「真理がわれらを自由にする」
という11文字が、国立国会図書館東京本館の目録カウンターの上の壁石の左上に刻まれている
日本国憲法制定時の憲法担当国務大臣でもあった初代館長金森徳次郎の筆跡。
その右下には、離れているもののこれに対応するギリシャ語
「Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ」
(ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース、
またはイ アリシア エレフセロシィ イマス)も刻印されている。
参議院議員もつとめた歴史学者羽仁五郎が、ドイツ留学中に見た大学の銘文に由来するものという。

これはヨハネによる福音書第8章第32節の「そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」(新共同訳)に対応する。
このイエスの言葉に対して、ユダヤ人たちは、自分たちが「人の奴隷になったことなどは一度もない」と反発する。
イエスの答えは、例によって「すべて罪を犯す者は罪の奴隷である」と、心理の機微を突く。

しかし、自分のおかれている現状をリアルに認識できない者は、ある種の情報の奴隷である。
いま、私たちがもっとも不安におもっていることのひとつは、東電の原発事故の帰趨である。
「福島」の原発事故とは言いたくない。
東京というバビロンの繁栄のために、そのほぼ東半分の「土」を放射能汚染されつつあり、「念のため避難」の結果、難民となって放射能汚染差別を受けつつある人々のふるさとの名は、あえて使わない。
これは「東京」電力がひきおこした、原子炉6基・使用済核燃料プール6槽を、同時に制御も冷却もできないという、人類史上空前の規模の原発事故である。
国際原子力事象評価尺度(INES)の暫定評価を、米国スリーマイル島原発事故と同等の「レベル5」(広範囲な影響を伴う事故)に引きあげる(原子力保安院、18日)、などという程度の話ではない。
「専門家」にとっても、それは「未知の領域」に突入している。
空前の「実験」といえば「実験」であって、世界が注目しているのはそのためである。

そしていま、繰り返されるのは、「ただちに健康に影響をあたえるものではない」という呪文。
原発事故の放射能汚染とは、いったいどのようなことなのかを明らかにせずに、まず大丈夫という「治者」の立場。
その治者の視線から、私たちは自由ではない。わたしたちはすでに奴隷である。

たとえば「福島市の水道水からセシウム134、137とヨウ素131検出、国の基準はクリアし健康に問題はなし」(16日8時採取水)というような情報が流れている。
セシウム134、137とヨウ素131が検出された、ということがなにを意味するのかについて、治者は触れない。明らかにしない。
しかし一方で、放射性物質が「浄水場で除去可能」という、メディア各紙が盛んに見出しに使っている言葉も、「当局」は使用しない。
よくよく見れば「かなりの部分を除去できる」という「安心安全言いまわし」を使っているだけなのだ。
「過剰な心配をする必要はない」という「結論ありき」は、人々から仕事を託されている「公務員」ではなくて、江戸時代とさして変わらない「治者」の視線がもらすことばである。
「こちらはしっかりやっているから、余計な心配はしなくていい」というわけだ。
基本的な「説明」の労を厭(いと)われ、またその要なしとされ、、データを小出しにされて、人々は不満と不安をかかえながらも、漠然と安心せざるをえない。

実は、放射能汚染時の水の安全性に対する日本国の基準というものは存在せず、WHOのガイドラインがあるだけだ。
水中で繰り返された測定値が、α線放射能で1リットルあたり0.5ベクレル以下で、かつβ線放射能で同1ベクレル以下である場合、生涯にわたってその水を飲みつづけても問題はない、というガイドライン。
ただし、これは緊急時には適用されない(それがなぜなのかは、手元に資料がないので言及不可である)。
「緊急時」には、原子力安全委員会の、「水1リットルあたり放射性ヨウ素が300ベクレル、セシウムが200ベクレルを上回った場合は飲用しない」という指標だという。
福島市の水道水の測定値は、放射性ヨウ素177ベクレル、セシウム58ベクレルまで上昇したが、その後低下したと。
そうしていま、必要なのは、被災地の水道というもっとも基本的なライフラインの復旧であると。
それは正しい。
多少汚染されても、いま、をしのぐための水は要る。
問題は、汚染がこれからどうなるかだ。
日本列島上広範囲なエリアが深刻な放射能汚染にさらされる可能性は、いま、誰も否定できない。
そうなったときに、そして長期的な汚染がつづいたときに、ひとりひとりがどうすべきか、いま何を学び、何を準備しなければならないか、という情報が要る。

