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洗足池 その1

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大田区立洗足池公園の一画に、小さな「中原街道改修記念碑」が建てられている。

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碑文は以下の通りである(掲示に際し改行し、句読点およびルビ(読み仮名)を補った。〔   〕は解読者の補注)。

 我中原街道ハ郡〔荏原郡〕ノ中部ヲ縦貫シテ神奈川県下二通ズル大動脈ニシテ、交通上無二ノ要路タリ。然ルニ従来沼部石川千束等ノ急坂、相前後シテ中間二起伏シ峻屹嶮難、往来ノ苦困名状スベカラズ。沿道諸般ノ事業ハ為ニ時代ノ進運二伴フコト能ハズシテ、文明ノ恵沢二浴セザルモノ甚寡カラス。
 府会議員森田節氏深ク之ヲ憂ヒ、奮起卒先シテ是ガ改修ノ事に膺(あた)リ、或ハ府庁当局卜折衝シ或ハ関係町村有志ヲ策励シ、拮据(きっきょ)経営着着エヲ進メ遂二忽ニシテ這(こ)ノ壮業ヲ完成シ、坦坦砥(といし)ノ如キ現在ノ道路ヲ見ルニ至ラシメタリ。
 回顧スレバ府制実施以来悠悠四十年、其間府政二参画シタルモノ頗ル多シ。而モ未ダ曽(かつ)テ一トシテ本街道ノ嶮難ヲ顧ミタルモノ無ク、長ク沿道庶民ヲシテ徒二怨嗟ノ声ヲ伝ヘシメシガ、今ヤ幸ニシテ同氏ノ恩眷二接シ宿昔ノ憂患ヲ除ク事ヲ得夕ルハ真二長夜ノ夢ヲ破リテ初メテ曙光ヲ仰グノ感二堪ヘズ。
 沿道ノ地方一帯二於ケル諸般ノ事業是ヨリ応(まさ)二必ズ発達進展ノ実ヲ挙グペシ。豈(あに)欣快ノ至ナラズヤ。乃チ茲(ここ)二此事蹟ヲ録シテ厥(そ)ノ慶福ヲ記念シ以テ之ヲ不朽二伝フト云爾(のみ)。
                          大正十二〔1923〕年四月

『大田区史』(下巻、1996)によれば、中原街道はこの碑文の道路改修完成後も地域ごとに拡幅改修され、1935年5月には「現在の桜坂を抜ける中原街道にかわって、田園調布郵便局先から丸子橋に至る新中原街道が開通」したという。

桜坂については以前も触れ、あちこちで話もした。
上掲2行目の「沼部石川千束等ノ急坂、相前後シテ中間二起伏シ峻屹嶮難、往来ノ苦困名状スベカラズ」に関し桜坂の復習も含めて、いささか展開してみようと思う。

それはまた「洗足池」の創生ともかかわる話である。

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