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体育館に雑魚寝は日本の「避難所」の典型であろう。
そこで人々は、行政や「その筋」からの配給を受け、指示を待つ。
これほど「人間」を否定した構図はない。
国際赤十字の最低基準からも遠く外れている。

避難所において、プライベート空間は存在せず、人は家畜と同然となる。

縄文時代以前から、人は所帯ごとのプライベート空間を基本として生を紡いできた。
それは生きることの基本である。
その「衣食住」が人間の生活の基本であるとすれば、体育館雑魚寝避難所に「住」は存在しないのである。
プライベート空間のない体育館避難所は、震災死関連の温床である。

テレビの画面によって刷り込まれ、それが当たり前であると思っているとすれば、「日本人」ほどお目出度い存在はない。
防災予算は政治に見返りのある土木建設に費やされ、人の「生」の現場には「余滴」ほどの扱いしかないのである。

避難民が、ただただ行政の指示を待ち、配給を受けるだけの存在とイメージされているかぎり、「日本の未来」はどこにも存在しない。

枝落ちし野分過ぎれば咎ありと駅前古木皆伐られたり

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「大木」や「古木」と言うには少し足りないけれど、それでもその三本のケヤキの木は堂々としていて、たくさんの枝を広げ、夏には一息つける木陰をつくり、夕方には鳥の群れを受け入れ、その蒸散作用で駅前の廃熱の幾分かを和らげ、それ以上に三本の緑のひろがりは、人の心を知らず知らずのうちになごませてくれていたのです。

それがあっと言う間に伐り倒され、運び去られて、無惨な切株と素寒貧の駅前風景がひろがるだけとなったのでした。

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この前の突風と言うか強風を伴った集中豪雨の際に、枝落ちか倒木にちかい状態になったのでしょう。
国分寺駅南口のその一帯は人が通れないように紅白ダンダラのバリケードが設置され、一時はものものしい警戒ぶりでした。

土地を所有するJRの担当責任者つまりは「駅長」でしょうが、即断で伐採を手配したのでしょう。
街なかの緑化に責任のある準公共機関が、こうした責任逃れの対処しかできないとすれば、愚かと言うほかありません。

樹木をなきものとする文明は早晩滅びる、とまでは言いませんが、このような短絡が人の心を知らず知らずのうちに荒ませていくことだけは確かである、とは言えるでしょう。

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2018年9月の新刊

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地域史研究の最前線に身を投じ、30年以上にわたり
日本列島約4000ヵ所以上を調査・踏破してきた著者が
ここに明らかにし得た、東日本の被差別部落起源!
     
本田豊著『部落はなぜつくられたか ―茨城県の部落史』
ISBN978-4-902695-31-1 C3021
B6判 196ページ 地図・索引付
並製 本体1200円+税

目 次
第一章 茨城県の部落の現状とその特徴……………1
 石田三成と部落/東北地方にも部落は存在する/茨城県の部落数と人口/今も根強い部落に対する差別意識/多くは消えてしまった非人部落/利根川と部落/長吏とは誰か/かはた呼称は部落とは無関係/洪水と竹林の関係/サンカと言われた人々/非人として扱われた江戸時代のサンカ/以前の墓地は土葬だった/板碑を持つ墓地もある/豪華な墓石もある部落の墓地/部落には大地主もいた 

第二章 茨城県の解放運動……………………………45
 水平社の拠点は旧総和町/茨城県下の解放運動の困難性/茨城県解放運動は古河から開始された/行政は何もしなかった/五霞町では融和事業が行われた/解放運動を活性化させた高松差別裁判
 
第三章 近代文学と被差別者…………………………69
 序文は夏目漱石が書いた/部落史の視点で読む/女性は学校に通っていなかった/根深い間引きの習慣/シャボン玉は間引きの唄/梅毒を引き受けさせられた女性たち/土葬が一般的だった茨城県/犬はさかんに食べられていた/猫も食べられていた/馬喰という商売もあった/瞽女さんという芸能者もいた/冠婚葬祭には乞食もきた/古河には遊郭があった/大問題だった軍隊内の花柳病/漂泊の芸能者/差別された芸能者/非人の仕事は役所がやるようになった/部落は古墳の警備はしていない/後に尾を引く洪水の被害/藁葺や茅葺屋根は燃えやすかった/「下人」に対する差別  

