1月 22nd, 2012
「崖線」考 その1
桃栗3年
最近のテレビは、お笑いタレント中心の喰いモノ番組かクイズショーでなければ、東京を中心としたご当地番組が目立ちます。とりわけ「ブラ散歩」の類は、パーソナリティさえ確保できれば視聴率を稼げるうえに、取材や制作費が大幅に圧縮できるメリットがあって、民放どころか公共放送まで参入して悦に入っている様子ですが、いずれにしても、「東京一極集中テレビ放映」の、安易でチープな番組づくりであることは争えず、見識ある向きにはそろそろ飽きられてきた。
もちろんその根底には、「東京」電力福島第一原子力発電所から20キロ圏内、つまり2市(南相馬市、田村市)、5町(浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町)、2村(葛尾〈かつらお〉村、川内村)で、東京23区の総面積(622平方km)とほぼ等しい約624平方kmが自宅立ち入りにすら罰則のつく「警戒区域」とされて約8万人が「難民」化し、さらに20キロ圏外でも放射性物質降下の影響の深刻な飯館村や川俣村などの「計画的避難区域」が広がっていて先が見えないなか、「東京」はオモシロイの、オイシイのオカシイの等々と言い立てることへの疑問と、来たるべき大地震への不安が横たわっているのです。
そのようななかで、公共テレビのご当地番組が、この1月19日に東京の国分寺をとり上げ、遺跡や鉄道話をふりまいた際、古代寺院の立地説明に「国分寺崖線」という用語を使ったまではいいけれど、「多摩川が10万年をかけてつくり出した国分寺崖線」というようなナレーションを流したのにはいささか吃驚。
3年ほど前、民放の深夜番組が「桃栗3年崖10万年」というオチャラケ文句で世田谷の国分寺崖線をとり上げたことがあって、「10万年」という根拠のない数字は、多分そのパクリなのです。当時筆者はその番組にゲスト出演した際、スタッフに「10万年はないよ。〈柿8年〉だし、せいぜい8万年にしたら。そのほうが妥当性もあるし」と言ったのですが、マニアックな番組にしては収録の「台本」は修正不可らしく、意見顧慮されることはありませんでした。けれどもインターネットにおけるテレビの影響は結構大きくて、いまだにこのフレーズを使ったサイトがいくつも検索できるのです。
崖4万年
約10万年前というのは武蔵野台地の武蔵野面といわれる段丘面のなかで、もっとも古いM1面が形成された年代。
武蔵野面の、M1面からM3面までの類別のうち、国分寺崖線は約8万年前に形成されたM2面を、古多摩川が側方侵食して形成したものですから、国分寺崖線ができたのはすくなくとも8万年前以降。
そうして、武蔵野面の下位段丘面は立川面と称し、これもTc1からTc3までに分けられ、国分寺崖線の直下は約4万年前に形成されたTc1面だから、国分寺崖線は約8万年前から4万年前の間に形成された、というのが模範解答。どう転んでも「10万年」にはならない(図1・図2)。
そもそもことわざは、木成りもの(果物)について、「桃栗3年、柿8年」、ついでに「柚子の大馬鹿18年」というのですが、それでは梅や林檎、梨、葡萄などはどうなのだろうと、つい思ってしまいますね。いずれにしてもそれらは発芽から結実までに必要な生育期間の長さの話ですから、崖生成について同列に表現するのであれば、国分寺崖線の場合、8万年マイナス4万年で、その差「4万年」が正解なのです。
さてしかし、なにゆえ「国分寺」崖線なのか。立川市の砂川あたりから世田谷区成城付近まで、延長20kmほどもつづく長大な段丘斜面の固有名詞に、どうして「国分寺」を冠したのか。「多摩川崖線」や「野川崖線」ではうまくないとしても、「小金井崖線」や「世田谷崖線」ではだめなのか。
(以上は、日本地図センター発行『地図中心』2012年3月号-2月末発行-への連載文の冒頭部分。このあと「ガイセンと、センガイと」「誰が言い出した・・・」「認識の所在」「ユリイカ!」とつづく)