1月1日は元旦。
3月3日はお雛様。
5月5日は端午の節句。
7月7日は七夕。
9月9日は重陽(ちょうよう)で「菊の日」。
1月1日は重要過ぎて五節句には含まれない。
1月7日人日(じんじつ)七種(ななくさ)をもってそのひとつとする。
同じぞろ目でも偶数は節句にはならないということ。
偶数は「陰陽」で言えば「陰」で、しかも「割れる」のでよくない、というのが一般俗説。
例えば、6月6日は雨ザアザア、でオーメンの日(6月6日朝6時に生れた悪魔の子)。
2月2日は?6月6日は?8月8日は?さておいて。
10月10日は双十節で、中国では国慶節にあたる。辛亥革命の記念日だから台湾でも大陸でも祝日。
実は6月6日も結構よい日で、宮中の故事をひいて「お菓子の日」とすべき、という意見もあるほど。
12月12日はもういいから、問題は4月4日。
次の日曜日。
この日は国分寺恋ヶ窪の日立中央研究所2010年春の庭園開放日にあたる。
で、『川の地図辞典』多摩東部編の出版記念ウォークをやろうという、実に慶賀すべき日。
多分申込先着十数名様にはこの日特別早くつくってもらった本が行きわたります。
奥付は4月10日だけれど、4月8日には多分出来ている。
で、今度の4月4日だけれど、多分雨にはならない。
四(si))の四は、「回生」なのです。
でも気温は谷間のようだし、国分寺は都心より幾分か寒いから、いらっしゃる方は十分お気をつけて。
寒い雨の日がつづいても、東京の桜は開花目前。
花と言えば、江戸の昔から「上野」。
いや、江戸は基本的に「田園都市」だったから、多分どこでも花を目にすることはできたのだろうが、やはり「上野か浅草か」。芭蕉様のこの句の上(かみ)は「花の雲 鐘は―」で「上野」へつづく。
それにしても、貧富貴賎を問わず花を愛でるには、つまり経済的社会的「身分差」を無化し、天を倶(とも)に戴いて生の一時を受容するには、生死をつかさどり、平等な死を配布する「神」や「仏」の領域が必要なのでした。
一部の宗教的場所と行楽地が見分けつかなくなるのは、身分制社会にあって当然のなりゆき。
とはいうものの、江戸時代=近世社会は前(プレ)近代社会。ゼニがモノいう世の中にほかならず、門前町や境内地が賑わい場所となるのは、それ相応の理由がある。神も仏も、現生の老若男女からゼニを集めたい。寺銭(テラセン)という言葉の所以。
話をもとに戻して、上野とは元来「崖」上の台地の意。
で、無理やり花と崖とを結び付けたいが、そもそも崖の花とは、なんだろうと考えてしまう。
植物を差し置いて、崖の動物となるとまっさきに挙げるべきはイワツバメ、そしてウミウ。営巣は断崖絶壁の中腹で行われる。天敵のヘビも近づけない。崖鳥(がけどり)である。台湾には「ツバメ崖」という名所さえある(嘉義県瑞里村。蝙蝠洞もある。ただし両者とも現在は主不在)。
哺乳類では、蝙蝠が崖に親しい。なんといっても洞穴を塒(ねぐら)とするから、断崖にできたそれは格好の住まいである。
時として狐や猫も崖をたよりにする場合がある。
落語などでおなじみの「王子の狐」のお宅を訪ねたら、神社(王子稲荷。昔は「岸稲荷」と称した)裏に設けられた急な石段を上った崖の穴であった。
最近言われる崖猫とは(がけねこ。誰も言わないか)、住宅地付近の急斜面を上り下りする猫で、怖くて途中から下りられなくなった猫のことではない。
山腹を四足で移動する哺乳類となると、鵯(ひよどり)越えの義経理論ではシカだが、この場合のシカは奈良にいるような日本ジカではなくて、同じ偶蹄類でもカモシカということになる。トカゲやナキウサギならまだしも、地下足袋や日本足袋のように割れた小さな足で、よくまあ崖面を走れるものだと思う。
そうして、多分江戸も海沿いの崖地下が人家で埋まる以前は、ウミウもイワツバメも、例えば田端や上野の海食崖に営巣していた、という可能性はゼロではないと思っています。そう、それは例えば縄文中期、6000年ほど以前の話か・・・
崖というのは本来崩壊地形だから、植物は定着しにくい。しかし、断崖の崩落が一段落して斜面となると、実生が着床して緑被され、宅地開発から免れて植生を残し、都市の海に浮かぶ「緑の帯」となる。
崖の植生は、その向きによってまったく異なる。つまり斜面が日陰か日向か。
ランの栽培種名に「垂崖」というものがあるらしい。これが元来崖地に生えていたものかどうか知らないが、どうも花の形が崖から垂れ下がるイメージということらしい。いずれにしても、ランは日陰を好む植物のように思われる。
