Archive for 6月, 2017

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評 林 ・ 白 泉 抄 10

資 料 在 処 に 赴 け る 折 な き た め 、 以下暫く は 中 村 裕 氏 『 疾 走 す る 俳 句 白 泉 句 集 を 読 む 』 の み に 依拠 し て 概 述 せ ん 。
や は ら か き 海 の か ら だ はみ だ ら な る
中 村 氏 句 尾 に「 昭 和 一 〇 年二 十 二 歳」と 付 記 す 。 無 季 17 文 字 に La Mer の 官 能 如 述 し て 余 り あり 。

こ の 歳「二 ・ 二 六 事」前 年 、 明 後1937 年7月7日 盧 溝 橋 、12 月8 日 南 京 と「皇 軍」遮 二 無 二 大 陸 に 侵攻 し つ つ 翌38 年4 月1 日 国 家 総 動 員 法 を 公 布 す 。 列 島 根こ そ ぎ 駆 り 立 つ「空 気」横 溢せり 。

日 の 丸 の は た を 一枚 海 に や る は1936 年 の 作 に て 、「海」卒 歳 の うち に そ の 官 能 を 蔽 ひ 隠 し 、 つ い と「は た」一 枚 を 呑下す るの み 。 そ れ 試 み に「や ( 遣)」り し 者 は 白 泉 な り 。

此「日 の丸」句 、「 太 郎 さ ん が ゐ る 世 界」てふ連句なり。 前 に は 折 る ふ ね は 白 い 大 き な 紙 の ふね 、 つ づ く は 兵 隊 が 七 人 海 に 行 進 す と 。

太郎 と は 西 東三鬼 の 長 男 な り 。 然 し 乍 ら三句 並 べ ば 次 第 に 近づ く も の を 見 る 。 柿 と 書 籍 戦 場 ま ぼ ろ し に青 き38 年 の 句 作 に て 、 こ の 年 ま で 戦 火 対 岸 の観 あ り し か 。 然 し て 無 際 限 に 広 が る 青鈍色 の 水 塊 夥 し き 鉄塊 と 人 肉 骨 を「藻 屑」に す る ま で 幾 何 も な き。

前項について知人から投稿があって、カリーズではなくて「カレーズ」と習ったとのこと。
ウィキペディアをみると、カナートはカーリーズ、カナーともいい、北アフリカではフォガラ、ハッターラ、カタラと称し、ウイグル語で カリズ、中国語では 坎児井(カンアルジン、甘粛省等)となる、らしい。
呼称の地域変化について、理解するのは結構難しい。

ところでカフェ・カリーズの床窓から覗くと、地下のスペースに1メートル弱四方の木の井戸枠が設置されていて、その中に塩化ビニールのパイプが突っ込んである。小型の電動ポンプで汲み上げ、「御茶の水」としているらしい。被圧地下水が湧き上がってくるわけではなく、あくまで汲み上げる水である。震災による停電でポンプが機能しなくなった時は、ロープ付バケツでも放り込んで地表まで水を引き上げるほかに方法はないだろう。そのバケツの水は、脇に置いてある脚立兼用のアルミ梯子を使って1階まで持ち上げられて、ようやく使える水となるのである。「サライ南麻布」はたしかに井戸付マンションだが、手動ポンプ付でないところが泣き所だ。

「井戸水」には、重労働がついてまわる。昔は「水」を使える状態にする作業が日常生活で大きなファクターを占めていた。水汲みと水運びにどのような労度が費やされたかは、現存する「まいまいず井戸」に行き(青梅線羽村駅の近くにある)、石ころだらけの渦巻き路をたどって底に降り立ち、また地表に上ってみてようやく予想がつくのである。

「阪神大震災」以降、大都市のライフライン破断は回復までに最低1月を要すると考えるのは常識となった。電気、水道、ガス、下水のうち、比較的早く復旧されるのは電気である。これは長くて1週間から10日。上水道は2週間から1カ月以上。都市ガスは1カ月から2カ月をみておくべきだろう。下水施設は、地盤が液状化すれば完全復旧までにどれだけかかるか予測がつかない。

現存しかつ稼働中の手動式の井戸ポンプは、大地震から10日ほどは「お宝」以上の存在となるのである。

ところでカフェから仙台坂を麻布十番側に渡れば、すぐそこは名刹麻布山善福寺の参道。左右に塔頭が並ぶなか、右手中ほどに柳の木が立ち、その足元に伝説の「柳の井戸」はある。

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井戸とは言うものの自然の湧水で、しかも都心にはまことに稀な現役の湧き水。チロチロとではあるが、絶え間なく水は流れ出している。
参道正面、段丘崖の斜面を開削して境内とした善福寺の背後の台地上には、巨大キノコに似た「元麻布ヒルズフォレストタワー」(地上29階地下3階、2002年竣工)がそびえるが、湧水は辛うじて命脈を保つ。
95年前(震災)や72年前(戦災)は、トウトウ(滔々)に近い水量だったはずだ。
少なくない数の人が、この水で命をつなぐことができたという(傍に立つ港区教育委員会の標識による)。

