4月 18th, 2011
ポルトガルの洗濯女
画家の中原淳一の姪、中原美紗緒さんは、昭和30年代に「フルフル」や「パリのお嬢さん」などのシャンソンを唄って一世を風靡した。
当時小学生だったが、その軽妙なリズムは今でも私の耳の底に、きれぎれに残っている。
曲のなかには、「ポルトガルの洗濯女」というものがあった。
元来はイベット・ジローが1952年にヒットさせた曲で、作詞はロジェ・ルケシ、作曲はアンドレ・ポップ という。
前世紀前半、ポルトガルは「弱小国」で、独裁政権下にあったけれども、第二次世界大戦では賢明にも中立を保った。
それほどの弱小国ではないけれど、スペインも同様で、結局イベリア半島には、その戦火が及ばなかった。
だから戦後しばらくは、そして今でも、古いヨーロッパが遺されているイメージがあり、村の小川で女たちが群がって洗濯している、というような情景が歌になったのだろう。
20年ほど前、仕事でスペインのマドリードに行き、通訳をお願いした人(旦那がスペイン人で、小学生の男の子がいた)と日本について話をしていた時、ふと思い出して「日本がアジアのポルトガル化するという未来図を描くひとがいるが・・・」と言ったら、大変に嫌がられた。
スペインではポルトガルは隣国なのに(隣国だからか)、ずいぶんと見下げられているものだと思った。
ポルトガルは、大航海時代にはヨーロッパの輝ける星で、アジアの果ての日本にまで進出し、スペインと世界の富を二分したものだが、今では没落してヨーロッパの田舎となった、というわけだ。
そうしてこの4月はじめポルトガルは、EUのなかで、ギリシャとアイルランドにつづく3番目の財政破綻国となった。
話は大分時代をさかのぼるが、ポルトガルの首都リスボンは16世紀(1531年)と18世紀(1755年)の2回にわたり大震災にみまわれ、とりわけ1755年11月1に発生した地震では、火災と津波により壊滅。
死者数万人のうち1万人は津波によるものと伝えられ、ポルトガルの「失われた富」は莫大であった。
それが「没落」の直接原因というわけではないだろうが、大きな影響をおよぼしたことは間違いない。
リスボン大震災は、自国のみならず当時のヨーロッパの政治、そして宗教や思想に直接の刻印を遺し、その代表例がヴォルテールの『カンディード』やイマヌエル・カントの「崇高」という概念だといわれる。
いずれにしてもポルトガルは18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパの「大国」から「小国」に転じたことだけは確かなことがらであった。
私が言いたいのは、日本はこれからアジアの「小国」ではなくとも、すくなくとも「アジアの中国」になるのは必然だ、ということ。そうして、「賢明な中国」になるべきである、ということだ。「没落」ということであれば、たしかに「没落」である。
しかし、現代中国語で「没落」とは「落ちない」という意味である。
地震と津波、原発事故を経た私たちは、賢明でさえあれば、これ以上「落ちることはない」のだ。
(この項つづく)
中国語で「没落」を中日大辞典で調べると、「落ち着く場所がない」「陥落」「没落」の意味となっています。「落ちない」とはかなりニュアンスが異なりますね。「これ以上落ちない、即ちどん底」の意味で「落ちない」というひねりでしょうかね。
中国の友人に確認してみました。
「没」はmeiとmoの使い方がある。
「没有」mei youのように動詞を否定する使い方で、「没落子」mei lao ziのように「落ち着くところがない」という使い方になります。
「没落」はmo luoで、日本語と同じ没落、陥没の意味になる、ということです。
追伸でした。
ご指摘ありがとうございました。
私も、北京語と広東語の方に確認したところ、山崎さんのご指摘でよろしいのではないかということでした。
40年ほど前、先の戦争で中国に進入した日本軍が「蒋介石没落」と壁に殴り書きして、中国人の失笑を買った、という逸話を読んでいて、また中国語の初歩では「没」meiが動詞を否定すると習ってそのままだったので、てっきり「没落」は「落ちない」とばかり思っていました。
「蒋介石没落」は方言によっては「落ちない」可能性がないことはない。広東語では、「落車(Lok Che)」は「車を降りる」なので、「没落」が「降りなかった」と受け取られるかも知れない・・・ということのようです。
とりいそぎ