第四章 白山神社は語る………………………………123
 東日本の部落には白山神社がある/白山神社は弾左衛門の支配地域に建てられた/水の神である白山神社/白山神社の建物は大小様々/白山神社は弾左衛門支配の確立記念に建てられた  

第五章 部落はなぜつくられたか……………………143
 部落がつくられたのは理由がある/落ち武者伝承/県下各地の具体像/境町/五霞町/旧真壁町/結城市/旧総和町 
              
  茨城県地名索引

本田 豊(ほんだ・ゆたか)
1952年埼玉県生まれ。部落問題論、被差別社会史論専攻。元東京都立大学人文学部講師。部落史関連著書は『部落史を歩く ―ルポ東北・北陸の被差別部落』(1982、柏書房)『白山神社と被差別部落』(1989、明石書店)『被差別部落の民俗と伝承』(1998、三一書房)『戦国大名と賤民 ─信長・秀吉・家康と部落形成』(2005、現代書館)ほか多数。

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森鷗外『雁』の虚実

ここ2、3年は学生の成績評価登録を終えようやく夏休み、と思う間もなく忙しくなる。
早稲田大学エクステンションセンターの社会人講座も引き受けていて、そちらの方の準備が学生相手とは別の面で気が抜けないからである。
リピーターも多く、素材の「使いまわし」で済ませているわけにはいかない。

その講座も昨日で漸く一段落。
来週あと1回を残すが、それは見学会としているので気持ちに余裕がある。
ところで、昨日の講義で言い残したことを思い出した。
以下はその要点である。

故前田愛は『幻景の街 -文学の都市を歩く』(1986)のなかで森鷗外の小説作法について、鷗外自身が『青年』のなかで使った「測地師」という言葉を援用した後「「地図小説」という言い方が許されるなら、近代小説のなかでも『雁』ほど見事な「地図小説」はちょっとほかに例がない」と言い、「『雁』の鉄筆で刻んだような正確無比の描写」という言葉で「森鷗外『雁』不忍池」の章を締めくくった。

前田はこの章で、参謀本部陸軍部測量局の「五千分一東京図原図」について「地図の宝石」とも言っており、地図と文学のあわいを愛好する者にとっては逸することのできない文章なのだが、地図はさておき鷗外こと森林太郎について、彼が生前から「文壇の神」に祭り上げられ今なおそこから脱し得ないのは、われわれ自身が囚われている近代の虚構があるからだと、私は思っている。

『雁』の主人公は「かこいもの」であるが、当該作品はもちろん虚構、つまりつくりものである。
作者の手際が「正確無比」のように見えるのは、こぼれ落ちている虚構ミスや韜晦が「神様」のご威光に隠れて気づかれないからだろう。

前田愛はテクスト論、記号論を駆使し、文芸評論で目覚ましい活躍を示したが、とりわけ対位法を多用した記号論の手際は、大変にわかりやすくまた面白いものがあった。
しかしながらそれだけに、スタティックな構図に終始し、それを固定する危険性をもはらんでいたのである。

近代初頭まで不忍池に飛来し、小説のもう一人の主人公岡田の投げた石に当たって死んだとされたガンは、マガンとみて間違いない。マガンはガン類のなかでは中型の鳥だが、ニワトリやアヒルよりもずっと大型で、体重もある。例えて言えば、そのへんのイヌ、ネコより大きいのである。

余分なことだが15年ほど前、編隊飛行する大型の鳥類を見掛けて、東京にもガンがもどってきたと言った者がいたが、それは無知のなせる失言であった。草食のガン・カモ類が、湿地や水田の一掃された東京とその周辺に生息できるわけはないのである。雁行するのは、近年猖獗をきわめる肉食のカワウであった。

さて、イヌ、ネコより大型の鳥獣を、小説『雁』の終末で書かれているように一回の投石で斃すのは可能であろうか。
いかに「当たりどころが悪かった」と言っても、小説の虚構としては不自然にすぎる。
まして対象は、池水の表面に浮いている水鳥である。
投石した主人公の岡田は競漕(現在の競艇)の選手ということになっているが、砲丸投げの選手が砲丸を飛ばしたという設定なら、あるいはガン狩りも可能であったかもしれない。