4月4日、日立中央研究所の開放日にあわせた『川の地図辞典』多摩東部編の出版記念ウォーク(午前9時45分、JR国分寺駅集合)ですが、そろそろ参加申込を締切ます。
年度末で製本の日程が厳しく、4月4日にはとりあえず十数冊だけ別につくってもらい、間に合わせる、というのが確実になったからです。
奥付日の4月10日までには出来ると思いますが、4日に本を手に出来る方は限られます。
ただし、本は後でもいい(あるいは要らない)、とりあえず参加したい、という方はどうぞ。
恐縮ながら当日購入は、参加申込先着順とさせていただきますのでご承知おきください。
千葉県は船橋市のMという地名だったが、津田沼駅から多少下がり気味の道を結構歩いてたどり着くそこのお宅の東側は急斜面で、地図でみると「緑の帯」。
下総台地の一部が小河谷によって開析されたところだろうが、崖ぎわの東向きの庭は丹精こめたお花畑。ただしそこは垂直なコンクリートの壁を立てて土を充填し、無理やり拡げた庭だった。
ある日のこと、庭で飼われていた柴犬(雑種)が下に落ちて、腰を抜かしてしまったと。歩道に這いつくばった状態になっていたのを、近所の人が知らせてくれたらしい。
それでも幾日かすると歩けるようになったが、もうすっかり老犬のお運び状態。がしかし、一瞬シャンとなるのは、牝犬と出逢ったときなのだそうだ。尻尾がちゃんと立つ、というのは話し手の脚色だったかも知れないが、崖と犬というとり合せでいつも想い出すことではある。
犬が落ちたのは、フェンスに穴でもあったのか、耄碌したからなのかは聞きそこなったが、落っこちたのが犬だけだったのは幸いなことで、これが地震で庭半分が崩落したとか、家の土台の一部が宙ぶらりんになった、というのでなくてよかったのだった。
余談ついでに、これも昔聞いたエピソードで、Mという高名、高齢な文献学者が養老院で寝たきりになっていたが、若い看護婦さんの声がするとその方に頭が少し向くのだったと。
こういうことは、人も犬も同じであろう。
東京都心の垂直な崖から、犬や猫、人間が落っこちてくる、というのはあまり聞かないことだが、高速道路から何かが降ってくるというのは時々ニュースになる。
そうして、昔はそこを通るのが怖いような薄暗い切通しや崖、坂はいくらでもあって、幽霊坂や暗闇坂という名がついたものだけれど、今日はあかるいのである。たとえばDNP(大日本印刷)城下町の市ヶ谷は長延寺町の切通しのような歩道には、真っ白な石の擁壁が歩く人を圧するように直立して続いているのである。真っ白な崖から、ある日何かがドタリ落ちてこないという保証はない。いやいや、灰色だったり白だったりする壁そのものが、落下物体の第一候補なのだ。
崖からとんだ逸脱話とはなってしまったが、今日はこれくらいで。
新聞報道によると、東北大学などの国際研究チームが各地の地層を精査し、恐竜絶滅論争に決着をつけたという。約6550万年前、白亜紀末の大異変はやはりメキシコのユカタン半島付近の隕石衝突が原因で、広島型原爆の10億倍のエネルギーが大気中に塵を拡散し、まずは光合成生物を死滅させたのだと。(2010年3月5日 読売新聞)
ここにあるのは、ダーウィンの漸進的で気の遠くなるような「時間」を前提にした進化論ではなくて、典型的なカタストロフィー光景。非連続が現在につながる「その後」を用意したことになる。
通常、自然河川の「光景」は「悠久の」流れに喩えられる。美空ひばりの「アーアー、川の流れのように」(作詞秋元康、作曲見岳章、1988年)である。秋元はニューヨーク在住で、付近のイーストリバーが念頭にあったという。私に言わせれば歌手の歌唱力だけで持上げられた「空虚な唄」である。ひばり伝説に相乗して、その掉尾を飾るにはまことに都合がよかったというだけの中身である。それに比較して、「病葉を今日も浮かべて 街の谷、川は流れる」(作詞横井弘、作曲桜田誠一、1960年)は、名曲である(「川は流れる」唄仲宗根美樹)。ただし、我々が通常目にする「街の谷」つまり都市の小河川は、一定以上の降雨でもなければ通常「流れる」ことない。水がコンクリの底に「残っている」状態か、あるいは汐の干満に感応して「たゆたっている」にすぎない。
さてしかし、ある日突然、猛烈に膨れ上がり、丘を呑みこみ、みるみるうちに山腹をえぐり、自分の流路すら変えてしまうのも、川である。川の「本態」である。川は静劇併せもった存在なのである。
