9月某日
東京電力から補償金請求案内が届く。
1 今回の補償金について
2 本冊子における用語の定義
3、4、・・・と続く、悪評高い160ページ近くの説明書と請求書、同意書の数々。まず自分たちがどのカテゴリーに入るかを分類することからして一仕事だ。そこから一ヶ月ごとに、
A 避難所、体育館、公民館
B ホテル、旅館、ご親戚宅、仮設住宅、賃貸住宅等
C 自宅
のどこにいたのかをチェック、これが「避難生活等による精神的損害にかかる請求明細」。
移動は「同一都道府県内の移動」なのか「都道府県を越える場合の移動」なのか。
それは「自家用車による移動」なのか「その他の手段による移動」なのか。
「家財道具移動」も同様のチェック。
「標準交通費一覧表」が「自家用車」「その他の交通機関」用が宅急便の料金表のようについている。
「一時立ち入り」は何月何日だったのか、「都道府県内移動」だったのか、「都道府県外移動」だったのか・・・という具合に事細かなチェックが60ページ近く続く書類が一人に一冊ずつ。
それに、あとは文句を言いません、という同意書。
領収書、事業所・病院などの証明書を添付。
そしてそれらが認められれば、仮払いとの精算になる。
精算の結果が仮払補償金を下回る場合はゼロとなる。
避難せずにじっと耐えていた人達に補償はほとんどない。
これ、経費扱い?
原発事故の避難は東京電力の社員の出張と似たようなものですか?
なぜこんな間違いに気付いてもらえないのでしょう。
賠償してもらいたいのは、放射能の恐怖と被害に、肉体的、精神的にさらされてしまったこと、
築き上げてきた生活が一瞬にして切断されてしまったこと、
その先の見えない暗闇に対してであって、
“避難と休業の経費のお支払い”ではないのです。
呆れる。
・・・・・
以上は、東京電力福島第一原子力発電所から30キロ圏内にある、川内村の知人のたよりにあったものの転載。
ちなみにわが社の在庫置場(倉庫)は、その川内村にある。
十年以上前に別荘として購入したものだが、今となってはそれを売ることも担保にすることもできなくなった。
別荘や倉庫は補償の対象外だという。
そこに住んでいない我々としては、逆に、村人の避難先に義捐金をもって訊ねなければならないと思い、実際、事故一ヶ月ごにそうした。
しかし、東京電力は、史上最大級の環境犯罪の現行犯である。
その当事者に、こうした「身の程知らず」な態度をとることを許している政府は、その存在理由が問われることになるだろう。
ただお湯を沸かして、タービンを回すだけの施設。
それが原発であったとは、今回多くの人が気付いた事実だった。
単なる蒸気機関。
それなら、どうしてこれだけの、巨大な事故災害がおこるのか。
吉本隆明氏は言う。
「原発をやめる、という選択は考えられない。発達してしまった科学を後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。(略)お金をかけて完璧な防禦装置をつくる以外に方法はない」(日経新聞、2011年8月6日朝刊)と。
この人の論は、「自立」という言葉で一括される。
戦争体験と戦時転向をえぐり、徹底した個の立場からもの申したわけだ。
いまだに信奉者も少なくない。
コピーライターの糸井重里なる人物もその代表格らしい。
かく言う本人も、10代の終りにはかなり影響をうけた。
吉本氏はまた、原発は「燃料としては桁違いに安い」という。
冗談ではない。
お湯を沸かす燃料としては確かに安い。
けれども原発システムのほとんどは、「制御」技術なのだ。
運転制御だけではなく、「安全対策」や、「使用済核燃料」の処理制御も含めると、その経費は実に膨大なものになる。
官政財学報の相互利権で成り立つ「原子力村」の活動の結果、細長い地震の巣のような列島に、54基もの原子炉がひしめいている。
しかしその原子炉も、通常でさえ「稼働率30%」、現状は20%以下。
経済原則もなにもあったものではない。
「持って行き場」のない膨大な放射性廃棄物を産む原発プラントは、「トイレのないマンション」に例えられるが、それはちがう。
糞尿は微生物が分解してくれるが、放射性物質の影響は煮ても焼いても変化しない。
それはただ「時」が解決するだけである。
しかしその「時」は、人間の「歴史」のおよばない「万年」の彼方である。
巨大な「国費」を注入して原発が無理やり「立地」し、維持されるのは、「科学の発達」のためではない。
政治的な理由が存在する。
それは、「原爆」である。
