日本列島において履かれる靴は、開放系をもって最上とす。
小氷河期の西ヨーロッパで成立した「ネクタイ正装」信仰が、近年はクールビズとか称して揺らいでいるのは慶賀の至りだが、迷妄打破は肝心の履物には及んでいない。
身体に悪影響を及ぼす程度は、ネクタイより靴のほうが段違いに大きいのである。
革靴もスニーカーも、閉鎖系である以上、この夏期亜熱帯列島では同然、愚物である。
外歩きを専らとする者にとって、足部のコンディションは全身にかかわる一大事なのだが、閉鎖性の不快感は、一般の意識においては圧殺されているのである。
靴は、「明治」以降「文明」の表象のような顔をしているが、実際は「軍」「官」の舶来模倣、つまりは「野蛮」のお仕着せであった。
柳田国男が「働く人の着物」(『木綿以前の事』所収)の末尾で「一ばん都合の悪いのは靴であった。靴は日本のような夏暑くてむれる国、毎度水の中へ入って働かなければならぬ国では、特別のものが無くてはならぬ。そうして是だけは古いものが既にややすたれて、新しいものがまだ発明せられていないのである。諸君は是からの研究問題として、是非とも仕事に都合のよい日本の靴を、考え出さなければならぬのである」と書いて、すでに80年以上を経ているのである。
通気性および冷気性は、底面に穴のあいた靴(たまにシューズショップに出回ることがある)がもっとも優れているが、湿地歩行や雨天時には最悪である。また砂地や細かい砂利道、刈草地を歩くにも適さない。
結局のところサンダルに如くものなし、ということになるが、いざ本格的に採用しようという段になると、足部保護性や長距離歩行性、走行性を備えること、つまり「レジャー用品」からの離陸が不可欠である。
30年以上探した果てにたどりついたのが、チヨダのBIO FitterシリーズBF-3906である。
サンダルといっても、踵があり足部全体を包む構造で、走行にも十分対応可能である。
通気性が抜群であることはもちろんだが、軽量で屈曲性と衝撃緩衝性に富み、底面の把握力(グリップ性。つまり雨天などの際に滑らないこと)にも優れていることに加え、靴幅に余裕のあるのがまことに嬉しい。そして安価(6000円以下)でもある。
このブラックモデルに黒靴下を併用すると、ちょっとしたパーティ会場でも違和感はない。
ヘビーな雨天時はそれ用の靴を履けばよろしい。
岩場の多い登山にもそれ相応のアイテムが必要だが、ハイキングにはこれで十分対応できる。
ただし砂地などを歩いた後は、脱いで入り込んだ砂を落とさなければならない。
しかし、その手間はいかほどのこともないと思わせる爽快さである。
われわれの「正装」は、「サンダル文化」を基本として成り立つべきなのである。
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足先ついでに頭まわりに言及すれば、とりわけ夏期は頭のてっぺんにも風通しが欲しい。その風通しの良い被りモノとして、かつての菅笠の類に如くものはないのである。
ノンラーと称するベトナム笠も同様だが、笠の下に頭部への装着部が別立てで附属しており、その間を風が抜けるのであって、一度でも被ってみれば、それは忘れられない体験となろう。
100万人以上の犠牲を払った、アメリカ軍に対する「ベトナムの勝利」は、このノンラー(笠)が象徴していた。そうして、いわゆるべトコン(南ベトナム民族解放戦線)の履物は、破壊された車両等の古タイヤを利用した「ホーチミン・サンダル」だったのである。ゲリラ戦におけるこの廃物利用は正解だった。足跡が残りにくかったからである。
今日に一般的な「帽子」は、布やらフェルトやらが毛髪や頭皮、そして汗に直接接するのであるから、アジアの伝統的な被り物とは構造が異なるのである。
したがってその構造に由来する本来的な条件は、「洗える」ことでなければならないはずである。
しかし、この条件を満たしてなお良質な素材とデザインの帽子にであったためしはない。ファッションとしての帽子もまた、ヨーロッパ発の防寒具の系譜から離陸できてはいないのである。
笠でない利点を生かすのなら、せめて「たためる」(カバンに入れられる)くらいであればよいのだが、それもまともなものを探すには一苦労する。
さらに撥水性を得られること、また顎紐付きであることをも必要だが、それらすべてを満足させるモノは、現代に至ってもなお出現してはいないのである。
付言すれば、ヘルメットは一般に直接頭部には接しない構造であるが、それらは決して「風が通り抜ける」ものではないのである。
使っていた醤油差しは、ガラス製で丈夫そうなのが気に入っていた。
それがある日突然口が開かなくなった。
いわゆる擦り口ガラスがくっついてしまって、湯を掛けても、水に浸しても、どうにもならない。
諦めて、100円ショップで陶器製の小さな醤油差しを買ってきた。
100円にしてはちょっとしたデザインかなと思った。
ところが、使ってビックリ。