さらに言えば、不忍池の端で鳥獣殺傷用の手ごろな「石」をみつけるのはそう簡単ではなかったはずだ。
いつも指摘していることだが、江戸東京のとりわけ中心部は地下2000~3000メートルまで砂泥と火山灰の堆積物でおおわれているため、古墳の石室や石垣の素材はもちろんのこと、墓石から漬物石まで、通常は「他国」から水路を運んできたものが用いられたのである。
河原の玉石は、多摩川の中流ではじめてお目にかかれる。
不忍池の周辺をめぐる小道に砂利が敷いてあった可能性もなきにしもあらずだが、それくらいの石ころでガンを殺傷できるとは考え難い。

小説『雁』のタイトルにもなっている末尾のエピソードがこうした不自然でなりたっていたとすれば、その最終端部(弐拾肆)では鷗外は一字ばかりのミス、しかし「地図」としてはきわめて重大な誤りを犯し、文を破綻させていた。
すなわち無縁坂に「無限の残惜しさ」を現わして立っていたお玉の前を通り過ごした後、「三人は岩崎邸に附いて東へ曲る処に来た。一人乗りの人力車が行き違うことの出来ぬ横町に這入るのだから、危険はもう全く無いと云っても好い」状況に至ったのだが、この「東へ曲る」は「南へ曲る」でなければつじつまが合わない。
これは前田愛が絶賛してやまない「五千分一」図を見ればすぐわかることである。「鷗外の正確無比」は神話である。

編集者や読者は、神様が相手だとつい「やりすごして」曖昧化し、そのご威光を曇らせるのを遠慮するが、不自然は不自然、間違いは間違いである。
こうしたことは、鷗外本にかぎらずほかの神様本でもよく見かける。
そうして近年では、神様どころか魑魅魍魎、狐狸河童の類のお手軽本が、カラー図版や美装丁の下にぼろを下げながら大手を振ってまかり通っているのである。

『雁』は「お妾小説」である。その系譜は四半世紀後の矢田津世子の「神楽坂」まで一直線に引かれる。
鷗外こと森林太郎はマザコンであった。
その母峰子は長男林太郎の初婚を左右し、離婚後は妾をあてがい、林太郎が40を越した時に18歳年下の再婚相手を探してきさえした。
林太郎はそれに応ずるほかなかったのである。

そうして『雁』の主人公お玉をかりて書きつけたのは、自身にとってのイデアルな(理想の)「妾」の姿でもあった。
西欧の思潮に通じ、自宅近くの青鞜社のメンバーとも交流のあった林太郎は、自分の「お妾小説」に精一杯「余韻」を施したが、その底意は明らかである。
それは「(女性の解放や自立と言っても)そんなにうまくことははこばないよ」というメッセージで、それ以外ではなかった。

林太郎は、自身が晩年まで家付き娘であった母の政治力の下にあったし、また脚気論争でも研究の趨勢を知りながら陸軍病原菌説の頭目として最後まで反論を圧伏しなければならず、実際そうしたのである。林太郎の心の屈折と闇、そして罪は深いのである。

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再掲 -つくり本・ぱくり本

前回のブログでも触れたが、ますます猖獗をきわめる地図・地形の阿呆イベントやマニア増殖に鑑み、以下再掲する。

最近私と地図の関わりを知っている同郷の知人から『地図で楽しむすごい宮城』(Y社)という本が送られてきて一見。
好意で送ってくれた当人には悪いが、出版界もついにここまで来たかと思った。
都道府県研究会著、2018年5月刊、というオールカラー本である。
この手で全国都道府県47冊つくり、そこそこに売れて利益も出せるのだろう。
この本は以下に述べるように「つくり本」であり、「ぱくり本」の典型でもある。

しかしそれ以前に、「宮城」という語が平然と使われていることには笑うほかない。
「宮城」や「東北」などという地名は、福島や岩手、青森同様、近代史において「白河以北」(奥州)を貶めるため、薩長政府によって意図的に布置された差別語である。
そのことに無知のまま「すごい」を謳う地理・歴史本は、愚物以外の何物でもないのである。

