ベアテ・ゴードンさんが、12月30日に亡くなった。
いま日本の「政界」で、「憲法」が岐路に立たされているような観があるが、彼女が、65年つづく「戦後の日本」に大きな貢献をしたことは、消えることのない事実である。
そのことに、あらためて感謝し、ご冥福をお祈りする。
多言は無用であろう。
ニュースは下記のサイトを参照されたい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130101-00000003-asahi-soci
また、ベアテさんがいかなる人物であったかは、次のサイトが詳細に語っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%B3
私は、以前の会社で編集長をしていたときに、下の本のタイトルを考案しただけであった。

それでも、ベアテさんとご主人やお子さん夫婦が来日した時も親しくさせていただいたし、日本でたびたび講演なさった時も何度かお邪魔したことがある。
いつ接しても、彼女の人間的な温かさに触れて、穏やかな気持ちになれたものだ。
扇ナントカという宝塚出身のタレント政治家が、参議院議長だったときだったか、ベアテさんに、「あなたのおかげで日本の女性は、美徳を失ったのではないかという意見もあるが・・・」と質問にもならない愚問を発したとき、ベアテさんはにっこり笑って、「でも、別の憲法だったら、あなたもこうしてはいられなかったかもしれませんね」と返事したと(詳細は忘れたが)いうエピソードを直接聞いたおぼえがある。
いま、わたしたちができることがあるとすれば、「ベアテ基金」のようなものを設立することだろう。
それが、「今の世にある」、わたしたちの、精一杯の「自己表示」なのだ。
ヨーロッパの最果ての国アイスランドは、数少ない海洋プレートの陸上生成現場であり、
北アメリカプレートとユーラシアプレートの狭間、つまり双璧の崖を見ることができる。
その狭間、つまり裂け目をgyao(ギャオ/ギャウ)といい、世界初の民主議会「アルシング」の舞台でもあるという。
西暦930年に、移民たちがこの裂け目の崖下に集まり、直接議論を交えたと。
つまり、その場は崖の岩壁が音響板となって、谷底を「声」が走り合ったわけだ。
日本列島は、海洋プレート現象としては、アイスランドとは正反対の「沈み込み帯」に位置していて、その反動で地震がおきるとは、よく説明される事柄でもある。
この場合、日本列島は海溝という巨大な崖っぷちにあって、人間はその縁の上に起居している構図になる。
「断崖絶壁」という言葉がある。
断崖と絶壁はどう異なるか。
断崖は、崖の上から崖下を覗いた謂いで、絶壁とは崖下から見上げた場合だという人がいる。
そうかもしれない。
けれども実際の使用例は、かならずしもそうなってはいない。
しかし。
崖下に生まれた民主議会と、崖上崖っぷちの日本の政治はきわめて対照的だ。
ちなみに、ウィキペディアによれば、アイスランドはエネルギー政策の先進国で、水力と地熱発電のみだそうで(核発電=原発はもちろん、火力発電所もない)、燃料電池バスや水素燃料自動車が運行されているらしい。
また、「常備軍」を保有せず、「タラ戦争」(第一次~第三次)でイギリス軍と戦ったのは沿岸警備隊だった(アイスランドが勝利)。
米軍基地も撤収することで合意ができており、実際に米国空軍基地が閉鎖されたという。
こうなると、政治的にも日本とは、賢愚ほぼ真逆の国がアイスランドということになる。
日本のような、中途半端なスケールと、旧「帝国」の神話が、崖っぷちの危険度をますます大きくしているようだ。
政治的にも、経済的にも、「分節」すること。
日本列島上に人間が生きのこる知恵は、おそらくそこにしかないのである。
そうして、「分節」こそが、「民主主義」の本質なのだ。
テレビと新聞・雑誌は、この何ヶ月か、極力見ないようにしてきた。
その予感はあたっていた。
「選挙」の結果である。
自民党の大勝、猪瀬の圧勝、「改憲」の現実化という結果である。
「民主主義」というものは、日本においてはかくも愚かな結果を現出する。
ペットが弱腰の主人を侮り、専制的な「飼い主」を崇める構図によく似ている。
この場合の「ペット」とは、もっとはっきりした言い方をすれば「奴隷」である。
民主党は、「オタオタした素人政治」で、閉塞のイメージしか残すことができなかったのだ。
