collegio

津 波

仙台市若林区南小泉一丁目。
若林区役所の南200メートルに、私の実家はあった。
生まれた場所は同じ南小泉でも500メートルほど西だったが、いずれにしても「南小泉」は私の生まれ育った場所。
真山青果の小説『南小泉村』の舞台でもあった。

一昨年の父の死後、無人となったその家をやむを得ず売却したのは去年の末。
長い間一人の父を気にかけていただいたご近所の方々は、いまどうしておられるか。
それよりも、名取川と広瀬川の合流地点附近、仙台市太白区郡山にある弟夫婦の家はどうなっているか。
南小泉からさらに東の遠見塚一丁目にある特別養護老人ホームにいる義母はどうしているか。
さらには、町が壊滅的打撃を受けた気仙沼市の、唐桑町にある中井小学校教諭の甥はどうしているか。
171にメッセージを入れた、twitterにも書いた、auやgoogleの伝言板にも書きこんだが安否確認できない。
NHKの安否情報をコールするも、3回線ともつながらない。

弟は仙台市役所の福祉施設の責任者を最後に退職し、地方の幼稚園の園長として勤めてもいたが、それよりも「ノーム芳賀」として、全国の保育園、幼稚園などにパフォーマンスや工作指導にかけまわる、児童福祉関係では知られた存在だ。
あの元気で心優しい弟たちが、無事で避難所にいるとは思うが、家屋はそのままでは済まなかったろう。
水も食料も不自由しているだろう。

そして、もうひとつ。
福島県双葉郡川内村は第二の故郷。
私たちの別荘というか、実態は妻と二人でやっている会社の倉庫状態だが、その村の中心附近にある建物は元来は村の保育園だった家屋。
村は、詩人の草野心平の文庫があること、天然記念物のモリアオガエルで知られる、人口3000人の自然豊かな山里。
東電の原発のある富岡は隣町。
村の東端一部は福島第一原発の10キロ圏内に含まれる。
いま、「避難所」にあてられている行政体だが、受け入れ側の遠藤雄幸村長も、状況は非常に厳しいとコメントしていた。
「別荘」は避難者に開放してよいから、と連絡しても、お隣の旅館業にして村会議員の井出さんとは連絡つかない。
少し離れた木戸川べりに陶芸の工房を構える友人夫妻とも音信普通。
その一人娘は、壊滅的被害をうけた「相馬」にある母親の実家から高校に通っているはず。

そうして、隣町では「メルトダウン」がすでにはじまっているかも知れない。
地震・津波の被災に加えて、被爆の可能性・・・
連絡がとれたとして、状況が明らかなるのが逆に恐怖でもある。
どうすべきか、いずれにしても連絡できない、身動きできない状況がもどかしい。

とりわけ仙台では停電しているから、このブログを見る人もほとんどいないだろうが、どなたか情報をおもちならご一報を。

4 Responses to “津 波”

  1. 市川惠子on 16 3月 2011 at 12:23:08

    芳賀さん、ご無事でしたか。市川家は14日昼に川内村を脱出しました。それまでボランティアなどしていましたが、割山トンネル付近で防護服を着た人が通行を遮断しているという話を聞き、封じ込められる危険から、決意したものです。脱出してすぐあちこちに情報を発信、受信しています。村内は地震による被害はほとんどなく、電気、水がありました。しかし、情報が意図的に切られているような感じで、助けを求めることができません。村長から最後の防災無線が流れ、逃げられる人は逃げていつか再建をとの放送があったそうです。しかしガソリンがない。移動手段がなく、残されている人がいます。
    我が家は幸い脱出できるだけのガソリンが残っていたので、一台は温存し、残りの燃料があるかぎり、ボランティアしました。自転車で移動もしていました。しかし、燃料、食糧、限界を超えたはずです。
    長男と合流し、神奈川の実家に避難しています。長男は必死に情報を集めて、川内の私たちに送ろうとしていたそうです。
    国に意図的に捨てられている川内村、移動も、生存も断たれている川内村、どうしたらいいか、もう・・・
    衛星放送、CNNを見ると、原発はどうしようもない状態であることがわかります。報道も、情報も、制限されているようです。まるで戦時中です。
    何人かの方と連絡がとれるようになり、逃げている方からの情報発信もはじまりました。勇気と誇りをもって故郷に残っている方たちをなんとか助けられないか、報道や情報で押しつぶそうとする力に負けないよう、こちらでは努力しているところです。
    川内村は大事な故郷です。子供たちの故郷を見捨てられたくありません。

  2. collegioon 16 3月 2011 at 13:30:29

    ご無事でしたか。
    とにかくよかった。
    仰るようにこれはすでに戦時下です。
    日本の報道はあてになりません。
    ツイッターも、私のところにとどくものに本質をついたものはほとんどありません。
    娘が、情報を探している中で、チェルノブイリどころの規模ではないと言っていて、そんなはずはと思いましたが、よく考えると東京を含めて避難民が発生するのは時間の問題かもしれないと思うようになりました。
    川内の小松屋さんはどうしているでしょう。
    志賀さんは奥さんの実家の相馬が被災していなかったので、そちらに行っているようですが、距離が近すぎる。
    海外の報道がよほどたよりになる。
    市川さんのこのメールを、うちのブログで公開してよろしいですか。
    そうすれば、ツイッターにもURLはオンできますので。

    芳賀啓

  3. 市川惠子on 16 3月 2011 at 18:26:26

    芳賀さん。川内村のほとんどが郡山のビッグパレットに避難できたそうです。議員の井出茂さんのブログに詳細があります。
    http://kawagiin.exblog.jp/

    youtubeに村長の最後の村内放送が出ています。(ひとの駅の西巻さんがアップしてます)
    http://www.youtube.com/watch?v=2LHFznIFhD4

    ぎりぎりまで村内にいた西巻さんのツイッターも見てください。
    http://twitter.com/#!/Nishimachi

    ネットのラインは生きていたのですが、IP電話のpppが切れている状態。12日の朝のとき、サーバ側が認証できないといった状況でした。他の場所ではネットが使えたのに、川内村で使えないというのがおかしい。デマになるといけませんから、不確かな意見はいいたくありませんが、どうして原発近くの場所だけが使えなかったのか。地震の被害が少なかった地域なのにです。

    ブログで公開しても結構です。
    クライアントの出版社さんから、記事を書くように依頼がありました。さらに情報を集めて、隠された事実を訴えていきたいと考えています。

  4. 福島県で家を売却を機会します。いが心をかよわせるします。福島県で家を売却の裏面を註釈します。接着剤取材します。

Comments RSS

Leave a Reply