しかし、「必要」と「緊急」がまかり通って、実は私たち自身が奴隷に身を落しつつある事態には目が向けられない。
たとえば、八王子市立図書館。
「電力需要ひっ迫に伴う臨時休館について
東北関東大震災に伴い電力が著しく不足する状況に陥っています。
この電力不足に対応し、被災地の一日でも早い復旧を支援するため、八王子市全図書館を臨時休館いたします。また、それに伴い図書館ホームページの全ての機能が利用できなくなります。
市民の皆様には大変ご不便をおかけしますが、ご理解ご協力をお願い申し上げます」という。
これは、図書館の自殺である。
戦時下の再来である。
公共図書館「休館」を決めたのは誰か?
インターネットに流れる、羊たちのクズのような書込みに対して疑問をもち、ひとつひとつ調べ、われとわが身を守る方法を模索する場のひとつとして図書館の使命はある。
奴隷の情報に対して、情報の奴隷とならないための砦のひとつは図書館である。

「真理」はわれらを自由にする以上に、それはわれらを生き延びさせ、「われらの明日」ために、いま、必要なのである。

「すぐに健康に影響があるというわけではないので、冷静に行動してください」
「それは今、データがありません」「確認中です」
そして
「これまでに確認された、死者と行方不明者を合わせた数は・・・・・」

政府、NHKをはじめとして、マスコミを通じて、今膨大にまき散らされている「リフレイン」。
持ち出されるのは、「事実」と「データ」の断片、ないしは「ゼロ」記号。
その背後にあるのは、「配慮」と「隠蔽」でなければ欺瞞である。
欠落しているのは、「意味」と「本質」である。
「大本営発表」というのはそういうものであった。
そして今、NHKを筆頭とした日本のマス・ジャーナリズムにおいて、同じことがまざまざと再現されている。
死者と行方不明者の数を合わせれば、数万人から何十万人という数に近づくことは間違いない。
推定すべきである。
そして、その推定は「事実」に、より近いはずだ。
対処は、行動は、事実にもとづいておこなわなければならない。

私たちは、生きて行くうえで、「今」を「これから」に照らして判断しなければならない。
この先、何があり得るのか。
情報をあつめ、総合し、最善の場合、最悪の場合、いずれも視野に入れて、ひとつの行動を選択する。

今回、政府・県の「30キロ圏内屋内退避」指示に反して、福島県双葉郡川内村のとった「全村離脱」の行動は正しいとはすでに述べた。
避難先は川内からさらに30キロほど西の郡山市。
ただし、これもアメリカ政府が自国民避難指示した「50マイル」(80キロ)圏外にはほど遠い。
「80キロ圏」とは、東西に長い福島県の東半分がすっぽりと収まって、なお隣接する宮城県と茨城県の一部を含むエリアになる。
避難してなお、再避難の可能性に追い込まれている苦しさは察して余りある。

しかし、川内村の「独自行動」の意味は、実はきわめて大きい。
地震や津波被害を直接には受けなかったこともあるが、すくなくとも「自分の頭で考え」、「全村離脱」という「極限の行動」を、「国」や「県」に逆らって、「実行に移す」ことのできる、村の「首脳」部がいたのである。

福島原発事故に関する政府発表を見聴きしていて、誰もが思うのは「本当に大丈夫なのか」という疑問である。
さらに、その発表を「解説」するだけで、ほとんどそのまま垂れ流しているマス・ジャーナリズムの口説にも、疑問をもつ人は多いだろう。

