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川内村の独自行動

「過疎の村・川内村が全村でとった行動 」と題して、
作家・作曲家の鐸木能光(たくき・よしみつ)氏が朝日新聞のサイト論座Aronzaに書いています。
国と県の、「現地」切り捨て、とくに「屋内退避」の欺瞞性を明らかにしています。
川内村の村長は、独自の判断で、全村離脱を呼びかけ、敢行しました。
国と県の指示に反するこの行動を、私は正しいものと判断し、支持します。

次のURLで鐸木さんの文章を、是非お読みください。
http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/special/2011031600017.html

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廃村、廃町、廃市

福島第一原発、第二原発20キロ圏内の川内村は、地震被害もほとんどなく、水も電気もあった。
しかし、この事態で、村長は防災無線を通じ、逃げられる人は逃げて、と呼びかけたと、村を脱出してきた人からのメール。
この村長の判断は正しい。
生きのびた人が、いつの日か再建をとも。

廃村、廃町、廃市の可能性のあるエリアがじわじわと広がっていく。

日本の報道はすでに戦時下、東電大本営発表の図式。
「確認できない」を連発するか、確認した細部データを言うのみ。
それが「何を意味するか」に触れない。
海外メディアのほうがよほど事態の本質を報道している。

フランス政府はすでにエールフランスに臨時便を要請。
首都圏から、外国人の日本脱出がはじまっている。
日本人でも、金と情報を持っている者は、その動きを開始した、とは、カード会社に勤める人の情報。

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かなしい春

東京都の府中市清水が丘3に「かなしい坂」があり、府中市の標識が建てられている。
府中市観光協会の説明は、「この坂の名の由来は、江戸時代の玉川上水の工事にかかわりがあると言われています。/玉川上水は、はじめ府中の八幡下から掘り起こし、多磨霊園駅付近を経て調布の神代辺りまで掘削して導水していました。/しかし水はこの坂あたりで地中に浸透してしまい、工事は失敗に終わってしまったとされています。/この工事の責任を問われて処刑された役人たちが、「かなしい」と嘆いたことからこの名がついたといわれています。/このときの堀は、今でも「むだ掘り」「空堀」「新堀」の名で残っています」という。
この上水工事の起点は、国分寺市の国分寺崖線下「池の坂」である、という話もある。

国内外のきわめて厳しい視線を浴びている、東京電力福島原子力発電所の、あの無様。
現状は、とても「想定外の自然災害」と言っていられる話ではない。
まったくの人災である。

近世であれば、会長・社長以下責任者並べて獄門・梟首(きょうしゅ・さらし首)は免れない。
つまり、とうてい「士」とは認められない。
巨大な、ある意味で世界中のヒト、そして生きものの「命」を担保にした仕事であるという自覚がないのだ。
ただの「会社員」意識しかないのだから、切腹は許されない。
また、東電は、当然「とりつぶし」となる。
まして「計画停電」とやらの二転三転の挙句、通告なしの急停電をして社会を大混乱に陥らせている現状を鑑みれば、なおさらである。
事故の記者会見に一度も姿をみせず、これからも「広報担当」と政府および「保安院」に投げっぱなしにするとすれば、会長と社長は歴史に卑怯者の名を残すだろう。

そうして自然は容赦なく、一月もしないうちに春となる。
「世の中は 地獄の上の 花見かな」(一茶)

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トーキョー・シロアリ

とりあえず、弟夫婦は無事だった。
以下、そのブログの転載。
「電気が来ました。
みなさん御心配おかけしました。
川向こうまで水が来ており、あの、数百人の遺体があるけど回収できない地域です。
なのにかろうじて川のこちら側は助かったようなものです。
沢山のひとが家を失って、本当に心苦しいです。
我が家では長男が、気仙沼の小学校の教員で、まだ、連絡が取れません。
女房がしばしば泣いていますが「あいつのことだから、大丈夫」、と励ましている所です。
食べ物とガソリンが不足し、空いてる店には長蛇の列、我が家では買い物は控え、極力あるもので対応しているところです。
とにかく不幸中の幸い、ただし長男は・・・
状況が落ち着くのを待つばかりです。
御心配いただいているみなさん、ありがとう。」

