「事典」というのは、この1月20日に掲げた書評にも書いたように、エンサイクロペディアの商品名であった。
出版の劣化に伴い、図書館購入をアテにした中身の薄い羊頭狗肉の「事典」が目白押しであるが、そうしてこの本もエンサイクロペディアというよりは一口知識のオンパレードではあるけれども、進化論を下敷きとしたフィロソフィとその中身は侮れないものがある。挿絵も地味な色使い、とぼけを加味した図の味わいはなかなかよろしい。

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続、続々、さらに、ますます、と本シリーズは5冊。
出版界の「柳の下にドジョウ6匹」定説通り、いや、これを真似た「ざんねんなクルマ事典」や「ざんねんな兵器図鑑」まで登場した。
そうして、今年はこのシリーズがアニメやテレビ番組となるらしい。

BookOffで200円で買った手持ちの古書はその第1冊目だが、発行年を確かめるために奥付を見て驚いた。
それがどこにも記されていないのである。
高橋書店という、書籍よりはスケジュール手帳で知られた版元の出版のせいでもあるのか、カバージャケットの内側に「2016年8月25日発行」とあるのをようやく見つけた。
念のためネット検索すると、初版1刷は「2016年5月21日」らしい。
だから手持ちは重版本なのだが、書誌情報に無頓着というより意図的にそれを曖昧にするやりかたは、紙の本の自殺行為であるとはかつて指摘したことである。その点では、本シリーズも「ざんねんないまどきの本」の誹りを免れない。

ただここで言いたいのは、実は「ざんねんないきもの」の頂点に立ち、進化過程としても前例のない短命を運命づけられているのは、現生人類(ホモサピエンス)に他ならないということである。
その理由は言うまでもなく、火と水を「手に入れ」て地表に殖え過ぎた挙句、「核」(爆発物・燃料)まで「手にして」しまったこと、さらに言えばなお「理性」を頼りにして憚らないことにある。
その「進化」の果ては、「温暖化」論議などとはステージの異なるプロセスなのである。

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