情報源とそれに対する判断を、ほとんど「東電」に依拠し、その広報しかできない、保安院と官房長官。
独自のデータをもたず、したがって独自の対応策も採れない日本政府。
そこには、官僚と企業が一体となって推進してきた原発行政が大きく影を落としている。
そうして、情報のほとんどを政府とエスタブリッシュメント(簡単に言えばご用学者)に依拠しているマス・ジャーナリズム。
そこには、「分節された脳」がないのである。

ただただ「一縷の可能性」という希望にすがり、それに「全力をあげる」ことで面子を保ち、パニックを防ごうとしている政府。
原子炉の構造が違うから、せいぜいスリーマイル島とチェルノブイリ事故の中間などといっていたが、これは規模の全くことなる、人類史上未曽有の「同時多発進行中」原発事故。
9・11よりも意味の重いものとして、歴史に記憶される「3・11」となる可能性が大きい。

いま、人々がもっとも知りたいのは、「最悪の場合どうなるのか」ということ。
それは、直接の放射能被害というよりは、そのことによって、何が起きるのか、ということ。
そのためにはどうしたらよいかということ。
放射能被害を避けるための、防災グッズなどといった報道は愚の骨頂、気休めにすぎない。

国と県、保安院、東電、マスコミの一体化、丸抱え丸投げ構造こそ、ことの根源にあった。
もっと言えば、電気や水といった、生命の根幹を握るものを、巨大なシステムに委ねてしまった現代社会のありかたそのものがある。

私たちは、人生の過半を生きてきた、そして見てきた。
これから、日本語の文化のうえで、日本列島で生きていこうとする若い人々に、理解していただきたい。
分節こそ宝である。
国、県、ではなくて、村、町、市が、分節したそれぞれの判断力と決断力で生きのびること。
どこかの国のような、中央一極支配、集中管理とそれへの依存は愚である。
水も、電気も同様。、戸別単位のシステムが模索されなければならない。
すくなくとも、社会は、文化は、そうして生きのびることができる。
その社会的基盤の上に、国やマス・ジャーナリズムは成立すべきである。
そうすれば、わたしたちの「文化」は、一挙に消滅はしない。
日本列島上、「分節」への動きは、すでに避けられないものとなっている。

東京は疎開を余儀なくされるかもしれない。
膨大な難民が発生するかもしれない。
そのときは、もちろん東京における首都機能は途絶える。
政府も日本国の象徴も移転する。
その帰趨は「水」が決する。

つまりそれは、首都圏水源の放射能汚染が避けられなくなった時だ。
もちろん「その日」「その日」の風向きに大きく影響されるが、可能性として少ないものではない。
未曾有の事態に陥る可能性については、それが数パーセントでもあれば、全面的にそれに対処しなければならないのは、危機管理の常識である。
この場合、可能性は数パーセントではないのである。

collegio

川内村の独自行動

「過疎の村・川内村が全村でとった行動 」と題して、
作家・作曲家の鐸木能光(たくき・よしみつ)氏が朝日新聞のサイト論座Aronzaに書いています。
国と県の、「現地」切り捨て、とくに「屋内退避」の欺瞞性を明らかにしています。
川内村の村長は、独自の判断で、全村離脱を呼びかけ、敢行しました。
国と県の指示に反するこの行動を、私は正しいものと判断し、支持します。

次のURLで鐸木さんの文章を、是非お読みください。
http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/special/2011031600017.html

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廃村、廃町、廃市

福島第一原発、第二原発20キロ圏内の川内村は、地震被害もほとんどなく、水も電気もあった。
しかし、この事態で、村長は防災無線を通じ、逃げられる人は逃げて、と呼びかけたと、村を脱出してきた人からのメール。
この村長の判断は正しい。
生きのびた人が、いつの日か再建をとも。