(以下再掲)
「つくり本」とは私の用語だが、著者(もしくは編者)が個人名として明記されておらず、著作責任の曖昧ないし不在の本のことである。出版社の編集者が単身または社内の何人かで分担執筆したり、知り合いのライターに丸投げしてつくった本、と判断してよい。
要は著者に支払うべき「印税」をかぎりなくゼロとしてチープに、著作のために必要な「時間」を最大に圧縮してインスタントに、つくるから「つくり本」なのである。印税分の何割かは印刷にまわせるから、オールカラーというような芸当も可能である。「見てくれ」と理解の安直さで売り部数を上げるテイの本だが、それがここ十数年書店店頭に文字通り溢れかえっている。
一昔前までは、その筋の権威の「監修」や「編集」本ないしはそのシリーズを結構目にすることがあった。オーソリティの崩落した現在ではあまり流行らないが、これもつくり本の一種であった。つまり「その筋」は名前を貸すだけなのである。
だから「責任編集」などという笑えない言葉も誕生した。しかし今日の日本列島ほど、安直なつくり本が大手を振って跋扈している光景は他にないと言っていい。
著作責任が曖昧ないし不在であるのはもちろんのこと、コピー&ペーストでつくりあげるから、「参考文献」も適当に巻末に挙げておくだけ、ないしはまったく掲げることもない。つまり資料批判や先行業績へのリスペクトも、ほとんどが欠落することになるのである。
オリジナルな先行業績をわざと紹介せず、または曖昧にして、その本自体が根拠となるかのように書かれている「朦朧本」もよく目にする。こうなると「つくり本」というより「ぱくり本」で、近年ネットの連載をそのまま本にしたようなものが増えているが、その多くはこの範疇に入る。ぱくり本には、堂々と著者名を明記しているものもあるが、それは「本」というものの本質が、出版社や編集者においてすら忘れられているからである。結局のところ「編集」とは名ばかりで、テキスト・チェックの過程が存在せず、本を垂れ流すための製造過程の一部と化しているのである。
昨今における、こうした駄本の洪水のような現象の背景には、戦後日本の出版流通システム、すなわち大取次制度の負の面が作用している。とにもかくにも売れそうな、つまり柳の下のドジョウを作り上げて取次に押し込んでしまえば、とりあえずは「金」になるという現実が存在する。
もちろん「返品」との競争になるが、出版の経営者や社員の大部分は、この「取次一時金」をあてにした自転車操業システムと縁を切る、ないしはそこから降りることはできないと思っている。
これは今に始まった現象ではないが、出版不況が深刻化すると売上を確保するために、こうしたつくり本は激増する一方となるのである。
「本」が文化の基底となったのは、まずはその物質性、固定性に拠るのである。つまり思考の物的な「根拠」ないしは「証拠」となり得るからである。デジタル情報は可塑的というより流動的で長期保存は不可能であり、一時的な記録には好都合だがそれ以上のものではない。
「一時金」のためのその場しのぎの「本」づくりは、「出版」の根拠を自ら掘り崩すような行為であり、自殺行為と言ってもよい。
つくり本やぱくり本のほうが売れ、あるいはその著者のほうが名を知られるなら、調査と思考に時間をかけたオリジナルな本の執筆者はバカをみる。そうした文化の基底の溶解過程は、ネット情報の虚妄にさらに拍車をかける。
だから、すくなくともそれなりの図書館、そして読者においては、こうした「つくり本」や「ぱくり本」は選書や購入候補から外す、という見識ないし良識をもたないかぎり、戦後日本の「出版文化」、いや「文化」そのものも総体として墜落するしかないのである。

