多少の理論的間違いがあっても、現場の知見と実験とを総合して、真理にちかづくのが、近代プラグマティズムの真髄だろう。
これに対して、最初にドグマが存在し、そこをめぐって論理を組み立て、整合性をはかるのがテオロギア「神学」である。
原子力発電を行う、ことを前提として、そこから説きあかされる言説は、神学である。
大学教授ら、原発神学者の幽霊たちが、いまメディアの最前線に立つ。
もちろん彼らの役割は、原発体制の維持である。
「計画停電」も、その一環として位置づけられる。
原発がなくなったら困るだろう、というわけだ。
けれども東電の主力は、原発ではない。
火力発電である。
今回の震災で最大の打撃を受けたのは、実は原発ではなくて、火力発電所である。

そうして、原発の「現場」からの声は、一切封殺される。
被曝した「作業員」(もちろん東電社員ではない。東電社員は「現場」を知らない)が、映像からも「ブルーシート」によって隔離されたのは、「取材」からの「防護」である。
ここに、その「現場」の知見がある。
「神学」者の、上からの言説でない、リアルな認識がある。

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