ところで、先刻発表された首都圏停電の「輪番表」をみてみると、停電から外されている区は、私の読み違えでなければ、千代田区、中央区、新宿区、港区、文京区、墨田区、江東区、渋谷区、中野区、北区、江戸川区の11区となる。
つまり、「中央」は停電させない、ということ。
考えれば当たり前、というひとがいるかもしれないが、それなら「輪番制」ではない。
東京の「真中」を外すというなら、それをまずはっきりアナウンスして、皆が平明に納得できるよう、説明しなければならない。
原発事故で、「大丈夫、心配ない」ばかりくりかえして、国内外の視聴者に逆に疑惑をもたせてしまう「大本営」記者会見しかできない、何とか長官や保安院、東電の担当者、NHKなどのご用学者と同じで、「触れないで済まそうとするところ」に核心がある。
そもそも、電力逼迫の元となった、東電の原発が、どうして東京ではなくて福島県の海岸縁に集中してあり、どうして何万人もの住民が、自分のところに何の恩恵もない(電源協力費とやらを東電は無理やり押しつけているのだが)危険極まりないシロモノをネジこまれ、挙句の果てに「避難」させられなければならないのか。
そうして、人口3000人の福島県双葉郡川内村が、とりあえずの被爆可能性10キロ圏内に一部引っかかりながらも、人口1万5000人を超す隣の富岡町からの避難民を預らなければならない矛盾。
停電で不便をかこつトーキョーが、自らの特権階層性を当然としている奇怪。
公害のミナマタ、基地のオキナワ・・・・、原発の××・・・(決してトーキョーではない)。
これは、「日本」というできそこない国家の構図なのだ。
結局のところ、トーキョーというピラミッドの「頂点」を繁栄させるために、周辺はそれを支えるために、存在する、奇形国家。
つまり、個人レベルで言えば、頭のいいやつは、「中央」で「身を立て」、そこに座を占めて中央権益ピラミッド維持のために腐心する。
これでは「国家」の態をなしえない。本来、「中央」などよりよほど豊かな可能性をもつ地方という樹木を喰い物にする、「トーキョー・シロアリ王国」でしかない。
つまり、常に地方反乱、分離独立の契機をはらむのであって、原理的に、お隣の共産党中央独裁国家を批判できないのです。

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津 波

仙台市若林区南小泉一丁目。
若林区役所の南200メートルに、私の実家はあった。
生まれた場所は同じ南小泉でも500メートルほど西だったが、いずれにしても「南小泉」は私の生まれ育った場所。
真山青果の小説『南小泉村』の舞台でもあった。

一昨年の父の死後、無人となったその家をやむを得ず売却したのは去年の末。
長い間一人の父を気にかけていただいたご近所の方々は、いまどうしておられるか。
それよりも、名取川と広瀬川の合流地点附近、仙台市太白区郡山にある弟夫婦の家はどうなっているか。
南小泉からさらに東の遠見塚一丁目にある特別養護老人ホームにいる義母はどうしているか。
さらには、町が壊滅的打撃を受けた気仙沼市の、唐桑町にある中井小学校教諭の甥はどうしているか。
171にメッセージを入れた、twitterにも書いた、auやgoogleの伝言板にも書きこんだが安否確認できない。
NHKの安否情報をコールするも、3回線ともつながらない。

弟は仙台市役所の福祉施設の責任者を最後に退職し、地方の幼稚園の園長として勤めてもいたが、それよりも「ノーム芳賀」として、全国の保育園、幼稚園などにパフォーマンスや工作指導にかけまわる、児童福祉関係では知られた存在だ。
あの元気で心優しい弟たちが、無事で避難所にいるとは思うが、家屋はそのままでは済まなかったろう。
水も食料も不自由しているだろう。