「核兵器」をもたない国家は、国際政治のうえで「自立」しえない、という官僚・政治家を中心とした力学認識があって、「原発」」はその「国防」の潜在力として、文字通り「力づく」で維持されているからだ。
だから、かれらにとってこそ「原発をやめる、という選択は考えられない」のだ。
なにがなんでも原発体制を維持するのが官僚たち、そして「原発村」の本音であり、「ストレステスト」などはアリバイ工作の一環にすぎない。
しかし、その「国防の拠点」こそ、実はミサイル攻撃の恰好の標的である。
原発プラントを複数同時攻撃されたら、「安全」も「防衛」もあったものではない。
狭小な列島上に逃げ場はない。
原水爆そのものの破壊力や放射線の影響よりも、原発プラント破壊による放射性物質拡散、そして汚染とその結果は、実は桁違いに深刻だからだ。
3・11は、「日本」という現代国家の「国防」上の最大の弱点を、満天下に曝(さら)したのである。
だから、これを「第二の敗戦」というのは、正しい認識である。
旧軍部と政治指導者そして臣民は、制空権を奪われてなお敗戦を認めず、主要都市のほとんどが火炎のなかに投じられ、人々は逃げまどい、何十万という数の「銃後」の人間が焼死した。
そうして今日、成功も失敗も五分五分のようなミサイル迎撃(MD)システムの構築に、毎年莫大な金が投ぜられている。
この、愚かな「金がらみ力づく構造」に説き及ばない、いかなる原発論も「国防」論も無効である。
第二の敗戦期に、「占領」という「他力」をたのまず、自ら省し、「自立」できるか否か、それが問題なのだ。
1983年に発売されたチェッカーズのデビュー曲は、康珍化作詞、芹澤廣明作曲の「ギザギザハートの子守唄」だった。
筆者は20年ほど前、時々この曲をカラオケで歌って顰蹙を買ったものだ。
近年は歳相応に衰え、酔うために朝方まで酒を呑む、というようなこともなく、加えて昨今は呼吸器系統がダメージを受けて、いまだそれをひきずっているものだから、歌の記憶からは遠ざかる。
しかし、「ギザギザ」には突然遭遇してしまう。
人と話をしていて、お互い急にギザついた感じになってしまうのだ。
「被曝」の影響などという話題に不期して触れてしまうとき。
観点を異にした者どうしがそれぞれマグマをかくしもっているものだから、互いに鎧袖一触。
A)
「被曝の影響などと言うが、煙草の害や排気ガスと比べると、そちらの方が深刻」
「内部被曝の影響を心配して、子供に給食を食べさせず、弁当をもたせるような親は、自分の子供のことだけを考えている(そういう親はデモにも行かないだろう)」
「被曝の影響が実証されないかぎり、言い立てるのはおかしい」
B)
「被曝は空気や水、食物にかかわる万人の問題で、煙草や排気ガスなどの汚染と比較してはいけない」
「被曝を避けたり逃れたりすることのできる者はそうすべき(生物として自然の行為には、卑怯もエゴもない)」
「被曝の影響は事故を概括して考えるべき。チェルノブイリ(1炉事故・短期間)と、フクシマ(3炉+4燃料プール・いまだ未収束)を比較しただけでも、今回の事故の巨大さが判断できる」
以上は、Bの側からのまとめだから、衡平を欠くものだろうが、手掛かりのためにとりあえず掲げてみた。
ニュアンスの違いや漏らした論点も多いかもしれないが、こんなものだろう。
排気ガスや煙草の害といったステージのまったく異なるものを引張り出す手法は3・11当初から存在していたが、それがリアリティあるもののように主張され、受け入れられえるのも、首都圏に住まう人間にとっては、現状肯定、日常化現象が必要だからなのだろう。
しかし、本当に「ギザギザ」なのは、巨大な原発「事故」そして人類史上空前の被曝という「人災」に対して、司法がまったく動かないことだ。
昨今の「オリンパス粉飾事件」ですら、東京地検は「幹部聴取」を開始するという。
強きに弱く、弱きに強い、のが司直の常だとすれば、中国あたりを「法治国家ではなく人治国家」などと言っていられないはずだ。
知人に示唆されて、あらためて幸田露伴の高名な文章にひととおり目を通してみた。
岩波文庫『一国の首都』のタイトルには、「他一篇」と付けたりがあって、その短い一篇は「水の東京」なのだが、そちらは必要があってすでに馴染みの文章であった。
しかし、メインの「一国の首都」を通読するようには、食指が動かなかった。
明治32年11月、一気呵成に書かれたといわれるが、現代人にとっては見慣れぬ漢語をちりばめ、見出しや章区切りもない、11万字余りのその文は、気軽に読み下せるものではない。
そうしてまた、劈頭の一文からして、その後を目で追う気を失わしめるのである。
曰く、「一国の首都は譬(たと)へば一人の頭部のごとし」と。