現今の日本列島の愚かさは、
①ハンコ(印鑑)
②戸籍
③元号
に象徴される。

これら日本列島に流通する特異事象は、「世界の非常識」である。
とりわけ①については象牙にかかわり、日本という極東国家は現代ゾウ絶滅の最大の元凶である。

あとは言わずもがな。
なくていいもの、とりわけ「お役所」およびそれに準じる部署のの許認可権を増幅するこうした贅肉は阿呆のしるしである。
戸籍制度は世界にも珍しい。
ヒト家畜でなく、血統は問わないのだから、住民登録で十分である。
元号も言わずもがな。「一世一元の制」は、薩長が発明した「近代天皇制」の虚構のひとつであって、「時間のひとりよがり」以外の意味はない。歴史的にも、天皇一代と元号は決して対応せず、それは人間ではなく暦、ひいては天文の属域にあった。
現代はもうすぐそうではなくなる「平成時代」では決してない。現代は、江戸時代につづく「東京時代」である。
しかしその「東京時代」「東京帝国」も、そろそろ終わりを告げようとしている。
私の『江戸の崖 東京の崖』は、そのことを伝えようとした本なのだが、「地形の本」としか解釈できない、ブラタモリ流の素人地形地誌マニアの阿呆が多すぎるのだ。

(以下、「国分寺マンションニュース」2018/07/10投稿・未掲載)

腰痛が持病のようになって、それが原因で2度も救急車のお世話になった身としては、後期高齢者以前ながら外出に杖は欠かせません。トレーニングと称して階段を2ずつ上がっていたのはずいぶん昔の話。数年前からはエレベーターとエスカレーターが頼りとなりました。

最近国分寺マンションのエレベーターホール掲示板に「地震災害時外側非常階段使用禁止」の貼紙を見かけます。ステンレスでもないかぎり鉄の外階段が腐朽するのは早いだろうとは思いますが、非常時に非常階段が使えないのは困ります。火災が発生した場合は、屋内階段は防火扉が閉められ使用できなくなりますから、非常階段を使わないわけにはいかないのです。

しかし今回の本題は非常階段ではなくて、エレベーターについてです。豪雨や洪水が話題となっている昨今ですが、まだ記憶に残る6月18日朝の大阪北部地震では、東日本大震災の1.6倍の339件のエレベーター閉じ込め事故が起きたと報道されました。そのうちの25件は7時間以上も「かご」のなかに閉じ込められたと言われます。

1958年公開ジャンヌ・モロー主演の「死刑台のエレベーター」以降、サスペンス映画でエレベーター閉じ込めを扱った映画は少なくないようです。それだけ「密室閉じ込め」の恐怖は大きいのです。

2009年には「地震時管制運転装置」導入が義務づけられましたから、一定震度以上にはエレベーターが自動的に至近の階で開扉するはずですが、その装置のない旧式エレベーターはもちろんのこと、「いざ」と言うときに停電やらコンピューターの誤作動やらは付きものですから、新築マンションのエレベーターといえども「安心」と済ませているわけにはいかないでしょう。

まして私たちが住む世界一の巨大都市圏を襲う直下地震の場合、閉じ込めエレベーターの内部から外へ連絡がつながったとしても、エレベーター会社の管理センターや消防が一般のマンションまで手が回るようになるのは、数時間後どころかまる一日以上、場合によっては何日も後になる、と考えておいたほうが無難なのです。

中央防災会議の報告でも、今後30年間に70%の確率で首都直下のM7クラスの地震が発生し、30000台のエレベーターが閉じ込めにつながる停止を起こし、最大で17000人が閉じ込められ、救出には少なくとも12時間以上を要すると推測されているのです。これは1日や2日は覚悟せよ、と読み替えていい数値です。

このため官公庁や企業の一部では、エレベーター閉じ込め対策として、「かご」の隅に三角柱のボックスを置き、飲料水、簡易トイレ、ラジオやらホイッスル等、そしてトランプまでの各種グッズを格納し、またそれを簡易椅子として使用できるようにしているところもあると言います。

エレベーター閉じ込めでもっとも怖いのは、トイレが我慢できなくなった時です。高齢者はトイレが近いし、寒ければなおさらで、子どもでも暑いさなかには水を飲んでトイレが我慢できなくなる。「かご」が満員であれば、立ちっぱなしで何時間も、あるいはそれ以上の時間をひたすら「待つ」しかありません。その「地震」はいつやってくるか、明日か、十分間後か、誰にもわからない。

というわけで、当方は「エレベーター閉じ込め」の可能性を自覚してからは、駅ビルなどではエスカレーターを使用し、マンションでは重い荷物がないかぎり、杖をつきながらも、もっぱら階段を上り下りすることにしています。そうして気づいたことは、屋内の階段が結構幅広いのはいいとして、手すりが大変使いづらいことでした。片側に1本しかなく、それもステンレス製の結構太い手すりなのです。