廃村、廃町、廃市の可能性のあるエリアがじわじわと広がっていく。

日本の報道はすでに戦時下、東電大本営発表の図式。
「確認できない」を連発するか、確認した細部データを言うのみ。
それが「何を意味するか」に触れない。
海外メディアのほうがよほど事態の本質を報道している。

フランス政府はすでにエールフランスに臨時便を要請。
首都圏から、外国人の日本脱出がはじまっている。
日本人でも、金と情報を持っている者は、その動きを開始した、とは、カード会社に勤める人の情報。

collegio

かなしい春

東京都の府中市清水が丘3に「かなしい坂」があり、府中市の標識が建てられている。
府中市観光協会の説明は、「この坂の名の由来は、江戸時代の玉川上水の工事にかかわりがあると言われています。/玉川上水は、はじめ府中の八幡下から掘り起こし、多磨霊園駅付近を経て調布の神代辺りまで掘削して導水していました。/しかし水はこの坂あたりで地中に浸透してしまい、工事は失敗に終わってしまったとされています。/この工事の責任を問われて処刑された役人たちが、「かなしい」と嘆いたことからこの名がついたといわれています。/このときの堀は、今でも「むだ掘り」「空堀」「新堀」の名で残っています」という。
この上水工事の起点は、国分寺市の国分寺崖線下「池の坂」である、という話もある。

国内外のきわめて厳しい視線を浴びている、東京電力福島原子力発電所の、あの無様。
現状は、とても「想定外の自然災害」と言っていられる話ではない。
まったくの人災である。

近世であれば、会長・社長以下責任者並べて獄門・梟首(きょうしゅ・さらし首)は免れない。
つまり、とうてい「士」とは認められない。
巨大な、ある意味で世界中のヒト、そして生きものの「命」を担保にした仕事であるという自覚がないのだ。
ただの「会社員」意識しかないのだから、切腹は許されない。
また、東電は、当然「とりつぶし」となる。
まして「計画停電」とやらの二転三転の挙句、通告なしの急停電をして社会を大混乱に陥らせている現状を鑑みれば、なおさらである。
事故の記者会見に一度も姿をみせず、これからも「広報担当」と政府および「保安院」に投げっぱなしにするとすれば、会長と社長は歴史に卑怯者の名を残すだろう。

そうして自然は容赦なく、一月もしないうちに春となる。
「世の中は 地獄の上の 花見かな」(一茶)

collegio

トーキョー・シロアリ

とりあえず、弟夫婦は無事だった。
以下、そのブログの転載。
「電気が来ました。
みなさん御心配おかけしました。
川向こうまで水が来ており、あの、数百人の遺体があるけど回収できない地域です。
なのにかろうじて川のこちら側は助かったようなものです。
沢山のひとが家を失って、本当に心苦しいです。
我が家では長男が、気仙沼の小学校の教員で、まだ、連絡が取れません。
女房がしばしば泣いていますが「あいつのことだから、大丈夫」、と励ましている所です。
食べ物とガソリンが不足し、空いてる店には長蛇の列、我が家では買い物は控え、極力あるもので対応しているところです。
とにかく不幸中の幸い、ただし長男は・・・
状況が落ち着くのを待つばかりです。
御心配いただいているみなさん、ありがとう。」

