collegio

水石山

img_20250119_160738.jpg

水石山は常磐線いわき駅の北西約10キロメートル、山頂は標高735メートルで一帯は公園とされ市街全域を眼下にする。
原稿を読んだ串田孫一をして呆然、震撼せしめた、吉野せいの作品集『洟をたらした神』(1975年、彌生書房刊)中の一篇のタイトルでもある。

写真は、いわき市内を流れる好間川(よしまがわ)中流の沢小谷(さわごや)橋から、正面奥右が水石山。
橋柱に1972年11月30日竣工とあるから、1977年11月に78歳で亡くなったせいは、この新しい橋の上で山を望見したこともあったはずである。
先の日曜日、拙著上梓と冬季講座前の隙間、日帰りでいわき(もと平)に出掛けた。
三野混沌(本名吉野義也)の碑を目にしておくためである。

いわき市の観光サイトはそれについて「三野混沌の詩碑 作家・吉野せいの夫であり、農民詩人。せいと共に開墾した菊竹山に詩碑があり、草野心平による揮毫」とし、所在地を「いわき市好間町北好間上野地内」と記すのみ。
google mapにも掲載されない碑で、「北好間上野」はいわき駅から徒歩1時間はかかるらしい。
車ももたず、ライセンスも返上した後期高齢者に頼れるものはバスしかない。

駅前で1時間ほど時間をつぶして乗車、見当をつけた停留所で下り、標高十数メートルの好間川左岸に沿って歩く。
目指すはこの写真の右手、標高104メートルの菊竹山の裾で、同53メートル前後に広がる開拓地の一画である。
「ヒートテック」の汗に濡れながら600メートルほどの坂道を上りきったのはいいが、さてその碑はどのあたりか。
上野地区の公民館を頼りとするも、それ以外は一向に分からない。
傍らの空き地で飼い猫を遊ばせていたらしい女性に「石碑」について尋ねると、「吉野せいさんの」と言って教えてくれた。
ああやはり三野混沌の、ではないのだな。

Comments RSS

Leave a Reply