5月 13th, 2013
古地図とくずし字
標記のようなタイトルの本を、以前代取をやっていた版元では看板商品のようにいくつも出していた。
この種の本の出版は一時途切れていたものを、私が復活させたのだが、それは自身が勉強したいためであった。
ただ決定版というような「くずし字」の参考書は、存在しない。
いかなる語学の世界もそうであるように、くずし字や古文書を読む「コツ」は、なんといっても慣れる以外にないからだ。
よい道具がそろっていても、それを常々使っていないかぎり、技は上達しない。
私自身があいかわらずこの世界の初心者であるのは、継続して読むことがないためだ。
しかし、多くの人が継続できる状態ではないからこそ、初心者向けの本は、「売れる」のである。
最近、必要に追われて、遅まきながら江戸図の「祖」(おや)と言われる、「新板江戸大絵図」の「刊記」をあらためて読んでみた。
原文は上掲の通りだが、「初心者」にはところどころ読めないため、図書館で参考書を探していたら、三田村鳶魚の『未刊随筆百種』に「江戸図書目提要」というのがあって、その380ページに同図の刊記が「附言」として活字化されていた。
鳶魚の解読は以下のようなものである。
しかし、これをみて驚いたのは、あきらかな誤読があったことである。
当方の「読み下し」は以下の通りである。
一 此絵図御訴訟を以て板行致し候間、他所にて類板有まじきものなり
一 此御堀之外、東西南北も仕り候様に、仰付なされ候間、追付板行仕出し申すべく候
一 遠方之方角御覧なられ候事、じしやく(磁石)次第に此絵図御直し置きて御覧なされ候はば、相違有まじく候
一 間積リ壱分にて五間のつもりに仕り候、ただし六尺五寸之間なり
一 ■ かくのごとく仕り候は、辻番所なり
一 《 かくのごとく仕り候は、坂なり
一 □ かくのごとく仕り候は、御屋敷之境目なり
一 此絵図此前より世間に御座候へども、相違のみ多し。今度板行仕り候は道筋一つもちがひなく方角間積り迄こまかに仕り候
一 御屋敷の名付相違仕り候ところ御座候はば、御知せ下さるべく候、随分あらため申すべく候
右此外、東は本庄(所)、西はよつや、南は大仏、北は浅草、残らず板行仕り出し申すべく候
さて、どこが違うか、較べてご覧ください。
「然し」と「志し」の見間違えですね。だけど(然し)、「濁点がついていることに気づけば、読み間違えることはなかったはずです。ただし(但し―後述への伏線)、老婆心の心算でしょうが「じしゃく」はやはり「じしやく」でしょう。
また、語尾やテニヲハの表記も若干気になります。貴文よりコピーで引用します。
「一 間積リ壱分ニテ五間のつもりニ仕候、ただし六尺五寸之間成
一 此絵図此前より世間に御座候へども、相違のみ多し。今度板行仕り 候は道筋一ツもちがひなく方角間積り迄こまかに仕り候」
校正屋がよ~~く見ないと気付かないかもしれませんが、引用した前文の「間積リ」と後文の「間積り」、そう、カタカナとひらがなが混在していますよ!
付言すると、原文の「但六尺云々」を上記引用前文で「ただし」と開いているのは、これも老婆心か、あるいは三田村の誤読「且」を際立たせる陰険な作為かは詳らかにしませんが、一義的に「ただし」ではなく、「ただシ」とか「ただシ 」の余地があります。
また、
「一 ■ かくのごとく仕り候は、辻番所なり」
の「は、」、原文は明らかに「ハ」なのにあえてひらがなに変えて読点をつけたのはいかがなものか、ここだけは三田村の書き下しに与するほかないような気がします。
ほか、いくらでも論うことはありますが、今PR誌の『ちくま』に橋本治だったかが連載している「古典を読みましょう」とかいうエッセイで日本の古文はいい加減な記述がいいんだ、というような記述を読んで、こういう重箱隅突きがむなしくもなっています。
いやー、磁石が使われていたんですね! 平成の御世では、磁石を当てて腰痛を治す「化学療法」がありますが……。