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地元「山元町会」の「かわら版」(2017/6/8)によれば、「柳の井戸」は現在10秒間に約1.5リットルの湧水量があるという。こうした地元市民による測定、計量はまことに重要にして貴重である。
一方、日本地下水学会のウェブサイト「都内湧水めぐり」は、柳の井戸の湧水量は降雨条件(季節)によって変化するが、2011年4月13日の測定では1分間に5リットルとしている(http://www.jagh.jp/content/shimin/images/wakimizu/20111002/arisugawamiya.pdf)。この数字は10秒では0.83リットルに相当する。
両者を勘案して、仮に10秒1リットルの値とすると、1分で6リットル、1時間では360リットル、1日で8,640リットルの水がひとりでに地表に噴き出しているのである。
国連は「人間らしい生活」のために必要な最低限の上水量(1人1日あたりの飲用を含む生活用水の量)を50リットルとしているというが、その数字を用いれば、柳の井戸の湧水量は約173人分に相当する。

けれども現在、行政が災害断水時に配給を予定しているのはとりあえず「飲料水」のみで、それも1人1日あたり3リットルなのである。それも基本的には区、市にそれぞれ2、3ヶ所ほどしか存在しない「災害時給水ステーション」に足を運び、何時間も並んでようやく手に入れられる(かどうか)という水である。
トイレ用水を筆頭とする生活上の雑用水の対応については、区や市それぞればらばらの対応で、実質用意なきに等しいかきわめてプア―な面が見受けられる。各地から給水車が駆け付けたとしても、巨大な首都圏人口に対しては「焼石に水」に近い状態となろう。
これに反して、都の水道局が発表している、都民1人あたりの、現今の水道水消費量は、1日平均約219リットル(トイレや風呂、洗濯、調理、洗車、ガーデニング用の水を含む。一般的なバスタブは約200リットル)と莫大である。
3リットルと219リットルの間にある目の眩むような落差、そして「その時」の対応を日常感覚の延長(normalcy bias)と個々の備蓄や自助に委ねる構図の背後には、戦前戦中、敗戦直後の日本の亡霊が透けて見える。

人、いや生きものすべての存在の根幹にかかわる「水」に関して、実態はかくの如しである。仮に「避難所」に頼るとしても、自分や家族の生病老死が懸かる(「分配」などをめぐっての)トラブルや諍い、心身の動揺や疲弊に無縁であることはできないだろう。その時まかせ、あるいは行政や役人の想定や対策・計画に任じたままでは、生存すら危ういと肝に銘じるべきだ。
「首都圏」では、「そのとき」に220リットルの10分の1、つまり1人1日22リットル(大きなペットボトル11本分)でも確保できれば不幸中の幸いと言うべきだろう。しかしこの水量では、悪くすれば死に至る「トイレ我慢」が伴うのである。

とまれ、マンションに地下水を利用できる「井戸」が備えられているとしたら、それも手動のシリンダーポンプ付深井戸だとしたら、お宝以上の「まことの幸い」なのである。

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井戸カフェ・井戸マンション

「カリーズ」というと、何か新規な事柄かと思ってしまうが、なんのことはない高校時代に地理で学んだ「カナート」のこと。
アフガニスタンやパキスタンあたりではカリーズと呼ぶらしい。
砂漠地帯の「地下水道」で紀元前から存在し、長さ数十キロにおよびものがあるという。
カナートは古代ペルシャ帝国の繁栄の根幹に存在していた。
それにくらべると、わが神田上水や玉川上水などは文字通り「ひよっこ」の類。

でカリーズだが、南麻布仙台坂下に「カフェ・カリーズ」という「400年前」つまり仙台藩下屋敷時代の井戸の水を使ってお茶をたてている喫茶店がある、という記事を仙台市のサイトでみつけた。
こちらも仙台藩士の末裔だし、井戸は現今の主題であるので、ともかくも行ってみた。
http://www.city.sendai.jp/tokyojimu/shise/tokyo/masamuneko/shimoyashiki2.html

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「地下水コーヒー」の旗が立つ、ガラス張りの新しいお店。
同年配と思しきママさんは、おしゃべりな若者を相手にしていたが、こちらを向くと「テレビで見たの?」とのたまう。
何度もテレビ取材を受けているらしい。
「テレビは棄てたので」というと、何やら不要領な顔。
ともかくもお茶を頼んで、床面のガラス下に見える井戸を撮影させてもらった。

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紅茶は香り高く、結構おいしい。
注意すると床ガラス窓の貼紙に「伊達政宗下屋敷の湧水井戸 麻布の地下水 This spring water has been flowing from underground for over 400years」とある。
現韓国大使館敷地を含む南麻布の一画が仙台藩の「麻布本村屋敷」となったのは1661年であるから、1636年に死去した藩祖の名を出されても困るし、井戸も400年はオーバーにすぎる・・・。

