Archive for 10月, 2007

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古地図巡礼 map pilgrimage

柳ノ井戸 現・千代田区永田町一丁目

平野屋板江戸切絵図から「番町麹町永田町外桜田辺」(嘉永6・1853)の一部〔2ヶ所文字挿入〕平野屋板江戸切絵図から「番町麹町永田町外桜田辺」(嘉永6・1853)の一部〔2ヶ所文字挿入〕
「柳の井戸」と呼ばれるものは都内にいくつかあって、そもそも小野道風の故事から言っても、水辺に柳はつきもの。この名辞は固有名詞と普通名詞の中間項のようなものです。湿潤地を好む植物とはいえ、自生柳はすくなく、古来護岸目的に植栽されてきた歴史があるといいます。とすれば銀座の柳も、現実の水とその匂いがあってこそ成立する。流行歌を懐かしんで木だけ植え並べても、ガラス張りのビルの間で輻射熱を浴びて立ち枯れるだけなのです。
さて、問題は柳ではなくて井戸でした。ひとつは麻布善福寺の惣門を入って右手にあるもので、弘法大師伝説にまつわる。麻布七不思議のひとつにも数えられ、震災や戦災時には尽きない湧水が人々の危急を救ったと伝えられます。しかし残念ながら通常地図には記載がありません。かわって、これも七不思議のひとつ善福寺の「逆さイチョウ」は大抵の地図に登場。この都内第一といわれる巨木には親鸞伝説があって、空海開山とはいえ現在は麻布山善福寺は浄土真宗のお寺。これも何やら因縁めき、イチョウvs柳ではないですが、重要なことは、方や辺縁とはいえ麻布台地の上にあって、水はそのさらに下裾に湧き出しているという位置的関係でした。そこから下は今ではさまざまなお店がひしめき、賑わいをみせている麻布十番の谷になるのでした。
もうひとつの「柳の井戸」は千代田区の内堀桜田濠の堀端にあるもので、現行地形図類からは削除されましたが、1:10000地形図のシリーズには昭和30年代のものにまで記載されていました。堀端に下りる坂の上は、現在は国会議事堂前庭西洋式庭園や国会議事堂の敷地の一部となっていますが、以前は参謀本部や陸軍大臣官邸のあった場所。

1:10000地形図「四谷」(明治42年測図・大正10年第二回修正測図。大日本陸地測量部)の一部1:10000地形図「四谷」(明治42年測図・大正10年第二回修正測図。大日本陸地測量部)の一部
元をただせば彦根藩井伊家上屋敷で、その正門には有名な桜ノ井というのがあって、柳ノ井戸はその裾下の湧水で、桜・柳一対で語られることが多かったようです。

『江戸名所図会』天璣之部・巻之三(天保5・1834年)より、桜ノ井と柳ノ井戸『江戸名所図会』天璣之部・巻之三(天保5・1834年)より、桜ノ井と柳ノ井戸
『江戸名所図会』天璣之部・巻之三(天保5・1834年)より、桜ノ井と柳ノ井戸
『江戸名所図会』からその二つを描写した絵を掲げておきます。柳ノ井戸の二人の人物のうち、ひとりがわざとらしく手をかざして眺めているのが不自然のようですが、これはそうでもない。というのはお濠の向うは江戸城で、それは結構な「景観」なのですから、この描図はそれなりに「リアル」を目指したものなのです。