7月 4th, 2019
第3の敗戦について
『週刊東洋経済』の最新号(2019年7月6日号)をめくっていて、驚いた。
特集の1は「ソニーの復活」であるが、それとは別に数ページにわたって知人が取り上げられていたからである。
数十年前、時間と空間をほんの少しの間だが共にした高橋公(たかはしひろし)。
早稲田大学本部を占拠した、ノンセクト黒ヘル集団「反戦連合」の親玉だった。
いまではすっかり好々爺、いや、水木しげるの子泣き爺(じじい)の風情。
《「地方移住」のパイオニア ふるさと回帰支援センター理事長》として「ひと烈風録」に紹介されていたのである。彼が学生運動を離れ、生活に追われながらも友人たちと「神道夢想流」(杖道)の道場を建てたこと、先の津波でいわき市小名浜の実家が流されたことなどもはじめて知った。
しかしこの高橋氏と表題の「第3の敗戦」はまったく関係がない。
関係があるのは、コラム「グローバル・アイ」のほうで、こちらは小原凡司という笹川平和財団上席研究員、元は駐中国防衛駐在官を経て海上自衛隊第21航空隊司令だった人の書いた「中国動態」である。
可変翼を備え衛星の測位データと極超音速滑空技術を駆使する中国の中距離弾道ミサイルと、従来の抑止力という概念から離陸したロシアや中国の低出力戦術核兵器に触れて戦慄的である。
またこの記事ではないが、いまやその生産および技術大国となった中国のドローンの、軍事への応用は目を見張るものがあるという。
列島の現政権の浅慮は「防衛力」拡充に腐心邁進、標的となるばかりの空母に執着、またステルスではあっても有人事故付の馬鹿高い飛行機、それにミサイル迎撃システム(THAAD:低空飛来のドローンには無効)を、国内防衛産業への支払いを繰り延べてまで買い続ける。「赤ネクタイの大ボス」へのご機嫌取りでもあるが、リアルな認識と政治が意図的および無意識に回避され、かつて巨大戦艦に執着した愚が繰り返されている。
しかしながら今日の「戦争」は、その戦闘レベルにおいては宇宙空間のハイテク戦に軸足を移し、その防衛力レベルにおいては地表の食料自給率が命運を握っているのである。
極東の列島は、ここ1世紀以内に2つの大敗戦を経験した。もちろん第2の敗戦とは、核発電所の爆発事故とその対応処理のための悪夢のような泥沼作業、そして稼働停止にかかわらず垂れ流される途方もないそれらの保持費や解体費の現状を言うのである。
戦争も敗戦もほとんど知ることなく、いま存在するそれに気付かない人も少なくないが、それ以上に近未来の敗戦を想定しえない者は多いだろう。
標的となるのは空母めかした「自衛艦」や有人飛行機だけではない。54基の在列島核発電装置も、それら飛翔体の格好のターゲット以外ではないのである。
そうして東アジア政治のレベルにおいては、極東の島国は近代の「植民地支配」と「侵掠」の負債からいまだ抜け出すことができず、国際的な地位低下にもかかわらずいやそれ故に、過去を美化して内向きに居直ろうとする。
「アメリカの傘」も「自主防衛力」も、もはや頼みにできるものではない。現在ただひとつ確実に言えるのは、われわれがもっぱらひとりよがりあるいは美意識を頼みとするならば、その先にあるのは第3の敗戦でしかないという、冷厳な「格率」である。飢餓と核汚染のなかで「耐へ難きを耐へ、忍び難きを忍」ぶこと自体が不可能となるのは、そのときである。
もっとも「格率」ならざる「確率」に言い及べば、第3の敗戦のさらに高いそれとして想定される事態は、列島のメガシティとメガロポリスを直撃する巨大地震とその結果である。
この近未来に「国土強靭化」と「軍備増強」で対するならば、それは愚かとしか言いようがないのである。