近年福祉施設や公共的な場で普及しはじめた階段手すりは、細く握りやすい木製のもので、しかも上下2段となっているものです。それも階段の片側だけではなく、両側に付いていて、しかも途中に「アキ」がないことが大事です。ステンレス製は、夏場はまだいいとして、とくに寒冷期には困ります。いずれにしても、時によって命綱の代わりともなる手すりは、「付いていればいい」というものではありません。

まして地震時にはエレベーターは使えず、非常階段が使えないとなれば2階以上のマンション住人全員が、屋内ひとつ階段の上り下りに集中することになるわけです。エレベーターの管制装置やかごの防災グッズ格納器については措くとしても、とりあえず階段手すり問題については、早期の対応が必要でしょう。

その一方で、とりわけ竣工以来時を経ている国分寺マンションの場合に必要なことは、エレベーター閉じ込め発生時に居住者が協力して対応できるような体制をとっておくことでしょう。つまり、消防やエレベーター会社などをあてにせず(「その時」に対応してもらえると思ったら大間違い。一斉広域災害の「消防」救出順位は①病院、②公共施設、③民間ですから、一般のマンションは「自力」準備が不可欠)、自力で閉じ込め者を救出できるよう対処訓練しておくべきでしょう。

その際に重要なのは、簡易トイレ使用訓練も併せて行うことです。簡易トイレないし携帯トイレについては、地震で水洗トイレが使えなくなった場合に備えるもので、エレベーター閉じ込めに限らず、各人の必需品です。お定まりの消防消火器訓練などよりも、こちらのほうがよほど重要であるのは論を俟たないでしょう。

以上の事柄は、すでに長期修繕委員会や理事会などでは話し合われたことかも知れませんが、既述の拙文「防災井戸」や「震災時排水問題」と併せ、一般の注意を喚起する意味で投稿させていただきました。

寺も墓も数回以上は訪れている。
しかし気恥ずかしさが先に立ち、この日ばかりは避けて来た。

見栄を張っても仕様がないので、授業の下見を兼ねてとうとう訪ねることにした。
今月19日の午後4時半過ぎ。
そこで目を惹いたのは、林立する花束や酒瓶よりもむしろ艶やかな朱色の粒。
透明ケース入りが幾箱も墓域に敷き詰められ、取出された粒のいくつかは墓碑の刻字に詰め込まれている。

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10人ほどの男女が三々五々。
森家の墓域からケータイで写真を撮って、「秋田とみ子」の苔がかった墓碑をなでてから、早々に寺を後にする。
新宿の「風紋」は閉じるらしい。
お別れ会に行くつもりもないし、林聖子さんにその父母のことを訊ねることもないだろうと思った。

平岡公威(三島由紀夫)は瀬戸内晴美(寂聴)に「太宰はきらいだから尻をむけて、鴎外先生の墓に花をまつってください」と手紙に書いたという(瀬戸内「三鷹下連雀」『場所』)が、森林太郎は世間が持ち上げるほど偉い作家でもなんでもない。所詮、極東の「模倣の時代」(板倉聖宣)の「神」なのである。
日本の作家として世界文学の片隅にでも地位を占めることができるのは、坂口炳五(安吾)が言うように、むしろ津島修治(太宰治)であろう。
結局のところ、われわれはその程度に「周辺」である。

ついでに言えば、現行千円札のあの男(野口某)の画像は「シマの蛙」たるわれわれの自画像である。
世界水準から一周遅れのうぬぼれすけべ男。

実のところ津島も平岡も、双生児と言ってもいいほど似た売文兄弟である。
ただその表現ベクトルが正反対であるだけなのだ。

《太文字(だのもじ)やチェリー詰めたる桜桃忌 青崖》

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鳥籠の中に鳥飛ぶ青葉かな

『疾走する俳句 白泉句集を読む』(中村裕)は掲句を「昭和一八年頃」とす。方やインターネット「増殖する俳句歳時記」にて清水哲男「この句は敗戦後3年目の作品」と断定せり。その差5年の真中に敗戦てふ径庭抱へたれば、前後にて「解釈」大いに異なれり。「増殖俳句歳時記」の表記また「鳥篭の中に鳥とぶ青葉かな」と異相なり。