そして、もうひとつ。
福島県双葉郡川内村は第二の故郷。
私たちの別荘というか、実態は妻と二人でやっている会社の倉庫状態だが、その村の中心附近にある建物は元来は村の保育園だった家屋。
村は、詩人の草野心平の文庫があること、天然記念物のモリアオガエルで知られる、人口3000人の自然豊かな山里。
東電の原発のある富岡は隣町。
村の東端一部は福島第一原発の10キロ圏内に含まれる。
いま、「避難所」にあてられている行政体だが、受け入れ側の遠藤雄幸村長も、状況は非常に厳しいとコメントしていた。
「別荘」は避難者に開放してよいから、と連絡しても、お隣の旅館業にして村会議員の井出さんとは連絡つかない。
少し離れた木戸川べりに陶芸の工房を構える友人夫妻とも音信普通。
その一人娘は、壊滅的被害をうけた「相馬」にある母親の実家から高校に通っているはず。

そうして、隣町では「メルトダウン」がすでにはじまっているかも知れない。
地震・津波の被災に加えて、被爆の可能性・・・
連絡がとれたとして、状況が明らかなるのが逆に恐怖でもある。
どうすべきか、いずれにしても連絡できない、身動きできない状況がもどかしい。

とりわけ仙台では停電しているから、このブログを見る人もほとんどいないだろうが、どなたか情報をおもちならご一報を。

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イヌ地図/ネコ地図

大分昔のことにながら、グラフィックデザイナーとして一世を風靡した杉浦康平さんが、「犬地図」なるものを試作して注目されたことがあった。
それは、犬の嗅覚による場所の記憶を、リニア―(線状)にとらえて図化したもので、今日の「NAVI」マップに似ていなくもない。杉浦氏自身は、何年かそれを試作していたのだけれど、どういう理由か「失敗作」としてその後言及しなくなったようだ。
私には、それは「無理やりグラフィック」の類に見えたのだが、果して作者自身がそう気付いたかどうかはわからない。
これもしかし大分昔の話になるけれど、1975年に初版第1刷が出た、平凡社カラー新書の一冊、『ネコの世界』(今泉吉典・今泉吉晴)という本があって、これは親子の共著。お父さんのキッテンさんは大変著名な動物学者(国立科学博物館動物研究部長をつとめた)、息子さんもそれに劣らず、科学的な素養のもとに同じシリーズの単著『犬の世界』を書きおろす実力者。この本はきわめて端的な叙述ながら、近年のイヌネコ雑誌を読むより余程勉強になる。
その本から学んだことのひとつは、イヌもネコも、遡れば数千万年前の第三紀には共通の祖先「ミアキス」に行きつくらしいということ。分類学上イヌ科はネコ目(もく)に分類される理由が分ったような気がしたものです。ちなみにタヌキは「ネコ目イヌ科タヌキ属」、クマは「ネコ目クマ科」となる。
学んだことの第二というか、ここで一番の焦点となるのは、ネコの「空間認識」についてなのです。ネコについては、その居住場所を中心に、三つのカテゴリーに分類されるといいます。第一が巣を中心とした「プライベートエリア」、第二は「ハンティングエリア」、さらにそれらをとりまく「第三のエリア」。この本ではそれらのエリアについてのネコの「認識」を、次のように記述している。

  「ネコはこの地域一帯のイメージをふだんから耳で聞いてかなり詳細につくりあげているらしいのである。耳で聞くといっても、となりのネコから聞くのではむろんない。つまり、そこにある工場や学校などたえず音をたてているものの位置と方向を耳で捕えて、自分のハンティングエリアを中心に、それらの地域イメージを脳の中につくりあげているのだ。自動車道路や河川、そして風のあたる大木なども、目じるしに使われる。このイメージは、たとえば交尾期になって、雄がハンティングエリアをはなれて遠征する際などにも役立てられる。ネコは、たとえはじめてそこに出かける場合であっても、けっして道に迷うようなことはないのである。」(26ページ)
この第三のエリアの手前、日常的に接する「ハンティングエリア」については、さらに次のような記載がある。
  「ネコはふだん使っている道の細部については、目を使わなくてもかなりのスピードで走れるほどに血肉化している。何かに驚いたネコが、その場でただちに状況判断して、あらゆる障害物をくぐりぬけながらスムーズに逃げる姿はよく目にするところである。これは運動感覚だけによっている。だからめくらのネコでさえ、自分の通路に横たわる二メートルを越す障害物を、それにふれずに、まるで目が見えるかのように、跳躍して通りすぎることができるのである。
  この種の事実は、ネコが地理の細部をよくのみ込んでいることを物語るものであろう。耳を使って大まかなイメージをつくりあげていることはすでに述べた。このように、二重、三重に描かれた地理のイメージの上にネコは、日々の状況の変化を見、かぎ、さぐり、聞いては、きざみ込んでいるのである。」(62ページ)

