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イヌ地図/ネコ地図

大分昔のことにながら、グラフィックデザイナーとして一世を風靡した杉浦康平さんが、「犬地図」なるものを試作して注目されたことがあった。
それは、犬の嗅覚による場所の記憶を、リニア―(線状)にとらえて図化したもので、今日の「NAVI」マップに似ていなくもない。杉浦氏自身は、何年かそれを試作していたのだけれど、どういう理由か「失敗作」としてその後言及しなくなったようだ。
私には、それは「無理やりグラフィック」の類に見えたのだが、果して作者自身がそう気付いたかどうかはわからない。
これもしかし大分昔の話になるけれど、1975年に初版第1刷が出た、平凡社カラー新書の一冊、『ネコの世界』(今泉吉典・今泉吉晴)という本があって、これは親子の共著。お父さんのキッテンさんは大変著名な動物学者(国立科学博物館動物研究部長をつとめた)、息子さんもそれに劣らず、科学的な素養のもとに同じシリーズの単著『犬の世界』を書きおろす実力者。この本はきわめて端的な叙述ながら、近年のイヌネコ雑誌を読むより余程勉強になる。
その本から学んだことのひとつは、イヌもネコも、遡れば数千万年前の第三紀には共通の祖先「ミアキス」に行きつくらしいということ。分類学上イヌ科はネコ目(もく)に分類される理由が分ったような気がしたものです。ちなみにタヌキは「ネコ目イヌ科タヌキ属」、クマは「ネコ目クマ科」となる。
学んだことの第二というか、ここで一番の焦点となるのは、ネコの「空間認識」についてなのです。ネコについては、その居住場所を中心に、三つのカテゴリーに分類されるといいます。第一が巣を中心とした「プライベートエリア」、第二は「ハンティングエリア」、さらにそれらをとりまく「第三のエリア」。この本ではそれらのエリアについてのネコの「認識」を、次のように記述している。

  「ネコはこの地域一帯のイメージをふだんから耳で聞いてかなり詳細につくりあげているらしいのである。耳で聞くといっても、となりのネコから聞くのではむろんない。つまり、そこにある工場や学校などたえず音をたてているものの位置と方向を耳で捕えて、自分のハンティングエリアを中心に、それらの地域イメージを脳の中につくりあげているのだ。自動車道路や河川、そして風のあたる大木なども、目じるしに使われる。このイメージは、たとえば交尾期になって、雄がハンティングエリアをはなれて遠征する際などにも役立てられる。ネコは、たとえはじめてそこに出かける場合であっても、けっして道に迷うようなことはないのである。」(26ページ)
この第三のエリアの手前、日常的に接する「ハンティングエリア」については、さらに次のような記載がある。
  「ネコはふだん使っている道の細部については、目を使わなくてもかなりのスピードで走れるほどに血肉化している。何かに驚いたネコが、その場でただちに状況判断して、あらゆる障害物をくぐりぬけながらスムーズに逃げる姿はよく目にするところである。これは運動感覚だけによっている。だからめくらのネコでさえ、自分の通路に横たわる二メートルを越す障害物を、それにふれずに、まるで目が見えるかのように、跳躍して通りすぎることができるのである。
  この種の事実は、ネコが地理の細部をよくのみ込んでいることを物語るものであろう。耳を使って大まかなイメージをつくりあげていることはすでに述べた。このように、二重、三重に描かれた地理のイメージの上にネコは、日々の状況の変化を見、かぎ、さぐり、聞いては、きざみ込んでいるのである。」(62ページ)

ここに述べられていることを敷衍すれば、個々の生物体がこの世に生を受けた直後から学習し、記憶を蓄積してつくりあげている「地図」の存在を示唆する話になるのであって、だから「地図」は、ネコといわず、イヌといわず、いわんや人間といわず、この世に遍在する無数の「空間イメージ」の謂いでもある。
地図は、紙に印刷されたものだけが「地図」ではない。
いまや電子の地図が紙のそれにとってかわろうとしている、メディア史上の大転換期。
こうした「地図」の所在にも、もっと注目されてよいのです。

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