国家官僚を中核とする、「利権共同体」の高笑いが聞こえてきそうだ。
巨大な金のもとに、とりわけテレビの裏側で、電通や博報堂が暗躍した結果でもあろう。
かつての魯迅と竹内好の指摘は、現在の日本にも、そして中国の現在にも、
それぞれ異なったニュアンスはあれ、もちろん有効なのだ。
ゆめゆめ、「あの国とはちがう」なとど言うことなかれ。
(cf.竹内好「中国の近代と日本の近代」『日本とアジア』所収)
これで「日本」の「国家」的体裁は一見強固となるだろうが、実は長い目でみれば
亀裂と解体、そして動乱のはじまりであったことが、明らかとなるだろう。
地下の、見えない活断層のズレが、一段と大きく成長したのである。
拙著『江戸の崖 東京の崖』刊行後3ヶ月を過ぎた。
『日経新聞』や『東京新聞』での紹介はあったが、本格的な書評はまだ出現していない。
一昨日、仙台地方の友人から、日曜日(2012年12月10日)の『河北新報』で紹介記事が出ていたと知らせてきた。
「東北の本棚」のコーナーだという。
東京のことを書いたのに、「東北の本棚」とはこれいかにとは思ったものの、取り上げてくれたのはありがたい。
著者が仙台出身ということで、文化部の記者が着目したようだ。
記事は手際よくまとめてある。
河北新報のサイト(ブックレビュー)にも掲載されている。
http://flat.kahoku.co.jp/u/bookreview/7GydCSPtnF04vhpHUZQL
しかしやはり、本書をじっくり読み込んで評価してくださる、記名入りのの書評が待たれる。
何度も繰り返すが、拙著の精髄は、最近流行の、マニアックな「地形景観カタログ」にあるのではない。
オープニング・ページに、「フクシマの地霊に」(To The Genius Loci of Fukushima, A Happy Island)と献辞を置いたのは伊達ではない。
東京の、そして日本列島の「現、存在自体」が、「崖」だと言っているのだ。

12月2日の「坂学会」の講演とウォークは好評のうちに終了。
今年は来週土曜日の、淑徳大学公開講座(北鎌倉から鎌倉)でおしまいです。
いまのところ明確になっている、来春の予定を以下に掲げておきましょう。
ご都合のつくかたはどうぞ。
《淑徳大学公開講座「古地図と文学でめぐる 江戸・東京崖っぷち紀行」》
第63回 1月19日 明大前 水道道路を新宿まで
第64回 2月16日 東青梅 多摩川河原を青梅まで
第65回 3月16日 府中 郷土の森とビール工場
第66回 4月20日 町田 谷戸づくし
*いずれも土曜日、午後2時から4時ころまで。屋外。
連絡は、淑徳大学池袋サテライトキャンパス 電話03-5979-7061
《NHK文化センター青山教室「古地図で都心の崖めぐり」》
第1回 1月12日 江戸・東京の崖と坂① 赤坂・溜池・愛宕方面
第2回 2月 9日 江戸・東京の崖と坂② 六本木・麻布・白金方面
第3回 3月 9日 江戸・東京の崖と坂③ 信濃町・四ツ谷・曙橋方面
*いずれも土曜日、午後1時から1時間ほど屋内講義、その後屋外へ。4時半ころ終了。
連絡は、NHK文化センター青山教室 電話03-3475-1151
《「国立市」まちの歴史を探る・辿る くにたちの崖線・古道の今昔》
〈第1回〉 1月26日(土)午前10時~12時
「国立周辺の坂と崖線をめぐって」
*連絡は、国立市公民館 電話042-572-5141
先週土曜日の11月24日は、古巣の早稲田奉仕園で、午前10時から昼食をはさんで午後3時半過ぎまで、
OB・OGを中心とした小さな講演会(「崖と坂の原風景」)とウォーク・ツアーをおこないましたが、
遠路南アルプス市からもご参加の方がいらっしゃったのは恐縮でした。
ウォーク・ツアーは、早稲田周辺と神楽坂から飯田橋、そして駿河台から神保町まで、約15000歩。
傘寿を過ぎた方も完歩され、快晴とはいえないものの天候もおちついていて、まずますの結果でした。
来月、といっても4日後の12月2日日曜日には、文京区民センターでまた講演と、「坂巡り」。
こんどは「坂学会」の「平成24年 坂まつり」の催しで、13時開始。
講演は「文京区民センター」で、13時から14時半までの予定。
こちらは60人の会場ですから、より多くの方々にご参加いただけます。
詳しくは
「坂学会」http://www.sakagakkai.org/
ないし
http://www.sakagakkai.org/seminar/leafleHa24.pdf