すこしずつ、すこしずつ、そのうちそれが臨界点に達してある日突然、という現象は、金属疲労による破断が代表例だろう。これによく似たプロセスに、地震の結果出現する断層崖がある。同じすこしずつ、すこしずつでも、海面変動による河川下刻が生成する斜面は、ある日突然出現するわけではない。気付いたら、いつの間にか崖。いつの間にか崖には氷河のような巨大な削岩体とその作用でも生成想定しうる。カール地形(圏谷)やU字谷(そのひとつがフィヨルド)が造り出す、えぐりとられ斜面である。もちろん、東京で氷河地形をみることはない。断層崖も聞いたことがない。氷河は氷河でも、東京にあるのは、ほとんどが氷河性海面変動の結果、河川侵食(水)がつくりだした段丘斜面(崖)である。
しかし、我々が東京の街中で実際に見かける垂直あるいは垂直に近い崖は、だいたいが人工の法(のり)面で、いわゆる「切通し」である。そうして一見「切通し」でも、崖上の敷地を広くしようと、斜面上部に土盛りし、擁壁で垂直をつくりだしている、コワーイ「貼付け崖」も少なくないのである。
目の前は、崖である。
といっても、垂直な懸崖ではない。
都立庭園である。いわゆる国分寺崖線の斜面にできた「ハケ」の庭園である。旧三菱財閥岩崎の別荘である。と、エラそうに言ったところで別に私がエライわけではない。
ただし、私が崖っぷち男であることは確かで、常に資金に窮している極小一人出版社がいつどうなるかわからない、という意味で常に崖っぷちである。
けれども、崖の上である。
昼も夜も、眼下は殿ヶ谷戸庭園の森。その向うの崖下は立川面。府中の町と、またその先の多摩丘陵が目の先である。
晴れた日は、よみうりランドの大観覧車が肉眼でも小さく見える。
ちょっと窓から顔を出せば、70年代村上春樹夫妻がやっていたジャズ喫茶があった、茶色のビルが見える。ただし私が村上の作品に興味があるわけではない。「ハリー・ポッター」も、ナントカの巻を途中まで読んで放り出した。村上もそうである。こんなものを読もうと思った自身を恥じよ、だ。
さて、崖である。
崖とは傾斜角の絶対値ではなく、地表傾斜変化の程度、つまり相対的な概念である、というのは鈴木隆介先生の『建設技術者のための地形図読図入門』第1巻120ページの趣意。ただしそれは山地や丘陵などの自然地形での話で、掘ったり埋めたり切り取ったりの平坦地を畳みあげる現代都市にあっては、やはり傾斜角の絶対値が評定の基本となろう。よって、建物の充満している都市部においては、各都道府県の建築基準法施行条例中の崖規定、すなわち傾斜角30°以上、高さ2m以上を認定基準としてみる。けれどもこれはミクロな崖定義で、そもそも崖の幅については何の規定もない。そうして、崖は斜面の一種である。しかし自然の生成プロセスを考えた場合、斜面が崖をつくりだすのではなく、崖つまり垂直面が斜面の母体だと考えた方がよい。このことについては、おいおい触れることになる。
このあたり(小金井、国分寺)では、「hakeハケ」というのが国分寺崖線の、とくに湧水流出場所を指示する謂いであるとは、大岡昇平の小説『武蔵野夫人』冒頭で開陳され、巷間に知れ渡るようになった。方言の類であるが、他所では「hakkeハッケ」「bakkeバッケ」、「bakeバケ」とも言う。これらについては漢字で「八景」や「化」と書くこともある。「hakaハカ」や「hagaハガ」というバージョンもある。皆、地形を言い表した用語で、「崖」の意である。
これらの-ake(-akaは変形)に注目すれば、「kake欠け」が語源と思うのは自然の勢いだ。これにはまったく対蹠的な説もあって、アイヌ語のパケ(頭。突端。岬)から来たというのである。こちらは否定(マイナス)思考でなくて、肯定(プラス)というか、余剰思考である。コブである。突出である。余分なのである。けれども「欠け」に似たマイナス語源説にはもうひとつあって、それは「禿ハゲ」。禿は動詞「剥ぐ」の連用形の名詞化であるから、海波や河流の侵食作用を成因とする崖にはぴったりではある。「ha」は「端」であって、それに「ケ」という助辞がついて「ハケ」である、という説もあるらしい。
まあ、たくさんあるけれど、とにかく私(芳賀ハガ)が崖に深い関係のある人間である、ということはこれで納得していただけたことかと思う。
とにかく、崖である。
崖はどうして出来たのか。
ある日、突然出来たのか。
少しずつ、ちょっとずつ、いつの間にか崖、なのか。
カタストロフィーか、斉一作用の膨大な蓄積によるのか。