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「地図文学傑作選」 その15

前回は澁澤龍彦の「ミニアチュール・フェチ」に寄り道したが、「ミニチュア」で思い出されるのは、その7・その8で言及した前田愛が「『美しい村』という作品は、『失われし時を求めて』を、その何十分の一かに縮小したミニチュアであるかのように思われてくる」と書いていることである(「堀辰雄『美しい村』」『幻景の街』1986年。初出は『本の窓』1984年新春号)。

堀辰雄は「プルウストの文体について」という小文の付記に「私はいくたびかプルウストを読み、そのつどこの大いなる作家に対する敬愛を深めて来た。今年の夏も私は一月ばかりプルウストを読んでゐた。このごろの私にとつてはこの比類のない作家が彼独自の新しい方法で絶えず人生の姿を明らかにしてゆく――その見事な過程のみならず、そこに漸次見出されてゆく人生の業苦のやうなものがひしひし胸に迫つて来るのである」と述べて、その傾倒ぶりを示した。しかし『美しい村』が『失われた時を求めて』の「ミニチュア」であるかないかは判断しかねる。

入院でもしないかぎり、20世紀を代表すると言われるプルーストの大長編を通読することはまずないだろう、と言うよりはその機に選ぶのはこの冗長な翻訳書ではなく、まずは中里介山のこれまた大長編『大菩薩峠』のほうだろうからである。
前田は『失われた時を求めて』の最終編「見出された時」に描かれたサン・ルー嬢と、『美しい村』の「夏」の章冒頭に登場する、向日葵に譬えられた黄色い麦藁帽子の少女を対応させた。
しかしその麦藁帽子の少女はその後堀と婚約し、サナトリウムで起居を共にするもほどなくして死別する矢野綾子(「風立ちぬ」の「お前」節子)その人の姿であって、「見出された時」は瞥見したかぎりだがサン・ルー嬢の描写とはとても比重が釣り合わない。そもそもプルーストは同性愛者だったのである。

さて、1933年(昭和8)に執筆された『美しい村』は堀の「軽井沢小説」のひとつで、野薔薇や躑躅の茂み、落葉松の小径やいくつかの「バンガロオ」などの描写とともに、作品の終盤に描かれた少女の面影が読者を魅了するのだが、その少女との「媒介物」として「地図」は次のように出現する。

或る日のこと、私は自分の「美しい村」のノオトとして悪戯半分に色鉛筆でもって丹念に描いた、その村の手製の地図を、彼女の前に拡げながら、その地図の上に万年筆で、まるで瑞西(スイス)あたりの田舎にでもありそうな、小さな橋だの、ヴィラだの、落葉松の林だのを印つけながら、彼女のために、私の知っているだけの、絵になりそうな場所を教えた。その時、私のそんな怪しげな地図の上に熱心に覗き込んでいる彼女の横顔をしげしげと見ながら、私は一つの黒子がその耳のつけ根のあたりに浮んでいるのを認めた。その時までちっともそれに気がつかないでいた私には、何んだかそれはいま知らぬ間に私の万年筆からはねたインクの汚点(しみ)かなんかで、拭いたらすぐとれてしまいそうに思えたほどだった。/翌日、私は彼女が私の貸した地図を手にして、早速私の教えたさまざまな村の道を一とおり見歩いて来たらしいことを知った。それほど私の助言を素直に受入れてくれたことは、私に何んとも言いようのない喜びを与えた。

「悪戯半分に」と「怪しげな」は韜晦の措辞である。その「地図」は実際に、明らかな意図のもとに、細密に描かれたのである。色鉛筆と万年筆を用いたというのだから、作品と言ってもいい。
しかしその「ノオト」が遺されることはなかった。それは、地図が役割を果たし終えたからである。ありていに言えば、一般に地図はまずもって当座の伝達メディア、すなわち「消耗品」としてこの世に出現するのである。

ところで堀の『美しい村』は1930年代もはじめに発表されたものだが、それから10年ほど前の1919年(大正8)、雑誌『改造』の8、9、12月号と都合3回にわたり掲載された相似形のタイトル作品は佐藤春夫の『美しき町』である。
方や「村」、こちらは「町」でしかも「美しき」と文語調である。サブタイトルに「画家E氏が私に語った話」とあるように、この作品は作中話の形式をとっているのだが、E氏の語りでは一貫して「美しい町」である。文語調のタイトルは、作品が「入れ子」であることを明示するもののようである。
1919年は「都市計画法」と「市街地建築物法」がはじめて制定された年で、佐藤の作品はそれをある意味で戯画化したものであった。すなわち「美しい町」は東京市中の一区画の建設計画で、プランニングに従事した画家E氏と老建築家、そしてそのプランナーであるE氏の旧友にしてアメリカ人の父親から莫大な遺産を継いだとする詐欺師の話なのである。
つまりそれは当初から「画餅」ならざる「絵に描いた町」にすぎなかったのだが、その旧友のプランは都市の理想と美に満ちていたがゆえに「美しい町」であった。3年がかりでできあがったのは「その家のなかにはそれぞれ一つ一つのかすかな光があって、それがそれらの最も微細な窓から洩れ出して、我々の目の下には世にも小さな夜の町が現出していた。その窓という窓からこぼれ出す灯影は擦りガラスの鏡の静かな水の面へおぼろにうつった」卓上のミニチュアの町であった。
地図文学の枠外ではあるけれども、ひとつのエピソードないし『建築文学傑作選』が外した重要作品としてとどめおく。

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