店内を見まわしていると、ママさんに自家製らしい印刷物(無料)を勧められた。
手に取れば、六本木・麻布を中心にした各国大使館案内地図である。
ただし右下に「文明の恥じ(ママ)とは何か」というコラム記事入りで、そこで老子とレーニンと荒尾精を並列推奨しているのには恐れ入りました。
裏面はさらに念が入って、タイトルに「日本の近代・現代160年を辿る」とある。
店名の由来、参勤交代、何故麻布に大使館が多いのか、産業革命と植民地から黒船来航までが日英両文並記。
下辺欄外に「老いの青春音読の勧め」(¥350)、「認知症の家庭対策SOSリング」(価格表示なし)の広告入りである。

支払いの折に井戸について尋ねたが、結局以下のようなことらしい。
この地所はお連れ合いの自邸敷地で、8年前にビルに建て替えるときに掘ったら井戸が出てきた。
その水を使って、カフェは8年前からやっている。
かつての家の裏手には大きな古井戸があった。
建替で埋めたが、神主を頼んだ。
使っている井戸の水面は地表下10メートルで、水深は不明。
台風などの大雨時には井戸口から水が溢れるという。

なぜ「カナート」でなく「カリーズ」としたのかは、訊き洩らした。

ネット検索では、ビルの名は「サライ南麻布」、2010年1月竣工。
10階建ての高級賃貸マンションで、18戸が入居している。
カフェやちらし、貼紙のことはさておき、案ずるに、「サライ南麻布」は入居者にとってまことに心強い「(防災)井戸付マンション」なのである。

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縄文の月や岬に貝の水

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昨日2017年6月4日の東京はおだやかな晴天の日曜日。
東芝エレベーターのPR誌「FUTURE DESIGN」(季刊)の連載記事取材で、いつものように和服の堀口茉純さんとスタッフ計4人、田町駅から品川駅まで歩いた。

高輪を通る古東海道(尾根道)と海食崖をテーマとして案内したのだが、どうでしたろうか。

一応、私が堀口さんの「師匠」という想定になっているらしい(彼女が文章でそう書いている)のだが、だとすればまことに心もとない師匠である。
なにせ相手は殺陣や日本舞踊をきわめ、江戸文化歴史検定(1級、ガイド資格も有り)、実用英語技能検定2級,中国語検定3級,ドラえもん検定博士号で、あの膨大な『徳川実記』は何遍も通読している(らしい)つわもの。
検定や資格に縁ないというより試験や勉強が嫌いな当方としては、足元を見透かされているような気分である。

ともかくも、午後1時、田町駅の喫茶店ルノアールで集合、打合せして出発。
ルートは

札の辻→元和キリシタン殉教碑(住友不動産ツインビル、ラ・トゥールの奥の斜面緑地内)→御田八幡神社脇の階段(比高14.3cm×100段)→亀塚公園→三田台公園→高輪大木戸跡→幸田文旧居跡(三井家跡地:現NTTデータ三田ビル本館下)→高輪牛町標識(願生寺門前)→高輪二丁目16番地の崖(撮影ポイント)→泉岳寺(門前のカフェ・ゴダールの甘酒で休憩)→伊皿子坂→承教寺(二本榎の碑、英一蝶墓、「件」の狛犬)→ブーランジュリーセイジアサクラ(パン屋。カレーパンなど購入)→高輪消防署二本榎出張所前(高輪原の古戦場?)→桂坂→洞坂→東禅寺→高輪公園→品川駅

最後は品川駅近くの喫茶店ルノアールでまとめ。ルノアールにはじまりルノアールに終わったが、ルノアールの絵にはついに無縁。

亀塚公園は古墳あり、『更級日記』の竹芝伝説の地とも言われ、お隣の三田台公園には縄文時代の貝塚の剥ぎ取り展示や住居の説明展示もある。
タイトルに掲げた拙句は、三田台公園にちなんだもの。「季刊」雑誌であるため、秋の季語(月)とした。
このあたりは潮見崎・袖が崎・大崎・荒蘭崎・千代が崎・長南が崎と並び、江戸七埼のひとつ「月の岬」の地。
縄文時代のある時期までは2、3㎞先の崖裾を波濤が崩し、江戸時代には水平線から月が上るのを目にし得たのである。

もっともうれしかったのは、華頂宮邸敷地であった折の井戸が現役で三田台公園に存在していたことである(写真上)。
説明板(写真下)には、水面まで7.5m、水底は12mと。
台地の尾根筋にしつらえられた浅井戸だが、水はいまでも十分に汲み上がる。
関東大震災の折には大変役に立ったという。
現在、行政が管理する手動井戸の注意書きには「飲用不可」が一般的でこの説明も同様だが、その後に添えられた但し書きのほうはまことに適切である。
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