4月 25th, 2015
《南北崖線》という「ネーミング」について ―『き・まま』4号に寄せて
JR中央線国分寺駅南の坂を下り、三叉路を左に曲ると、左手は「ブックショップいとう」である。そこで買ったセコハンの文庫本を手に、お向かいの「カフェ・スロー」で一休み。そのレジ手前のブックコーナーに並んでいた雑誌の表紙に「国分寺崖線を極める!!」とあってつい購入、そのまま自転車で研究室に向かう。
研究棟は、武蔵野面の開析谷斜面、新次郎池として知られたハケの際、つまり崖縁に立地しており、春の窓先はクヌギの新緑がまぶしい。それは黄緑というより金色に近い色相。たくさんの蘂が房状に垂れ、亭々たる木々の若葉とともに夕日を反射するからである。その向こう、立川面に展開する住宅地の屋根屋根と、多摩川沖積地を越えた彼方には多摩丘陵が横たわって(「多摩の横山」)いる。つまり、「国分寺崖線を極める」には恰好の場所。
「東京時層地図」の段彩陰影図から、大田区・品川区の一部。ピンは下から、池上駅、大森駅、高輪プリンスホテルの位置。池上付近に「南北崖線」は存在しない
2014年10月刊のオールカラー雑誌『き・まま』4号の26ページから33ページまで、8ページが「第2特集 国分寺崖線を極める!!」に充てられていて、当誌の編集者諸氏は立川市から大田区までの国分寺崖線を文字通り歩き通し、「極めた」ことがよくわかります。私も実は、国分寺崖線を起発から終尾地点まで歩き通したことはない。記事をあちこち読みながら、フムフム、そうかここは行かなくちゃ、などと大変参考になりました。
ところでそのうち1ページは独立した記名コラム記事。冒頭に以下のような記述があって、こちらは大変驚きました。
「国分寺崖線は、古多摩川によって形成された河岸段丘のひとつです。/立川市砂川九番付近に始まり、最終的に大田区西嶺町から千鳥付近で南北崖線(こちらは海によって作られた海食崖)とつながっています。湧き水が豊富であったために古くから人々が住み、縄文時代の古墳があちこちにあります」
縄文時代に古墳は存在しない。古墳とは、古墳時代の特殊な埋葬遺跡に対する称だからです。正しくは「(崖線の上に沿って)縄文時代の遺跡や古墳時代の遺跡(古墳)があちこちにあります」でしょう。編集者も見過ごした、単純な誤記か。ちょっと歴史を勉強した人であれば、笑って済ませられることだから、それほど問題がないかもしれないけれど、もうひとつのほうはそうはいかない。
「南北崖線」というタームが、あたかもそうした地形が実在すると言わんばかりに使用されているのには困ったものです。
たとえば大田区のホームページ「05:池上」には「池上本門寺周辺は、南北崖線という起伏のある地形により、多くの坂道があります。また、崖線の緑は社寺の背景になっており、区の花である梅の名所である池上梅園もそれに連なっています」(https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/sumaimachinami/machizukuri/keikan/18syoku/05_ikegami.html)
とあって、一般の人が読めば、大田区池上にはそんな崖線、つまり急勾配の連続した斜面が南北に連なっているのか、と考えてしまうでしょう。
しかしそれはまったくの誤りである。池上周辺は南北崖線どころか、呑川の谷を中心に入り組んだ谷が集中する複雑侵食地形地帯である。単純な海食崖の「南北崖線」なら、坂はほとんどが東に下る、あるいは西に向かって上る急坂でなければいけないが、そのような現実は存在しない。
この「南北崖線」という誤った用語の淵源は、1994年(平成6)年発表『東京都都市景観マスタープラン』に登場した「南北崖線軸」という言葉にあると思われます。
そこでは「景観基本軸の景観形成基本方針」として「11の景観基本軸」が挙げられ、「景観基本軸は、東京の景観構造の骨格となっている河川、崖線や幹線道路等を中心とした帯状の地域です。東京の景観づくりをすすめていく上で、特に重要と考えられるもので、積極的な景観形成をすすめていくことが重要です。/マスタープランでは、下町水網軸、隅田川軸、南北崖線軸、都心東西軸、臨海軸、玉川上水・神田川軸、多摩川・国分寺崖線軸、武蔵野軸、丘陵軸、山岳軸、島しょ軸の11の景観基本軸を設定しています」と謳うのでした。
そうして「南北崖線軸」については、「城北から都心を通り城南に至る武蔵野台地東端の崖線に沿った緑の多い軸」とし、「南北崖線軸では、公園緑地や樹林地などをネットワーク化した緑の回廊づくりを中心に崖線の緑をつなぎ、地形や自然を重視した景観づくりをすすめます。/あわせて歴史的・文化的背景を生かした街並みづくり、眺望点の確保など、緑ゆたかな歴史と文化の薫る街を育成していきます」としている。
結局のところ、「南北崖線」ならざる「南北崖線軸」とは、「マスタープラン」作文中の仮用語であったにすぎない。まして「南北崖線」には、地形学的あるいは地質学的な見識は不在でした。
なぜならば、地形・地質上の固有名詞には、模式地を指定した後、対象域のうちもっとも知られ、また適切な地名を選んで命名するのが正しいのであって、場所を特定できない普通名詞、この場合は単なる方位語は、避けるべき第一のことがらであるからです。つまり、「国分寺崖線」や「立川(府中)崖線」に対応できるような地形地名としては、「南北崖線」はそもそも存在し得ないのです。
だから、それは「景観」を言葉として恰好つける文章のなかに、「軸」を付けて用いられただけである。「南北崖線」などという無神経な用語がまかり通るとすれば、それは「東京」以外は目に入らない、「東京人」の蒙昧の故でしょう。武蔵野台地東端の海食崖ラインは、数多くの開析谷によって侵食され、まとまった形として「崖線」をなしているところはごく一部である。だからさすがの都官僚作文にあっても、「崖線」とは言わずに「崖線軸」とゴマ化している。
「崖線」という言葉は、残念ながらまだ一般語として市民権を得ているわけではない。だからこそ、現実対応としては混乱してしまう「南北崖線」なる語は用いるべきではない。
「景観」を大切にしたいのなら、おおざっぱな「線引」用語で「ケリ」をつけるのではなく、遺された「場所」を大切にするためにも、ティピカルな地形とよく知られた地名を用いて、「大森崖線」とか「赤羽崖線」とか、「日暮里崖線」「高輪崖線」とするのが望ましい。それをまとめて言いたいのなら、誤解を避けるために「赤羽―大森崖線ライン」と、少々複雑な言い方は避けられない。それは「日本語」に対する、「東京人」としての最低限の「作法」であるからです。
大田区は、都のナントカ局あたりの作文を鵜呑みにしないで、地元の矜持をもった認識を基本とすべきでしょう。またモノを書く若い人にも、クリティークはオリジナルな思考に欠かせないことに思い至ってほしいものです。