ところで、先刻発表された首都圏停電の「輪番表」をみてみると、停電から外されている区は、私の読み違えでなければ、千代田区、中央区、新宿区、港区、文京区、墨田区、江東区、渋谷区、中野区、北区、江戸川区の11区となる。
つまり、「中央」は停電させない、ということ。
考えれば当たり前、というひとがいるかもしれないが、それなら「輪番制」ではない。
東京の「真中」を外すというなら、それをまずはっきりアナウンスして、皆が平明に納得できるよう、説明しなければならない。
原発事故で、「大丈夫、心配ない」ばかりくりかえして、国内外の視聴者に逆に疑惑をもたせてしまう「大本営」記者会見しかできない、何とか長官や保安院、東電の担当者、NHKなどのご用学者と同じで、「触れないで済まそうとするところ」に核心がある。
そもそも、電力逼迫の元となった、東電の原発が、どうして東京ではなくて福島県の海岸縁に集中してあり、どうして何万人もの住民が、自分のところに何の恩恵もない(電源協力費とやらを東電は無理やり押しつけているのだが)危険極まりないシロモノをネジこまれ、挙句の果てに「避難」させられなければならないのか。
そうして、人口3000人の福島県双葉郡川内村が、とりあえずの被爆可能性10キロ圏内に一部引っかかりながらも、人口1万5000人を超す隣の富岡町からの避難民を預らなければならない矛盾。
停電で不便をかこつトーキョーが、自らの特権階層性を当然としている奇怪。
公害のミナマタ、基地のオキナワ・・・・、原発の××・・・(決してトーキョーではない)。
これは、「日本」というできそこない国家の構図なのだ。
結局のところ、トーキョーというピラミッドの「頂点」を繁栄させるために、周辺はそれを支えるために、存在する、奇形国家。
つまり、個人レベルで言えば、頭のいいやつは、「中央」で「身を立て」、そこに座を占めて中央権益ピラミッド維持のために腐心する。
これでは「国家」の態をなしえない。本来、「中央」などよりよほど豊かな可能性をもつ地方という樹木を喰い物にする、「トーキョー・シロアリ王国」でしかない。
つまり、常に地方反乱、分離独立の契機をはらむのであって、原理的に、お隣の共産党中央独裁国家を批判できないのです。

collegio

津 波

仙台市若林区南小泉一丁目。
若林区役所の南200メートルに、私の実家はあった。
生まれた場所は同じ南小泉でも500メートルほど西だったが、いずれにしても「南小泉」は私の生まれ育った場所。
真山青果の小説『南小泉村』の舞台でもあった。

一昨年の父の死後、無人となったその家をやむを得ず売却したのは去年の末。
長い間一人の父を気にかけていただいたご近所の方々は、いまどうしておられるか。
それよりも、名取川と広瀬川の合流地点附近、仙台市太白区郡山にある弟夫婦の家はどうなっているか。
南小泉からさらに東の遠見塚一丁目にある特別養護老人ホームにいる義母はどうしているか。
さらには、町が壊滅的打撃を受けた気仙沼市の、唐桑町にある中井小学校教諭の甥はどうしているか。
171にメッセージを入れた、twitterにも書いた、auやgoogleの伝言板にも書きこんだが安否確認できない。
NHKの安否情報をコールするも、3回線ともつながらない。

弟は仙台市役所の福祉施設の責任者を最後に退職し、地方の幼稚園の園長として勤めてもいたが、それよりも「ノーム芳賀」として、全国の保育園、幼稚園などにパフォーマンスや工作指導にかけまわる、児童福祉関係では知られた存在だ。
あの元気で心優しい弟たちが、無事で避難所にいるとは思うが、家屋はそのままでは済まなかったろう。
水も食料も不自由しているだろう。

そして、もうひとつ。
福島県双葉郡川内村は第二の故郷。
私たちの別荘というか、実態は妻と二人でやっている会社の倉庫状態だが、その村の中心附近にある建物は元来は村の保育園だった家屋。
村は、詩人の草野心平の文庫があること、天然記念物のモリアオガエルで知られる、人口3000人の自然豊かな山里。
東電の原発のある富岡は隣町。
村の東端一部は福島第一原発の10キロ圏内に含まれる。
いま、「避難所」にあてられている行政体だが、受け入れ側の遠藤雄幸村長も、状況は非常に厳しいとコメントしていた。
「別荘」は避難者に開放してよいから、と連絡しても、お隣の旅館業にして村会議員の井出さんとは連絡つかない。
少し離れた木戸川べりに陶芸の工房を構える友人夫妻とも音信普通。
その一人娘は、壊滅的被害をうけた「相馬」にある母親の実家から高校に通っているはず。

