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今年の××

昨日は今年最後の日曜日。大概の新聞書評欄は今年の×冊というお定まりのページを掲げているが、新刊にあまり興味のない当方としてはざっと目を通した程度。

管見のかぎりで、今年記憶に残った文章は『東京新聞』10月11日の夕刊に掲載された、金原ひとみのものだった。

芥川賞や直木賞もジャーナリズムの例祭程度にしか思っていないから、ましてその受賞で話題になった若い女性作家の作品も読んだことがない。

しかし、たしか芥川賞受賞作家の、この文章はよかった。
小説がどうなのかは知らない。
文章がよかった、というのは、事態の正鵠を射ていて、しかも共感するところ大であった、という意味である。
この文章だけで、この「作家」は後世に記憶されると思われる。

見出しが「制御されている私たち 原発推進の内なる空気」となっているが、それは多分編集部でつけたもので、あまりよろしくない。
文章自体を読むための邪魔になる。

その文章は、次の字句をもってしめくくられる。

「私たちは原発を制御できないのではない。私たちが原発を含めた何かに、制御されているのだ。人事への恐怖から空気を読み、その空気を共にする仲間たちと作り上げた現実に囚われた人々には、もはや抵抗することはできないのだ。しかしそれができないのだとしたら、私たちは奴隷以外の何者でもない。それは主人すらいない奴隷である」

ここには、「国家公務員」も奴隷だ、との認識がある。

「奴隷の主人は、また奴隷である」とは魯迅の言葉とされる。かつて竹内好は次のように書いた。

ドレイが、ドレイであることを拒否し、同時に解放の幻想を拒否すること、自分がドレイであるという自覚を抱いてドレイであること、それが「人生でいちばん苦痛な」夢からさめたときの状態である。行く道がないが行かねばならぬ、むしろ、行く道がないからこそ行かねばならぬという状態である。かれは自己であることを拒否し、同時に自己以外のものであることを拒否する(「中国の近代と日本の近代」)

しかし、いまや奴隷論は魯迅や中国の近代史に事例を求める必要はない。
日本列島も、このかたずっと奴隷列島だったのだ。
ワタシもオマエも奴隷であった。
その状態が、世界の、万人の目の前に、まざまざと「露出」してきたのが3・11とその後、そして現在である。
ハーバード大学のマイケル・サンデル氏が、被災直後の状態をほめたとしても、それは奴隷の秩序であった。
だから、今年の十大ニュースの第一は、「奴隷列島暴露/奴隷状態ただちに変化なし」である。

レヴィ・ストロースの弟子で高名な文化人類学者の川田順造が、この11月に岩波書店から本を出した。
『江戸=東京の下町から 生きられた記憶への旅』という。
自身が「深川」の出身で、そのフィールドを素材にしたのである。
30年も前の雑誌連載などを単行本にしたのだ。
ただ集めた、という本としてのつくりの問題性、表記の妥当性や誤植、参考文献の記載について云々するつもりはない。

しかしこの著者は、アフリカをフィールドにした『曠野にて』という本で、黄金海岸の奴隷貿易史を論じていたはずだ。
下町といえども、いま「東京」を謳う本があれば、3・11を避けてすますことはできない。
フクシマに触れずして「地域」を語ることは許されない。

3・11をパスし、フクシマを視野に入れないこの「東京下町」本は、おのが「奴隷」としての立ち位置の無自覚さ故に、「今年の×本」の筆頭にあげられるだろう。

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