議や疑問には、「文部科学省の仕事を請け負っているだけだから」という、木で鼻をくくる返答しかしなかったのだ。
昔話に、「江戸のカエル、大坂のカエル」というのがあったが、役人というのは、目が上にしかついていないカエルみたいなものだな。両生類としてのカエル目(もく)には大変失礼だが。

けれども、水や食品の放射性物質汚染の基準値は、ずいぶんとまた上げられたから、実際は日本列島の広範囲なエリアで汚染と体内被曝は進行しているとみたほうがいい。
「国の基準値内」だから大丈夫、と言われても、誰もそのまま信用する者はいない。

「隣りの国」や半球の反対側ではなくて、「自国」エリアで原発事故が発生すると、その「国」では、基準値自体を上げざるを得ないのだな。
生産者や被害者への補償、そして「避難地域」の拡大や、膨大な「難民」の発生、そしてパニックに対処しなければならないからな。
なにせ、いまの列島東半分は、チェルノブイリをはるかに凌ぐ、放射性物質汚染の長期実験場だからな。
そうして、すべては、「ただちに影響はな」く、5年先、10年先、20年先に「結果露呈」する話だからな。

またカエルを持ち出すとすれば、熱湯に放り込むのではなく、水からすこしずつ温度を上げてやれば、カエルはおとなしく「煮殺されて」しまう、というあの例え。
情報は、関心が低下してから、少しずつ、「驚愕」の事実を後出しする。
そうすれば、カエルは、そのうち往生してくれる。
為政者は、「民百姓」がおとなしく「往生」するのを待っているようだ。
しかし、現実のカエルは水温が一定限度以上となれば、我慢なんぞするわけがない。
与えられた水槽を捨て、その外に飛び出すのだ。

小社の「フィールド・スタディ文庫」も、4年かかってようやく6冊目。
この20日までには、それが出来あがる予定。

ISBN978-4-902695-13-7  四六判226ページ 本体1800円+税
ISBN978-4-902695-13-7  四六判226ページ 本体1800円+税

1969年渋谷区生まれの著者が、「渋谷川」に目ざめて約20年。
そして、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の学芸員として、平成20年9月に行われた《「春の小川」が流れた街・渋谷》展を大成功させた。

その展示図録はたちまち完売。いまでは、「渋谷」や都内の「川歩き」に関心のある向きには「幻の資料」として垂ぜんの的。

しかし本書はその展示会のはるか以前から企画されていたもので、その間、著者は膨大な一次資料にあたり、暗渠をくぐってオリジナルな調査をつづけていた。

渋谷や渋谷川、さらには川歩きに関する本はあまたあるが、本書はそれらに卓絶する「渋谷・渋谷川原典」と言うにふさわしい。

図版・地図約160点。
折込地図「渋谷川とその支流」を付した本書は、「日本の都市河川」の来し方の典型を示し、「都市と川の未来」を語るうえでも欠かせない一冊。

「原発事故直後、元放射線医学総合研究所の研究員木村真三さん(43歳)は勤務先の研究所に辞表を出し、福島の放射能汚染の実態調査に入った。

強烈な放射線が飛び交う原発から半径10キロ圏にも突入、土壌や植物、水などのサンプルを採取、京都大学、広島大学などの友人の研究者たちに送って測定、分析を行った。

かつて、ビキニ事件やチェルノブイリ事故後の調査を手がけた放射線測定の草分け・岡野真治さん(84歳)が開発した測定記録装置を車に積んで、汚染地帯を3000キロにわたり走破、放射能汚染地図をつくりあげた。

その課程で見つけた、浪江町赤宇木の高濃度汚染地帯では、何の情報もないまま取り残された人々に出会う。
また飯舘村では大地の汚染を前に農業も居住もあきらめざるを得なくなった人々の慟哭を聞き、福島市では汚染された学校の校庭の土をめぐる紛糾に出会う。

国の情報統制の締め付けを脱して、自らの意志で調査に乗り出した科学者たちの動きを追いながら、いま汚染大地で何が起こっているのか、を見つめる。」

以上は、今度の日曜日、5月15日(日)22:00~23:30に放映予定の、NHK教育テレビETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2カ月」の「あらすじ」。

