福島第二原発の立地点として知られる福島県富岡町。
福島第一原発の南にある、人口約1万6000人の海沿いの町は、2011年の3月11日を境に無人の里と化し、4月22日からは災害対策基本法に基づく「警戒区域」(20キロ圏内)として、居住者の立入りも禁じられた。

常磐線富岡駅から一つ先に「夜ノ森」(よのもり)という駅がある。
国鉄民営化以降は、改札員さえ見かけないような寂れた感じの駅だけれど、切通された線路の両側は躑躅(つつじ)が植えられていて、季節になれば、東京の駒込駅のそれよりも見事である。

階段を上がって、改札を出て、雑貨店や喫茶店が1、2軒ある通りを右に曲がると、海岸沿いの陸前浜街道に下りる道となるが、そのL字型の通りの両側に、樹齢100年を超える桜の太い古木が、黒々と、およそ2.5キロメートルもならび立っている。

例年であれば、4月の10日前後、淡いピンクの花のトンネルが出現し、花の匂いが満ちる。
夜ノ森という名前とともに、それは忘れがたい光景であった。

桜は今年も咲き、そして散ったろうか。
灯りと音が消滅した町に、咲き誇る、ながい花の列を、誰か見たのだろうか。
富岡町の海岸線もまた、津波に襲われたのである。

けれどもその実際は不明とされていて、ネットでも新聞雑誌にも、富岡町の津波被災情報ほとんど見かけない。
サイトの「福島県の被害状況」では、「(1)人的被害 死者 2人 不明者 8人 重傷者 軽傷者 (2)避難者数 避難指示 避難勧告 自主避難 不明 (3)住家被害 全壊 半壊 一部破損 床上浸水 (4)非住家被害」とされていて、「重傷者」以降の数字が欠け、放置されているのである。

「東北地方太平洋沖地震・日本地理学会災害対応本部」の津波被災マップ作成チームの手になる、1:25000津波被災マップでも、それは同じであって、福島県の北端部以南については、「範囲外」扱いされているのである。

4月8日の当ブログで「削除」を表明したが、私は日本地理学会のこの「処置」は、なにものからも独立して真理を探究すべき「学会」として、「適切」ではなかったと思う。
だからすくなくとも、「ブログ」で「お詫び」をステートメントしたのは早計であった。訂正し、取り消すことにする。

日本地理学会災害対応本部津波被災マップ作成チームが、震災から1月半ほど経た2011年4月24日に至ってなお、「作業範囲は地震後に国土地理院が撮影し公開した空中写真の範囲のみとし」て、それ以外なんらのコメントなく、平然としているのはまことに情けないかぎりだ。
今日なおつづく被曝の危険性により、飛行機からの撮影データが得られないからといって、津波被災地が「大甕」以北だけだったわけではない。
データが粗くなったとしても、衛星画像からも解析はできるはずだ。
その場合、地形図のスケールがダウンしてもやむを得ない。それは誰でも納得し得る「段差」である。
しかし、「官」の提供情報に依存し、容易にできることだけをやって、その後は「空白」というのは、学問のありかたとしては失格だろう。

さらに言うならば、「学会」として情報を公開するなら、そこまでやらなければ、結果的に、政府・東電の原発被災地に関する「情報差別」に与したと見られても致し方ないのである。

「地図」情報とはそういうものだ。
地図の本質は「一覧性」と「網羅性」にこそある。
あってしかるべき情報の、網羅的な提示がなければ、そこに何らかの意図を読み取るというのは、地図学の常識である。
地図は、それを作成する者の意思や世界観を反映し、それを見る者の認識を限定、ないし支配する。

学は「官」外に、「野」にこそある。
桜は、人に見られることなく、咲いたのか。

今日では、国土地理院のホームページですら、下北半島から九十九里浜に至る、連続し、空白部のない「浸水範囲概況図」を発表している。
それを見れば、富岡町は富岡川の周辺の沖積地が浸水し、「夜ノ森」周辺には津波被災がおよばなかったことがわかる。

夜ノ森の桜は、無人の里に咲いたのである。

One Response to “訂 正  「夜ノ森」」と「地図の本質」について”

  1. きむらたかし@三田用水on 11 5月 2011 at 19:04:38

    [夜ノ森の桜]

    ここ
    http://www.jiji.com/jc/movie?p=top276-movie02&s=295&rel=y
    の、38~50秒目のが、それでしょうか?

Comments RSS

Leave a Reply