確かに「首都」というタームからしてみればそうだろう。
しかし、これは明らかにcapital cityの翻訳語であって、その本意は「首都」ではなく、「主都市」なのだ。
ひとつの国家を前提とし、その政治の府たる場を人体の頭部に比喩するのは、きわめて凡庸な「アジア的」スタイルである、としか言いようがない。
岩波文庫の巻末には中野三敏が注し、大岡信が解説を書いているが、それによると、書誌学者にして明治文学研究で知られる柳田泉はその著『幸田露伴』(昭和17年)のなかで、「一国の首都」は「曠世の奇文」であり、「この一文だけでも露伴の名は永久に伝はることが出来たらう」と絶賛している由。
大岡もつづけて、この文に「何らかの意味で匹敵しうるだけの包括的で懇切丁寧な東京論を書き得た人が他にいただろうか」と問い、「一人もいない」と結論づけている。
果してそうか。
3・11以降の事態は、従来の都市論や首都論がまったく説きおよばなかった異貌の東京の姿を露出させた。
そうして、実はその異貌の東京は、明治30年の3月に、足尾銅山鉱毒被害地の住民2000人が徒歩東京を目指し、警察の阻止線を突破した800人が日比谷に集結した時にも、また水俣病患者の代表らが上京した昭和44年4月にも、厳然として存在していたのである。
幸田露伴の「一国の首都」の後半35ページ、つまり全体の30パーセントあまりが、都市における「娼家制度論」となっていて、露伴の「博識」のほとんどはここに表れているのであって、まっとうな都市論としてはすでにバランスを失している。
その情熱、その博識、その文章力において、多分露伴は何人をも寄せ付けない、ぬきんでた才をもった人物であったろう。
しかし、その人物や才能と、そこから生み出された作品とは区別されなければならない。
今日この「都市論」は、及びもつかないと仰ぎ見られるのではなく、その内実に沿って、批判的に読まれるべきである。
そうして、この文章から今日くみ取るべきものがあるとすれば、例えば、駅前に簇生せる簡易賭博場(パチンコ、スロットの類)や簡易買売春店舗(テレクラの類)、そしてサラ金事務所とそれらの看板を一掃できないのは、すでに政治と民心が江戸後半あるいは末期の様相を呈しているからである、という読み換えが可能だという点にあるだろう。
東京は、そして「首都圏」は、ストロンチウムを持ち出すまでもなく、いまたしかに、末期の姿を呈しているのである。
「地方出版の雄」のひとつに数えられた福岡の葦書房から、その本が出たのは1980年の11月だから、30年以上昔のことになる。
上に掲げたタイトルをもった書物のことだ。
気になって、ずいぶん探して書函の底から引張り出し、再読してみた。
著者は、その18年後に同書肆から『逝きし世の面影』を上梓し、和辻哲郎文化賞を受賞することになる渡辺京二氏である。
3・11を契機に赤裸々に露出した、日本における[首都/地方]のグロテスクな図式を、どのようにこの伝説的著者は「解」したのだったか、それを確かめたかったのである。
氏の、「都と田舎の関係」についての予言はこうであった。
「東京対地方という問題の立てかたの根拠は、進展する全国的な都市化の波、劃一的均質化の動向によって、遠からず消滅するだろう」と。
もちろんこれは、都市化の波を危惧し、「地方の復権」を異口同音に求める「地方文化人」のなかにあって、反語的に主張された論であった。
しかし、「突出した首都」という、「古代的」あるいは「アジア的」な構図は、すくなくとも「遠からず消滅する」ことはなく、むしろ「首都の懸絶した大きさ」は、今日の世界的現象として指摘される。
あるいは、1%と99%のうち99%の半数以上が、首都に吸い上げられ、漂わざるを得ないのが現況であると言い換えてもよい。
氏の立論が、「地方文化人」たちの俗論に対する反動の域を出なかったのは明らかである。
「田舎」がいかに「電化」あるいは「情報化」され、コンビニが遍在し、ゴミ回収車がくまなく集落をまわるようになり、風景が均質化されたとしても、それが「都と田舎」の平準化を結果したわけではない。
なぜならば、人間そのものの「能力」序列において、その頂点から首都に回収され、国家に序列化される社会的価値のヒエラルキーはむしろ高次化したからである。
「価値」は、一極から垂れ流される。
それは、現代社会の「グローバル」な結合と、高度複雑化によって、必然的に巨大化する国家官僚システムと世界資本の運動にパラレルな現象である。
かつて「都市論」や「国家論」がジャーナリズムをにぎわせた時代があった。