そうして、隣町では「メルトダウン」がすでにはじまっているかも知れない。
地震・津波の被災に加えて、被爆の可能性・・・
連絡がとれたとして、状況が明らかなるのが逆に恐怖でもある。
どうすべきか、いずれにしても連絡できない、身動きできない状況がもどかしい。

とりわけ仙台では停電しているから、このブログを見る人もほとんどいないだろうが、どなたか情報をおもちならご一報を。

collegio

イヌ地図/ネコ地図

大分昔のことにながら、グラフィックデザイナーとして一世を風靡した杉浦康平さんが、「犬地図」なるものを試作して注目されたことがあった。
それは、犬の嗅覚による場所の記憶を、リニア―(線状)にとらえて図化したもので、今日の「NAVI」マップに似ていなくもない。杉浦氏自身は、何年かそれを試作していたのだけれど、どういう理由か「失敗作」としてその後言及しなくなったようだ。
私には、それは「無理やりグラフィック」の類に見えたのだが、果して作者自身がそう気付いたかどうかはわからない。
これもしかし大分昔の話になるけれど、1975年に初版第1刷が出た、平凡社カラー新書の一冊、『ネコの世界』(今泉吉典・今泉吉晴)という本があって、これは親子の共著。お父さんのキッテンさんは大変著名な動物学者(国立科学博物館動物研究部長をつとめた)、息子さんもそれに劣らず、科学的な素養のもとに同じシリーズの単著『犬の世界』を書きおろす実力者。この本はきわめて端的な叙述ながら、近年のイヌネコ雑誌を読むより余程勉強になる。
その本から学んだことのひとつは、イヌもネコも、遡れば数千万年前の第三紀には共通の祖先「ミアキス」に行きつくらしいということ。分類学上イヌ科はネコ目(もく)に分類される理由が分ったような気がしたものです。ちなみにタヌキは「ネコ目イヌ科タヌキ属」、クマは「ネコ目クマ科」となる。
学んだことの第二というか、ここで一番の焦点となるのは、ネコの「空間認識」についてなのです。ネコについては、その居住場所を中心に、三つのカテゴリーに分類されるといいます。第一が巣を中心とした「プライベートエリア」、第二は「ハンティングエリア」、さらにそれらをとりまく「第三のエリア」。この本ではそれらのエリアについてのネコの「認識」を、次のように記述している。

  「ネコはこの地域一帯のイメージをふだんから耳で聞いてかなり詳細につくりあげているらしいのである。耳で聞くといっても、となりのネコから聞くのではむろんない。つまり、そこにある工場や学校などたえず音をたてているものの位置と方向を耳で捕えて、自分のハンティングエリアを中心に、それらの地域イメージを脳の中につくりあげているのだ。自動車道路や河川、そして風のあたる大木なども、目じるしに使われる。このイメージは、たとえば交尾期になって、雄がハンティングエリアをはなれて遠征する際などにも役立てられる。ネコは、たとえはじめてそこに出かける場合であっても、けっして道に迷うようなことはないのである。」(26ページ)
この第三のエリアの手前、日常的に接する「ハンティングエリア」については、さらに次のような記載がある。
  「ネコはふだん使っている道の細部については、目を使わなくてもかなりのスピードで走れるほどに血肉化している。何かに驚いたネコが、その場でただちに状況判断して、あらゆる障害物をくぐりぬけながらスムーズに逃げる姿はよく目にするところである。これは運動感覚だけによっている。だからめくらのネコでさえ、自分の通路に横たわる二メートルを越す障害物を、それにふれずに、まるで目が見えるかのように、跳躍して通りすぎることができるのである。
  この種の事実は、ネコが地理の細部をよくのみ込んでいることを物語るものであろう。耳を使って大まかなイメージをつくりあげていることはすでに述べた。このように、二重、三重に描かれた地理のイメージの上にネコは、日々の状況の変化を見、かぎ、さぐり、聞いては、きざみ込んでいるのである。」(62ページ)

