先達とは、その分野のオーソリティのことを言うのだろうが、当方にとってはそれは「素人」にほかならない。
まがりなりにも大学で教壇に立つ者として、先達とは第一義的には先行研究者(とその業績)だが、学問を正式に修めていない当方にとって、教えるということはその先達の膨大な森に分け入って、自分なりの細道をたどりなおす作業でもある。
だから指導している学生や案内している履修者から発せられる思いもかけない質疑事項は、当方の理解程度や修学の欠陥を衝き、あらためて途切れ途切れの細道をつなげさせる役割を果たす場合が多い。「質問」は「素人」であればあるほど率直であるから、その説明のために勉強し直し、あるいはあらたに学ぶことになる。それが私にとってはこの上ない先達となる。

最近の質問に、「ここの地形はどういうものか」というのがあった。
都内は北区飛鳥山公園の花見会場で発せられたため、とりあえず「山ではなく、平野」と答え、台地端の段丘と沖積低地にも言及したのだが、問いは「平野は川がつくりだしたというが本当か」とつづいた。
そうして「アメリカやカナダの平野も見たが、川がつくったとはとうてい思えない」「(最近よく話題になる)プレートテクトニクスがつくったものではないか」という意見が追いかけてきた。

海外旅行体験皆無の貧乏人で、仕事が終わればただちに帰る数回の海外出張しかもてず(そのうち1回は単身1ヵ月弱の結構長期だったが)、近年もっぱら東京を中心とした微地形を追ってきた者としては、これは意表を突かれた形の質疑であって、せいぜい「(日本列島の)関東平野と大陸の平野を直接比較することはできない。地形とそれをつくりだした時間のスケール、営力のステージがまったく異なるからである」といった答えしか返すことができなかった。

念頭にあったのは「斉一説」にもとづいた「大きな地形は長大な時間」「小さな地形は短小な時間」であるが、それも近年は一般的には使えなくなった。地球の歴史において「破局説」(激変説・天変地異説とも)で説明する事蹟が増えたからである。

さて「平野」であるが、日本最大の関東平野といえども、中国やヨーロッパ、南北アメリカ大陸など海外に存在する大きな平野と同列に論ずることはできない、というのは間違いではない、というよりまったく正しい。
しかしもっとも基本として用意すべきは、平野は大別して「侵食平野」と「堆積平野」の2種類があり、日本列島の平野は基本的に後者である、という答えであった。

構造平野は前者の代表であるが、古生代や中生代の地層(いずれも岩盤)が水平状態を保ちつつ侵食を受けてできあがったそれは、南北アメリカやアフリカ、ユーラシア大陸のような安定陸塊のみに存在し得、日本列島のような地殻変動のとりわけ活発な新期造山帯には存在余地がないからである。プレートテクトニクスはもちろん地形営力の基本のひとつだが、その力は新期造山帯に顕著にあらわれる。ただし日本列島の平野をつくりだした営力は、直接的には河川のそれであり、プレートテクトニクスではない。

世界的にみればまことに小規模な関東平野は、川がつくりだした。それも川の堆積作用がつくりだしたのであって、侵食作用ではないのである。その堆積作用がつくり出した関東平野も、地形としては3種類に区分される。丘陵、台地、低地である。台地は基本的に扇状地である。低地は沖積低地や三角州である。ただし丘陵は堆積後に、小河川の侵食作用によっていまの形状がつくりだされた。各々の形成過程(時間)は別物である。

強靭な護岸堤防の内側に住む現代人は、そこがほとんど定期的に訪れた溢水がつくりあげた土地であることをとうの昔に忘れてしまった。その一方で、台風後茶色い土石流が流れ下る映像の刷り込みがあるから、川の作用に「堆積」があることはイメージし難い。ましてそれに類した現象が、この土地をつくりだしたとは思いもよらない。しかし、われわれの主要な生活舞台である平野は、「洪水」がつくりあげてきたと言っていいのである。「埋立」や「干拓」も人間による川の堆積作用への便乗増幅であって、「人為」は時間のステージを転移させれてみれば「自然」に含まれる。

日本列島の地形は地球表面上きわめて「特殊」であって、規模小さく、しかし動き(活動)と危険度は群を抜いて著しい。つまり脆弱である。これを理解していないと、マンガのように深刻な悲劇に巻き込まれる。例えば54基も「原発」を立地させながら、事故の対処もほとんどできていない(放射性物質の「露天掘り」「ただ漏れ」状態継続中。本ブログ2013年11月参照)のはその典型である。

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