ここに述べられていることを敷衍すれば、個々の生物体がこの世に生を受けた直後から学習し、記憶を蓄積してつくりあげている「地図」の存在を示唆する話になるのであって、だから「地図」は、ネコといわず、イヌといわず、いわんや人間といわず、この世に遍在する無数の「空間イメージ」の謂いでもある。
地図は、紙に印刷されたものだけが「地図」ではない。
いまや電子の地図が紙のそれにとってかわろうとしている、メディア史上の大転換期。
こうした「地図」の所在にも、もっと注目されてよいのです。

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川について その1

都市河川を考える前に、水そのものについての考察が必要だということに遅まきながら気がついた。

川を流れる水はどこから来るのか?
都市化以前の自然河川では、その根源は雨水であり、またそれによって涵養された湧水であって、それ以外ではない。

現在、都市を流れる水は、じつにさまざまな出自というか径路をたどってきた水である。
そうして、都市の「川」とは何を指して言うのかということ自体が単純ではない。

今日、その多くが暗渠というより公共下水道に変身したかつての「川」は、川と言えるのだろうか?
現在の公共下水のほとんどは屎尿・生活排水と雨水の合流式であるから、その意味では川は「死んだ」のだし、「再処理水」という名の「清流」が流れる水路も、その水面に顔を近づけてみればたちどころに判然とするように、既に「川」ではない。

さかのぼって、江戸時代には「下水」とは「上水」に対する言葉であって、通常は自然河川そのもの、あるいは人工の雨水排水路、灌漑用水の余水路であるから、その限りでは都市の「川」そのものの別称でもあった。

現在の都市に川を「復活」するためには、まずは屎尿・生活排水と雨水の流路分離が必要である。
分離された雨水は、豪雨時の溢水対策として、また災害時の利水、そして地下水涵養のために、都市のサイズに応じた、都市地震の内部に設置される、いくつかの湖水に導かれる必要がある。
そのための導水は、ポンプすなわち電力に依存しない自然流下式のものでなければならない。
ポンプはあくまでも補助的な役割を担ってもらうものでなければならない。

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江戸の崖 東京の崖 その27

三軒茶屋の三差路から、世田谷道を500mほど西へくだって、その一本南側の裏道。
そのあたりが、「忍法帖」や「戦中派不戦日記」で名高い作家の山田風太郎が、戦後、昭和32年頃まで住んでいた旧宅跡。
旧住所は世田谷区三軒茶屋町196番地。
三軒茶屋から世田谷通り(旧大山街道)と大山道(玉川通り、国道246)に分れるけれど、世田谷通りは北側の烏山川と南の蛇崩川の間の尾根道。
玉川通りももちろん尾根道。
この2本の尾根道の間を、蛇崩川(じゃくずれがわ)が中目黒まで下って目黒川に注ぐ。
行ってみて、風太郎先生、世田谷道の尾根から南にやや傾斜した、蛇崩の谷側に住んでいたことが判明。
このあたりは小さな崖がちょろちょろつづく。
蛇崩川はその程度だが、北側の烏山川(からすやまがわ)はもうすこし規模が大きい。
国士舘大学の北校舎と南校舎の間を抜ける緑道は、南に7mほどの崖が佇立してつづく。
その崖の途切れるあたり、松陰神社の参道脇の桂太郎の墓はしかし、なんとも恥かしい。
吉田の塾生でもなかった者が、その威を借りるタロギツネ、というかコバンザメタロウの構図を遺憾なく表わす。
なにせ「ニコポン」タロウは冤罪というよりも国家の犯罪「大逆事件」のフレームアップと「韓国併合」の総責任者。
こういう阿世者の「得意がり」を、「日本の歴史」は何時まで許しておくのだろう。