ここに述べられていることを敷衍すれば、個々の生物体がこの世に生を受けた直後から学習し、記憶を蓄積してつくりあげている「地図」の存在を示唆する話になるのであって、だから「地図」は、ネコといわず、イヌといわず、いわんや人間といわず、この世に遍在する無数の「空間イメージ」の謂いでもある。
地図は、紙に印刷されたものだけが「地図」ではない。
いまや電子の地図が紙のそれにとってかわろうとしている、メディア史上の大転換期。
こうした「地図」の所在にも、もっと注目されてよいのです。

collegio

川について その1

都市河川を考える前に、水そのものについての考察が必要だということに遅まきながら気がついた。

川を流れる水はどこから来るのか?
都市化以前の自然河川では、その根源は雨水であり、またそれによって涵養された湧水であって、それ以外ではない。

現在、都市を流れる水は、じつにさまざまな出自というか径路をたどってきた水である。
そうして、都市の「川」とは何を指して言うのかということ自体が単純ではない。

今日、その多くが暗渠というより公共下水道に変身したかつての「川」は、川と言えるのだろうか?
現在の公共下水のほとんどは屎尿・生活排水と雨水の合流式であるから、その意味では川は「死んだ」のだし、「再処理水」という名の「清流」が流れる水路も、その水面に顔を近づけてみればたちどころに判然とするように、既に「川」ではない。

さかのぼって、江戸時代には「下水」とは「上水」に対する言葉であって、通常は自然河川そのもの、あるいは人工の雨水排水路、灌漑用水の余水路であるから、その限りでは都市の「川」そのものの別称でもあった。

現在の都市に川を「復活」するためには、まずは屎尿・生活排水と雨水の流路分離が必要である。
分離された雨水は、豪雨時の溢水対策として、また災害時の利水、そして地下水涵養のために、都市のサイズに応じた、都市地震の内部に設置される、いくつかの湖水に導かれる必要がある。
そのための導水は、ポンプすなわち電力に依存しない自然流下式のものでなければならない。
ポンプはあくまでも補助的な役割を担ってもらうものでなければならない。

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江戸の崖 東京の崖 その27

三軒茶屋の三差路から、世田谷道を500mほど西へくだって、その一本南側の裏道。
そのあたりが、「忍法帖」や「戦中派不戦日記」で名高い作家の山田風太郎が、戦後、昭和32年頃まで住んでいた旧宅跡。
旧住所は世田谷区三軒茶屋町196番地。
三軒茶屋から世田谷通り(旧大山街道)と大山道(玉川通り、国道246)に分れるけれど、世田谷通りは北側の烏山川と南の蛇崩川の間の尾根道。
玉川通りももちろん尾根道。
この2本の尾根道の間を、蛇崩川(じゃくずれがわ)が中目黒まで下って目黒川に注ぐ。
行ってみて、風太郎先生、世田谷道の尾根から南にやや傾斜した、蛇崩の谷側に住んでいたことが判明。
このあたりは小さな崖がちょろちょろつづく。
蛇崩川はその程度だが、北側の烏山川(からすやまがわ)はもうすこし規模が大きい。
国士舘大学の北校舎と南校舎の間を抜ける緑道は、南に7mほどの崖が佇立してつづく。
その崖の途切れるあたり、松陰神社の参道脇の桂太郎の墓はしかし、なんとも恥かしい。
吉田の塾生でもなかった者が、その威を借りるタロギツネ、というかコバンザメタロウの構図を遺憾なく表わす。
なにせ「ニコポン」タロウは冤罪というよりも国家の犯罪「大逆事件」のフレームアップと「韓国併合」の総責任者。
こういう阿世者の「得意がり」を、「日本の歴史」は何時まで許しておくのだろう。

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