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かなしい春

東京都の府中市清水が丘3に「かなしい坂」があり、府中市の標識が建てられている。
府中市観光協会の説明は、「この坂の名の由来は、江戸時代の玉川上水の工事にかかわりがあると言われています。/玉川上水は、はじめ府中の八幡下から掘り起こし、多磨霊園駅付近を経て調布の神代辺りまで掘削して導水していました。/しかし水はこの坂あたりで地中に浸透してしまい、工事は失敗に終わってしまったとされています。/この工事の責任を問われて処刑された役人たちが、「かなしい」と嘆いたことからこの名がついたといわれています。/このときの堀は、今でも「むだ掘り」「空堀」「新堀」の名で残っています」という。
この上水工事の起点は、国分寺市の国分寺崖線下「池の坂」である、という話もある。

国内外のきわめて厳しい視線を浴びている、東京電力福島原子力発電所の、あの無様。
現状は、とても「想定外の自然災害」と言っていられる話ではない。
まったくの人災である。

近世であれば、会長・社長以下責任者並べて獄門・梟首(きょうしゅ・さらし首)は免れない。
つまり、とうてい「士」とは認められない。
巨大な、ある意味で世界中のヒト、そして生きものの「命」を担保にした仕事であるという自覚がないのだ。
ただの「会社員」意識しかないのだから、切腹は許されない。
また、東電は、当然「とりつぶし」となる。
まして「計画停電」とやらの二転三転の挙句、通告なしの急停電をして社会を大混乱に陥らせている現状を鑑みれば、なおさらである。
事故の記者会見に一度も姿をみせず、これからも「広報担当」と政府および「保安院」に投げっぱなしにするとすれば、会長と社長は歴史に卑怯者の名を残すだろう。

そうして自然は容赦なく、一月もしないうちに春となる。
「世の中は 地獄の上の 花見かな」(一茶)

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