をご参照ください。
原発稼働は「国策」だという。
「国策」というからには、パブリックな意思決定があるはずであるが、それが何であるかは誰も知らない。
どこで、誰が、どのような理由によって、「国策」と決めたのか。
国会という機関があるが、それは関与しない。
「国策」と言うならば、全国民の直接意思を問うべきである。
ただ、「国策」だからという。
そうして、最近はその裏の意図が露骨に語られるようになってきた。
すなわち、「国防」のための「抑止力」だという。
つまり、いつでも原爆ぐらいつくれるのだ、ということを示威しているのだという。
これでは、旧軍部の亡霊がそのまま生き残って機能していることと変わりはない。
誰が、そんなことを認めたのか。
自爆基地、あるいは恰好の国土破壊目標を54基も全国にばらまいて、抑止力もなにもあるものではない。
「国策」というのは、実質霞が関の一部官僚が決めているのである。
そうして、「国策」の結果について、「国」は責任をもたない。
一企業の責任だという。
「国策」である所以の「流出金」にたかる天下り機関や企業やら学会、ジャーナリズムが「国家」を牛耳る、日本列島の奇怪な「シロアリ国家構造」は、2012年3月11日以降、満天下全世界にあきらかとなった。
「国策」は「利権」の美称であり、仮面である。
「亡国」というのは、まさにこのようなことを言うのだ。
記憶力と理解力そして判断力の複合、つまりは「うわべの要領の良さ」だけで、一生涯自分とその家族が身分保障される官僚機構が、シロアリの巣そのものである。
「国策」は、「投票」で決定すべきものである。
「東京新聞」「中日新聞」の2012年10月28日(日曜日)読書欄に、執筆した書評が掲載されました。
以下の通りです。
「東京新聞」「中日新聞」2012年10月28日掲載
というと、松竹梅か鶴亀にまつわるお目出度話のように思われるかも知れないが、
実は思考のパースペクティヴの話。
最近、また書評をたのまれて書いたのだが(掲載紙発行後当ブログでも発表予定)、
レトロや懐かしのイメージのある「昭和」は、
実は、「明治維新」以来進行した「破壊」が、頂点をきわめた時代だった。
何の破壊かというと、「地方」ないし「地域」の、自立と自尊の破壊。
「3・11」はその破壊の舞台裏が、あからさまに露出した事態にほかならなかった。
百年単位、でみるとそういう「透し図柄」が浮上してくる。
これを、千年の視点に転換してみると、現在はその最大破壊を経て、中央集権の「解体過程」に入りつつあることがわかる。
つまり、沖縄は離反し、東北そのほかの地方は、それぞれ「中央」に懐疑と不信をつのらせ、自立に向わざるをえない。
それゆえに、「中央政府官僚」とその提灯持ちは、ナショナリズムに訴えて、中国や韓国と反目の演出をすることに躍起となる。
これを「万年」単位でみれば、結局人間というのはかくも愚かである、という話になる。
あと1万年後に、そもそも「日本」や「日本語」、「中国」や「中国語」、「英語」自体も存在しているとも思えないのだが。
天皇皇后は、本日2012年10月13日、東京電力福島第一原子力発電所から30キロ圏内にある、福島県双葉郡川内村を訪れるという。
総理大臣野田佳彦が10月7日におこなった同発電所の不自然にして唐突な「視察」は、まったくの「露払い」だったわけだ。
事故収束、安全宣言の最大の「カード」として、天皇皇后の現地訪問は、原子力ムラ中枢によって、大分以前から企まれていた。
その候補地が、「奇跡的に汚染線量の低かった」川内村であって、帰村宣言や小学校入学式、運動会の折ごとに、パスチャーターによる巨大な報道イベントが組まれ、大々的に全国報道されたことは、記憶に新しい。その最後最大の山場が、この日なわけだ。
大山鳴動ネズミ一匹、結局のところ原発体制を維持することだけに腐心する、官僚と政府そして産業界の一部等等が存在する以上、
天皇皇后は川内村に慰問に行くべきではない。
川内村は30キロ圏内であるのに福島市よりも郡山市よりも汚染度の低い、いわば「例外中の例外」であって、そこは原子力ムラにとっては
してもいない「収束」の格好の宣伝場である。
天皇皇后が、「除染視察」という「安全ショー」に駆り出される。
天皇皇后も不幸だし、それ以上に日本列島に住む人々、まして汚染された土地から追い立てられた、何万人という人々はもっと不幸である。