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江戸の崖 東京の崖 その26

今年の1月24日は、幸徳秋水ほか11名刑死100年忌。
いわゆる大逆事件100年にあたります。
永井荷風父永井久一郎旧邸跡近く、旧市ヶ谷刑務所処刑場跡は、新宿区の余丁町児童遊園の一隅に、日本弁護士連合会の「刑死者慰霊塔」が建てられていて、たずね来る人にはわかる状態。
都内ではもう一箇所「故地」が残されていて、渋谷区代々木三丁目の正春寺墓地中央辺の白っぽい自然石が翌25日に処刑された管野スガの墓。
スガの墓については、田山花袋が『東京の三十年』で曖昧に触れている。つまりはっきりと個人名や事件名を書くことは、当時憚(はばか)られた。

昨今そこここの神社などをめぐって、若い人の間に「パワースポット」ブームが出現しているわけですが、大逆賊「将門首塚」が大手町にある江戸東京最大のパワースポットなら、こういう場所も「近代パワースポット」。なにせ菅野スガは現代の劇作家によって「魔女」扱いされている(福田善之『魔女伝説』三一書房, 1969 )のだから、十分に「パワー源」となる資格がある。

 [凡そ「神社」は怨魄を封ぜんがため建立され、その「パワー」は恨みを淵源とす。
 [よって、人もし「パワー」を後代に残さんと欲せば、死に臨んで存分に恨み念ずべし。

つまり、そこには一種の「時間の特異点」が露出している。
そうしてまた、崖が屹立しており、ビュービューと風が吹きつのる。
非命に斃れた異貌が顕現する。

『時の崖』というのは、安部公房が書いた拳闘小説のカウントダウン・ゴングにだけ出現するわけではない。
先の「ブラタモリ」や「新東京地形論」も、時間に伏在する非連続性という「崖」に無知な例でしょう。

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江戸の崖 東京の崖 その25

[御所組一家、崖組一家]
ウサギ年だというので、「辛卯」(かのとう)という文字が入った賀状が来るけれども、元来「卯」という文字はウサギとは何らかかわりがない。
もともとは左右対称をあらわす字形。十二支の第四位に用い、わかりやすいように動物をあててウサギとしただけの話。
十二支採用は、ウサギには関心を持ってもらえる分、有難半分迷惑半分でしょう。
さて、昔話ではカタキどうしのウサギとタヌキ。
東京の都市部では絶滅したとみられるニホンノウサギですが、敵役のほうはしっかり生き残っている。
今朝の東京新聞によると(「東京生き物語2011下」)、23区内で約1000匹のタヌキが棲息する由。
「東京タヌキ探検隊」の2007-09年調査では、目撃件数の多い順に、練馬区77、板橋区64、杉並区62、中野区39、文京区28、世田谷区28、新宿区26、北区18、豊島区17、千代田区10、足立区10、渋谷区9、港区4、目黒区3、大田区3、台東区2、葛飾区2、江東区1、品川区1、中央区0、墨田区0となる。
このうち、千代田区の10は明らかに皇居にお棲まいの「御所タヌキ」。
渋谷、新宿の数字も、新宿御苑、明治神宮、赤坂御所においでのご縁戚でしょう。
古い巣穴のあった、麻布の狸穴(まみあな)は港区ですが、狸穴のタヌキと崖については、本連載「その18」で述べた通りですので省略するとして、皇居とその関連施設以外のタヌキの居住場所はほとんどが急傾斜地、つまりは崖地なのです。
一定の面積をもった緑地は、皇居や神宮のように人間社会における強力な規制によって保全される以外は、人間の経済活動のおよびにくい急傾斜地にかろうじて保たれています。
グリム童話には決して出てこない、ユーラシア東部に棲息するネコ目イヌ科タヌキ属(ウサギはウサギ目ウサギ科)の、日本列島は東京在住グループにも、御所組一家と崖組一家という派閥が存在するのです。

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