Archive for 3月, 2018

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三愚節 ―虚偽決済について

万愚節明けて三鬼の死を報ず
(「夜の風鈴」〈自昭和三十九年至昭和四十三年〉所収)

万愚節すなはち天主教の万聖節に付会せるApril fool’s day いはゆる四月馬鹿なり。
西東三鬼死去1962年(昭和37)4月1日午後0時55分にて、渡辺白泉新聞紙上にてその訃を知るらし。享年61と10カ月ほどなりき。

三鬼『俳句』誌(角川書店。1956年10月~翌7月三鬼同誌編集長たり)に「俳愚伝」を連載せしは1959年なれば、掲句三鬼とともに新興俳句旗手の一人たりし白泉その「愚」を符合させたるものなり。然りして「新興俳句弾圧事件」(京大俳句弾圧事件)にてともに逮捕さるも、逮捕劇に泳ぎ戦後俳壇中央に場を得たる三鬼と「われから孤高の天地」を選びし白泉の落差明らかなり。掲句「万愚」および「訃」ならず「死」てふ語に籠めし屈錯知るべし。

さりながら「倭」すなはち「長いものに巻かれろ式に従順」(小堺昭三『密告―昭和俳句弾圧事件』1979)の民俗こそ愚なれ。虚偽決済文書通行せば近代国家、立憲法治国家にあらず。政官民三愚節、列島浮かれの春明くれば衰亡これ必定なり。【評林 白泉抄19】

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比較読書 1万年の現在50

「本は伝統工芸品となる」と言った人がいるが、実感である。
モノとしての扱い方から紹介して、その魅力を具体的に「伝授」しなければ、すくなくともこの日本列島は数十年以内に一生本に縁遠い人間が圧倒的多数派となろう勢いである。
もちろんネット読書、デジタル読書もありえるし、今後は読書はそちらが主流となるだろう。
しかし、モノとしての本の意義と魅力はまた別位相に存在する。

それを知ってもらうために大学生の「読書基礎教育」が必要だとかんがえ、課題図書をリスト化し履修にはそのレポートを必須とした。
大学図書館にない文庫本やジュニア本も、結構用意した。
しかし、実際は読まないであらすじや感想をネットから拝借して書いたと思われる例が少なくなかった。
つまり単に「課題」として読書レポートを書かせるのは無意味なのだ。

今では授業の何日かを選んで、その時間内に比較的読みやすそうな本を選択してもらい、その場で実際に読んでもらうことにしている。
そうしてこの春からは、さらにその本に関連した作品を選び、両者を比較したレポートを提出してもらおうと思っている。
それと同時に、モノとしての本に親しむこと、その意義と面白さを伝えねばならないのだが、それはあるいは大道芸のようなものになるかも知れない。もちろん大道芸が披露できればそれでよいのだが。
リストのメイン・タイトル数は、この3年間で200から100、そして50へと減らした。
その結果のほどは、また後日。

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