下の図は、参謀本部陸軍部測量局が1883年(明治16)に測図した五千分一東京測量原図全36葉のうち、「東京府武蔵国北豊島郡高田村近傍」図の一部である。
「銕砲坂」は右手上に明瞭に読み取れる。
右下には「蓮光寺」とあるが、この寺は現存する。

ついでに言えば図の上辺中央の「桂林寺」も健在である。
しかし鉄砲坂と蓮光寺の間の邸宅、これこそ鳥尾坂の説明板に言う「鳥尾邸」なのだが、それは現存しない。
鳥尾邸は、いまでは「関口台公園」の一画である。

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「鳥尾坂」そのものは、この図にはまだ見ることができない。
それは図中、鉄砲坂と鳥尾邸の間の距離をちょうど同じだけ南側に伸ばした地点、小さく「竹」の文字が見えるあたりを左右(東西)に通る坂道で、蓮光寺境内の北縁に沿って開削される坂道なのである。

つまり、鉄砲坂は鳥尾坂の「北側」にあたるのであって、「西側」と書いている鳥尾坂の説明板は間違いである。
インターネットのwikipediaなどでは、この「間違い」はそのまま拡散されている、というより質的に拡大して再生産されている。(つづく)

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