清水この句をば「戦後民主主義批判の句である」とし、「主権在民男女平等などは、しょせん篭の鳥のなかで飛ぶ鳥くらいの自由平等」と断じ、転じて俳人のよく使へる「一句屹立」を批判「白泉の仕込んだワサビは、もはや誰にも効かなくなった」と結ぶ(April 30,2001)。

然なるか、否、これ清水の大いなる軽佻ネット拡散にほかならず。文末に「『昭和俳句選集』(1977)所載」とあらばそを根拠とするものならん。高柳重信編なる当書「昭和五年」より同「五一年」までの編年俳句アンソロジーにて、当該句「昭和二三年」の項に配せるも、其の年に作句せる保証あらず。何故となれば、白泉逮捕1940(昭和15)年5月3日にて句作発表禁じられし故、それ以降の作期と「発表」時期異なればなり。

白泉自身の編なる『渡辺白泉句集』(自筆稿本)には当該句「散紅葉 自昭和一六年至昭和二〇年」に収録せり。すなはち敗戦以前の作なり。方や『渡邊白泉全句集』中「初出発表順句集」には「昭和二三年」の項に収録せり。「作」と「初出」とは異なれり。小輩初出誌まで調べる能はず。いずれにても当該句逮捕五月を回顧したる句に他ならずと断ず。「飛ぶ」は心なり。

然しながら如何なる生も生あるかぎり己の籠ぬけること能はず。これ自我の牢獄と言ふ。外界は眼に染む青葉なれどおのれはおのれの獄に羈(つな)がれたり。

【評林・白泉抄20】

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最後の海辺 ―盤洲干潟

2018年初夏、海風強し。
ヒッ、ヒッ、と鳴くは、鳥類にしては珍しく一夫多妻のセッカ♂か。
後浜の小流れのなかアシハラガニ走り、砂の丘にはハマヒルガオとハマエンドウの花。
新日鉄施設廃墟浸透実験池外周池に浮かぶはカルガモらし、数羽飛び立つ。
風紋の干潟に潮満ちくれば海の泡、アマモ、ホンダワラの離片を寄せる。
東京湾に残された、最後の自然海浜。

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以下のような文章を理解できる場所は、今ではこのあたりしか存在しない。

 海辺は、寄せては返す波のようにたちもどる私たちを魅了する。そこは、私たちの遠い祖先の誕生した場所なのである。潮の干満と波が回帰するリズムと、波打ち際のさまざまな生物には、動きと変化、そして美しさがあふれている。海辺にはまた、そこに秘められた意味と重要性がもたらす、より深い魅力が存在している。
 潮の引いた海辺に下りていくと、私たちは、地球と同じように年月を経た古い世界に入りこむ。―そこは太古の時代に大地と水が出合ったところであり、対立と妥協、果てしない変化が行なわれているところなのである。私たち生きとし生けるものにとって、海とそこをとりまく場所は特別な意味をもっている。浅い水の中に生命が最初に漂い、その存在を確立することができたところなのだから。繁殖し、進化し、生産し、生きもののつきることのない変化きわまる流れが、地球を占める時間と空間を貫いてそこに波打っているのだ。

 海辺を知るためには、生物の目録だけでは不十分である。海辺に立つことによってのみ、ほんとうに理解することができる。私たちはそこで、陸の形を刻み、それを形づくる岩と砂でつくられた大地と海との長いリズムを感じとることができる。そして、渚に絶え間なく打ち寄せる生命の波――それは私たちの足もとに、容赦なく押し寄せてくる――を、心と目と耳で感じとるときにのみ理解を深めることができる。
(R・カーソン『海辺』 The Edge of the Sea 上遠恵子訳)

近年では地球生物の誕生の場は深海海底火山の高温域と学説が変容したようだが、浅海とりわけ干潟が現生物種のもっとも多様豊穣の地であることには変わりがない。また海幸と山幸では、海幸が断然優位なのである。

さて東京湾の現在は、この100年の人為がもたらした地表の異貌である。
しかしもう半世紀も経ずして、この海陸のはざまは別の相貌に転じるだろう。
ヒトのいかなる欲望も営みも、ついには地表に一時の刻印を残すだけなのである。

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