羽仁五郎の『都市の論理』という書物はそのひとつであったが、今日それを顧みる者は誰もいない。
対して、増田四郎の『都市』は、なお味読に値する名著と思われる。
ただし両著の論旨は、ギリシャ-ヨーロッパ史の一定時期、都市は国家に包摂されず、分立、拮抗しており、制度としての商人・職人のギルドも、社会の分節として実効されていて、その「記憶」こそ「民主主義」の、実際上の淵源であった、という点で一致していた。
しかし、その規範としたヨーロッパ史自体が、歴史的思想的相対化を避けえない領域に、人類は踏みこんでしまったのである。
あるいはこう言い換えてもよい。
生物としての人間存在(人口)と、その空間的結合度の規模が、「民主主義」で解決できるほどのスケールを超えてしまったと。
つまり「現代世界」の、すくなくとも政治経済の一側面は、分節した「地域」と「社会」を備えたヨーロッパ式結合ではなく、国家官僚がすべてを統制する「古代アジア的形式」にかぎりなく近接するのである。
これを、「中国の世界化」あるいは「世界の中国化」と言えば、口が過ぎるだろうか。
「地方」の「都市化」とは、そのような世界的変容の末端現象であった。
渡辺京二氏の、30年前の楽観論の破綻の先に見えてきたのは、今日の「世界」の、すくむような立ち位置そのものである。
都心部の高級賃貸マンション、その多くは「外人」が利用していたのだが、その価格が半値ちかくにまで下がっているという。
六本木ヒルズの「外資系」オフィスも、実質ガラ空きという話もある。
「風評」とは、流言蜚語ではない。
株価同様、市場原理のひとつである。
そのかぎりにおいて、風評はモノの価値あるいはそれがおかれた実態を正しく指し示す。
「岡目八目」ということは常にある。
天津や大同あたりで原発事故が起きたら、北京在留の日本人の多くはさっさと引き上げるか、上海に拠点を移しただろう。
危機は、傍目にこそ明白に、あるいは的確に映るのである。
日本人の多くは、職場や学校の関係上、そう容易くは動けない。
だから、「現状」に合わせるように、希望的に、将来を「観望」するのだ。
そうして、多くの日本人の、とりわけ働き盛りの男性が口にするのは、表題のような「そのときは そのとき」という科白である。
しかし、「そのとき」どうするというのだろう。
多分何も出来ない。
自分の頭で考えることを放棄した人間に、自分の次なる行為を選択する余地はないからだ。
政府や行政、消防や警察の勧告や指示に従って、黙々と行動するしかないのだ。
それすら機能しなくなったときは、パニックに陥って、やみくもに遠くに移動しようとするだろうか。
ここに2冊の本がある。
佐々木孝著『原発禍を生きる』(論創社、2011年8月20日刊)。
鐸木能光(たくきよしみつ)著『裸のフクシマ』(講談社、2011年10月15日刊)。
世代は異なるものの(前者は1939年生まれのスペイン思想史家。一方は1955年生まれの作家)、著者はともに上智大学出身。
そうして、ともに「東京」のために引き起こされた、史上最悪の人災下に今なお住み続けている人々のひとりである。
その「地域」からの言葉は鮮やかであり、重く、飄逸ですらある。
とりわけ佐々木氏の著書の65ページに記載された、以下のような「実話」は、人間の究極の「尊厳」というものを示しているように思う。
珠玉の一節である。
「時おりあのおばあさんの姿が目の前にちらつく。双葉町だったか、10キロ圏内ながら迎えに行った役場の人に向かって避難することを丁重に断って家の中に消えたあのおばあさんである。その後あのおばあさんはどうなったかは知らない。しかし毅然とした彼女の態度が、胸に深く刻まれたままである。
確かにあのとき、家の中には病人のおじいちゃんがいたのではなかったか。「私は自分の意思でここに留まります」といった意味の老婆の言葉に、困惑した迎え人がつぶやく、「そういう問題じゃないんだけどな!」
いやいや、そういう問題なんですよ。君の受けた教育、君のこれまでの経験からは、おばあちゃんの言葉は理解できるはずもない。ここには、個人と国家の究極の、ぎりぎりの関係、換言すれば個人の自由に国家はどこまで干渉できるか、という究極の問題が露出している。」
そうしてこの場合、「国家」とは「地域」に、「迷惑施設」を強制した挙句、文字通り未曾有の災害を引き起こし、人を「根こぎ」に追い立ててなお平然を装う下手人本人にほかならないのだ。
われわれ一人ひとりが、圧倒的な物理力と強制力をもつ「国家」を相手に、なお尊厳を失わないとすれば、それはどのようなことなのか、われわれがどのような時代に生きているのか、この文章は指し示しているように思われる。