だらだら垂れて、底辺を半めぐりして醤油が落ちてくるのである。
買うときにちょっと懸念はしたが、まさかこれほどまでに使えないシロモノだとは思ってもみなかった。
差し口の穴がとんでもない位置に付いているである。
シロモノどころか、烏滸(おこ)モノ、つまりはイカモノである。
このようなものを、造らせるモノも、売らせるモノも痴れモノである。
先達とは、その分野のオーソリティのことを言うのだろうが、当方にとってはそれは「素人」にほかならない。
まがりなりにも大学で教壇に立つ者として、先達とは第一義的には先行研究者(とその業績)だが、学問を正式に修めていない当方にとって、教えるということはその先達の膨大な森に分け入って、自分なりの細道をたどりなおす作業でもある。
だから指導している学生や案内している履修者から発せられる思いもかけない質疑事項は、当方の理解程度や修学の欠陥を衝き、あらためて途切れ途切れの細道をつなげさせる役割を果たす場合が多い。「質問」は「素人」であればあるほど率直であるから、その説明のために勉強し直し、あるいはあらたに学ぶことになる。それが私にとってはこの上ない先達となる。
最近の質問に、「ここの地形はどういうものか」というのがあった。
都内は北区飛鳥山公園の花見会場で発せられたため、とりあえず「山ではなく、平野」と答え、台地端の段丘と沖積低地にも言及したのだが、問いは「平野は川がつくりだしたというが本当か」とつづいた。
そうして「アメリカやカナダの平野も見たが、川がつくったとはとうてい思えない」「(最近よく話題になる)プレートテクトニクスがつくったものではないか」という意見が追いかけてきた。
海外旅行体験皆無の貧乏人で、仕事が終わればただちに帰る数回の海外出張しかもてず(そのうち1回は単身1ヵ月弱の結構長期だったが)、近年もっぱら東京を中心とした微地形を追ってきた者としては、これは意表を突かれた形の質疑であって、せいぜい「(日本列島の)関東平野と大陸の平野を直接比較することはできない。地形とそれをつくりだした時間のスケール、営力のステージがまったく異なるからである」といった答えしか返すことができなかった。
念頭にあったのは「斉一説」にもとづいた「大きな地形は長大な時間」「小さな地形は短小な時間」であるが、それも近年は一般的には使えなくなった。地球の歴史において「破局説」(激変説・天変地異説とも)で説明する事蹟が増えたからである。
さて「平野」であるが、日本最大の関東平野といえども、中国やヨーロッパ、南北アメリカ大陸など海外に存在する大きな平野と同列に論ずることはできない、というのは間違いではない、というよりまったく正しい。
しかしもっとも基本として用意すべきは、平野は大別して「侵食平野」と「堆積平野」の2種類があり、日本列島の平野は基本的に後者である、という答えであった。
構造平野は前者の代表であるが、古生代や中生代の地層(いずれも岩盤)が水平状態を保ちつつ侵食を受けてできあがったそれは、南北アメリカやアフリカ、ユーラシア大陸のような安定陸塊のみに存在し得、日本列島のような地殻変動のとりわけ活発な新期造山帯には存在余地がないからである。プレートテクトニクスはもちろん地形営力の基本のひとつだが、その力は新期造山帯に顕著にあらわれる。ただし日本列島の平野をつくりだした営力は、直接的には河川のそれであり、プレートテクトニクスではない。
世界的にみればまことに小規模な関東平野は、川がつくりだした。それも川の堆積作用がつくりだしたのであって、侵食作用ではないのである。その堆積作用がつくり出した関東平野も、地形としては3種類に区分される。丘陵、台地、低地である。台地は基本的に扇状地である。低地は沖積低地や三角州である。ただし丘陵は堆積後に、小河川の侵食作用によっていまの形状がつくりだされた。各々の形成過程(時間)は別物である。
強靭な護岸堤防の内側に住む現代人は、そこがほとんど定期的に訪れた溢水がつくりあげた土地であることをとうの昔に忘れてしまった。その一方で、台風後茶色い土石流が流れ下る映像の刷り込みがあるから、川の作用に「堆積」があることはイメージし難い。ましてそれに類した現象が、この土地をつくりだしたとは思いもよらない。しかし、われわれの主要な生活舞台である平野は、「洪水」がつくりあげてきたと言っていいのである。「埋立」や「干拓」も人間による川の堆積作用への便乗増幅であって、「人為」は時間のステージを転移させれてみれば「自然」に含まれる。
日本列島の地形は地球表面上きわめて「特殊」であって、規模小さく、しかし動き(活動)と危険度は群を抜いて著しい。つまり脆弱である。これを理解していないと、マンガのように深刻な悲劇に巻き込まれる。例えば54基も「原発」を立地させながら、事故の対処もほとんどできていない(放射性物質の「露天掘り」「ただ漏れ」状態継続中。本ブログ2013年11月参照)のはその典型である。