「地図」を研究する者としては、1854年の8月から9月にかけて、10日間で500人の死者を出したロンドンのソーホー地区のコレラ大発生の原因をつきとめた「地図」(S・ジョンソン『感染地図』、S・ペンペル『医学探偵ジョン・スノウ』などの翻訳書がある)をも連想するが、これは「津波浸水地図」や「震災被災地図」などのレベルをはるかに超えた、今日もっとも切迫した「地図学」のテーマである。

必見。

collegio

江戸の崖 東京の崖 その28

震災と原発ですっかり中止状態になった当ブログ不定期連載の「江戸の崖・東京の崖」だが、某出版社には同じタイトルで単行本1~2冊分の原稿は渡し済みだし、毎月1回、もう四十数回つづけている淑徳大学の公開講座名もこの春から「江戸・東京崖っぷち紀行」と変更したわけだし、日本、いや日本列島そのものが地震と津波と原発ですでに崖っぷちであることが世界中に知れわたったのだから、「崖話」もそろそろ開始してよいと思われる。
もちろん、かくいう当人が経済的にはますます崖っぷちで、辛うじて国分寺崖線の崖際にとどまっていることに変わりはないのです。
で、崖男の崖話を再開。

六本木ヒルズと東京ミッドタウンというきらびやかなランドマークを擁して、いまやトーキョーの顔となった感のあるロッポンギとその隣のアザブ地区だけれど、ロッポンギはいざ知らず、アザブが「崩壊地形」を意味する「アザ」「アズ」という語に由来する、とは当ブログ「江戸の崖 東京の崖」その18(昨年10月16日)で述べた通り。
だから、この一帯には、大小さまざまな崖が、捜せばあちこちにみつかるのです。

たとえば、
地下鉄大江戸線の六本木駅から地上に出、ミッドタウンガーデンを背にして外苑東通りを横断し三差路の南の並木道をくだると昔の陸軍歩兵三聯隊跡(1962年から2000年頃まではその建物を東京大学生産技術研究所に転用していた)、今、国立新美術館と政策研究大学院大学の二つの施設が割拠する一角に至るのですが、その並木道が妙なのですね。

奥が東京ミッドタウン、手前左が国立新美術館、右手が東南となる
奥が東京ミッドタウン、手前左が国立新美術館、右手が東南となる

ご覧のように、東南側が切られたように最深部で1.5メートルほど落っこちている。そうして、東南一帯はそのまま低い土地である。
これを崖と言うか否かはさておいて、どうしてこんな形になったのか。
放射能汚染地域ではあるまいし、わざわざ道の片側だけを掘り下げ、広範囲に表土を削り取るわけはないから、むしろその逆だと考えるほかない。

この道を下って、旧東大生産技術研究所の向いの低地の角地は、70~80年代は夜な夜なお盛んなところだったとは、土地の人からの話だけでなく、筆者も確かに覚えのある場所。今ではビルの一階でもガラスを透かして倉庫然として見えるけれど、昔は結構広くて、知的そうなママさんがいた店(バー)ではなかったか知らん。某文芸評論家との間にできた子がいるとの話だったが、その評論家は新宿方面でも子をつくっているので、あちこちに「落として」いたのだな・・・。

右手は国立新美術館に隣接する政策大学院大学。その下の土地は大分落ち込んでいる。左奥は六本木ヒルズ
右手は国立新美術館に隣接する政策大学院大学。その下の土地は大分落ち込んでいる。左奥は六本木ヒルズ

さて、そのかつての夜の街の一画はというと、これも都市繁華街の立地定式にもれず、実は渋谷川支流、正確に言うとその下流の古川の支流、笄(こうがい)川のそのまた支流が侵食した跡なのですね。もちろん水の流れが切り立ったように削ったわけではなく、外苑東通りの尾根筋から支路を通すため、低地に道の部分だけ盛土したのでしょう。

『川の地図辞典 江戸・東京23区編』から、該当部分(渋谷川支流の笄川の谷
『川の地図辞典 江戸・東京23区編』から、該当部分(渋谷川支流の笄川の谷

結局は人間の手が加わってつくりだされたかたちでしょうが、このようなところに、謎と疑問を感じるところから、人は、いま大きく世の関心を集めることとなった、「地形」にちかづくことができるのです。