Archive for 10月, 2018

下の図は、参謀本部陸軍部測量局が1883年(明治16)に測図した五千分一東京測量原図全36葉のうち、「東京府武蔵国北豊島郡高田村近傍」図の一部である。
「銕砲坂」は右手上に明瞭に読み取れる。
右下には「蓮光寺」とあるが、この寺は現存する。

ついでに言えば図の上辺中央の「桂林寺」も健在である。
しかし鉄砲坂と蓮光寺の間の邸宅、これこそ鳥尾坂の説明板に言う「鳥尾邸」なのだが、それは現存しない。
鳥尾邸は、いまでは「関口台公園」の一画である。

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「鳥尾坂」そのものは、この図にはまだ見ることができない。
それは図中、鉄砲坂と鳥尾邸の間の距離をちょうど同じだけ南側に伸ばした地点、小さく「竹」の文字が見えるあたりを左右(東西)に通る坂道で、蓮光寺境内の北縁に沿って開削される坂道なのである。

つまり、鉄砲坂は鳥尾坂の「北側」にあたるのであって、「西側」と書いている鳥尾坂の説明板は間違いである。
インターネットのwikipediaなどでは、この「間違い」はそのまま拡散されている、というより質的に拡大して再生産されている。(つづく)

鉄砲坂とは、都内に複数ある同名の坂の一種で、幕末の風雲急なる時期の速成大筒場に関わる地名である。
東京都文京区目白台三丁目と関口三丁目の間には、音羽の開析谷壁を西側へのぼる傾斜角20度に近い狭隘な急坂があって、坂下には「鉄砲坂」の説明板が建てられている。

その鉄砲坂の半ばから南にトラバースすれば、「文京区立関口台公園」に至るが、公園から神田川の谷側つまりまた南に下る階段をたどるとそこは比較的幅広い坂道で、今度は「鳥尾坂」の説明板を目にすることができる。

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この説明書きを俎上に乗せるのであるが、時間の関係もあって今回はとりあえずその文言を写真で示すに止める。
「校正」という基本プロセスを予算化する習慣のない、お役所文書に付きものの誤記誤植の一例だが、誤りは文章だけ見ていてはわからないだろう。

動物一般がもつ空間・地図認知は、人間の言語・文字認知以前の基層である。
言語・文字認知(虚構の一種)が、始原的な空間・地図認知を軽視あるいは無視することによって誤謬に陥るのはよくあることで、これもその一例である。