11月 2nd, 2011
そのときは そのとき
都心部の高級賃貸マンション、その多くは「外人」が利用していたのだが、その価格が半値ちかくにまで下がっているという。
六本木ヒルズの「外資系」オフィスも、実質ガラ空きという話もある。
「風評」とは、流言蜚語ではない。
株価同様、市場原理のひとつである。
そのかぎりにおいて、風評はモノの価値あるいはそれがおかれた実態を正しく指し示す。
「岡目八目」ということは常にある。
天津や大同あたりで原発事故が起きたら、北京在留の日本人の多くはさっさと引き上げるか、上海に拠点を移しただろう。
危機は、傍目にこそ明白に、あるいは的確に映るのである。
日本人の多くは、職場や学校の関係上、そう容易くは動けない。
だから、「現状」に合わせるように、希望的に、将来を「観望」するのだ。
そうして、多くの日本人の、とりわけ働き盛りの男性が口にするのは、表題のような「そのときは そのとき」という科白である。
しかし、「そのとき」どうするというのだろう。
多分何も出来ない。
自分の頭で考えることを放棄した人間に、自分の次なる行為を選択する余地はないからだ。
政府や行政、消防や警察の勧告や指示に従って、黙々と行動するしかないのだ。
それすら機能しなくなったときは、パニックに陥って、やみくもに遠くに移動しようとするだろうか。
ここに2冊の本がある。
佐々木孝著『原発禍を生きる』(論創社、2011年8月20日刊)。
鐸木能光(たくきよしみつ)著『裸のフクシマ』(講談社、2011年10月15日刊)。
世代は異なるものの(前者は1939年生まれのスペイン思想史家。一方は1955年生まれの作家)、著者はともに上智大学出身。
そうして、ともに「東京」のために引き起こされた、史上最悪の人災下に今なお住み続けている人々のひとりである。
その「地域」からの言葉は鮮やかであり、重く、飄逸ですらある。
とりわけ佐々木氏の著書の65ページに記載された、以下のような「実話」は、人間の究極の「尊厳」というものを示しているように思う。
珠玉の一節である。
「時おりあのおばあさんの姿が目の前にちらつく。双葉町だったか、10キロ圏内ながら迎えに行った役場の人に向かって避難することを丁重に断って家の中に消えたあのおばあさんである。その後あのおばあさんはどうなったかは知らない。しかし毅然とした彼女の態度が、胸に深く刻まれたままである。
確かにあのとき、家の中には病人のおじいちゃんがいたのではなかったか。「私は自分の意思でここに留まります」といった意味の老婆の言葉に、困惑した迎え人がつぶやく、「そういう問題じゃないんだけどな!」
いやいや、そういう問題なんですよ。君の受けた教育、君のこれまでの経験からは、おばあちゃんの言葉は理解できるはずもない。ここには、個人と国家の究極の、ぎりぎりの関係、換言すれば個人の自由に国家はどこまで干渉できるか、という究極の問題が露出している。」
そうしてこの場合、「国家」とは「地域」に、「迷惑施設」を強制した挙句、文字通り未曾有の災害を引き起こし、人を「根こぎ」に追い立ててなお平然を装う下手人本人にほかならないのだ。
われわれ一人ひとりが、圧倒的な物理力と強制力をもつ「国家」を相手に、なお尊厳を失わないとすれば、それはどのようなことなのか、われわれがどのような時代に生きているのか、この文章は指し示しているように思われる。