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除染奪衣列島

日本列島の放射性物質汚染に乗じて、悪質な「除染企画」が蠢動している。

たとえば線量の高い、葛飾区の「都立水元公園」。
広大な水と緑にめぐまれたこの場所から、除染名目で草木を一掃し、コンクリートとアスファルト、人工芝の「運動公園」化してしまうとしたら、屋上屋を重ねる愚行というものだろう。

まずは局地的気候変動がおこる。
熱帯夜と集中豪雨が倍加する。
そうして、クーラーの稼働時間が延長され、その排熱もますます耐えられないものになる。

23区中最大規模の面積をほこる「水元公園」の入口付近
23区中最大規模の面積をほこる「水元公園」の入口付近

7月23日放映「NHKスペシャル 飯舘村 田中俊一の発言」。
浜岡原発は安全と発言した田中某(元原子力学会会長、元原子力安全委員会会長代行)が飯舘村の区長宅を訪れて、「除染のために木を伐って、谷ひとつくらい潰して汚染廃棄物処理場にしないと、村人は家に帰れませんよ、ヘッヘッヘ」というわけだから、醜怪(グロ)極まる。

ジャン・ジオノの「木を植えた男」という話は映画にもなったが、この男はその真逆で、放射能で汚染した挙句、村を丸裸にし、汚物を押しつけるわけだ。

そもそもどうして土下座謝罪し、汚染物はすべて自分のところで引受けますと言えないのだ。
村人も、どうして「下手人が何しに来た、とっとと帰らないとぶち殺すぞ」と言わないのだ。

現代日本は「倫理」も「正義」もなく、「居直り説教強盗」が横行する無法列島にすぎないことを、まざまざと示した場面だった。
江戸時代であれば、この男、ナントカ学会の一族郎党含めて、とうの昔に獄門さらし首になっていた。
すくなくとも、きょう日娑婆でちょろちょろできる分際ではない。

基本的な環境が「森林」である日本列島が、もっとも美しくまた緑豊かな土地から、その保水力を奪い、土壌を流出、壊死させ、溢水を誘発する禿げ山と汚染谷の出現に与(くみ)するとすれば、その中心に原発の推進者とその金にぶら下がる愚者たちの行いがあるだろう。

村が村であるためには、すなわち土壌流出と砂漠化を防ぐ手段は、可能なかぎり詳細な「汚染マップ」にもとづいた、村人自身の計画と実行による、きめ細かな除染と立入制限区域設定以外に方法はない。

「外部」の厖大な金(カネ)をアテにすることは、結局新たな「原発依存」にすぎないのだ。

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東京だってフクシマ

地つづきなんだし、風つづきなんだし、不安ながらも基本的には遠い僻地のことのように思っているけれど、実は東京もしっかり放射性物質に汚染されている。
昨日、葛飾区東金町(ひがしかなまち)七丁目の、カスリーン台風による「桜堤」の決壊場所を見に行ったのだけれど、ひょいと線量計のスイッチをオンにしたら、すぐに警告音(アラーム)が鳴りだした。
30μSv/h以上で、自動的に鳴るように設定されている。ご覧のように地表はかなり高い。

昭和22年、カスリーン台風時の決壊場所に立つ説明板。向こう側は江戸川の土手。説明板の下に縁量計
昭和22年、カスリーン台風時の決壊場所に立つ説明板。向こう側は江戸川の土手。説明板の下に縁量計
スイッチをオンすると、アラームが鳴りだすこの線量。1.5mの空中線量は0.28μSV
スイッチをオンすると、アラームが鳴りだすこの線量。1.5mの空中線量は0.28μSV

たしかにここは都内でも汚染濃度の高いことで知られる「水元公園」のすぐそば。
けれども、問題は水元公園とその周辺だけではない。
金町まで帰る途中にあった小さな児童公園(東金町五丁目児童遊園)の、すべり台の着地点。

2011-07-28-059.JPG
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行政はなんの手もほどこさずに、そのままにしていて、利用者もいつもと変らず、子どもを遊ばせているようだ。
とりあえず、ここにその記録を残しておく(いずれも2011年7月28日午後計測)。
ついでに言えば、文京区の根津二丁目児童遊園内でも、地点によってはもっと高い線量値を検出(2011年6月28日午後、地表で0.57μSv)しましたから、東京の端っこの話だろうと安心しているわけにはいかないのです。

都は新宿の計測値だけ発表して、低いの、基準値以下だのと済ましているようだが、ご覧のように、フクシマなみの高濃度汚染地域(ホットスポット)が実在する。
金町浄水場の水道水の放射性物質検出値も、6月一杯「不検出」と発表しているけれど、国や都道府県の「大本営主義」(嘘と隠蔽)がはっきりしている以上、どこをどう計測して「不検出」なのか、疑ってかかるのは「庶民の知恵」というもの。
これを別の言葉で言えば、「風評」という名の「市場原理」なのだ。
最近、東京税関が、飲料水の輸入量が「過去最大」となったと発表したのは当然のこと。

東京が「中央」の顔をしていつまでも平然としていたら、結果は惨いものになるだろう。
東京も、ひとつの地域、地方にすぎないのだ。

天災だろうと人災だろうと、現場を歩き、しらべつくして発表し、必要な措置をとることは、税を徴収し、それで成立している行政体(国、都道府県、市区町村)の義務だろう。
それをやらないのは、顔も心も、住民の側ではなく、「上司」を向いているからだとしたら、一党独裁のどこかの国と変らない。
それでもやらないなら、誰かが記録し、それを遺していくしかない。

遺すといえば、一人ひとりが髪の毛を数センチ、20本ほど切って、とっておくべきという提言がある。
自分がどれだけ汚染されたか、重要な証拠になるはずと。

いま、ネットで大変話題になっている、2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会における「放射線の健康への影響」参考人説明(児玉龍彦 東京大学先端科学技術研究センター教授,東京大学アイソトープ総合センター長。この参考人説明を、NHKは放映しなかった)のサイトを、私も念のため下に掲げる。http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo

東大には、アイソトープは飲んでも大丈夫と言ったデタラメきわまりない「教授」もいれば、このようなまっとうな教授もいたのだ。
児玉教授が怒りをもってまず明らかにした、「チェルノブイリ事故と同様、原爆数十個分に相当する量と、原爆汚染よりもずっと大量の残存物を放出した」は、「産経ニュース」の悪質な風評拡散である、「1960年代と同水準、米ソ中が核実験「健康被害なし 東京の放射性物質降下量」(2011.4.28)を完全に吹き飛ばした。

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川内村

1月以上の御無沙汰。

この間、腰の痛みが左から右へ転移。
これもradiationの影響か?

村では、復興と絆を祈念して、例年この時期に行われる、草野心平をしのぶ「天山まつり」を、特例のようなかたちでやるという。
23日の土曜日。
モリアオガエルの縁、蛙の詩人草野心平以来東京者が接待を受ける「祭り」のようで、いつもはあまり気のりしないのだけれど、今回は特別だから押して1泊で出掛けた。

2011年5月12日の東京新聞から。「緊急避難準備区域」内であっても、川内村の過半は「クールスポット」であることがわかる
2011年5月12日の東京新聞から。「緊急避難準備区域」内であっても、川内村の過半は「クールスポット」であることがわかる

川内村は、フクシマ第一原発から30キロ圏内(一部20キロ圏内)にあって、自主的に「全村避難」した。
避難者の「一時帰宅」第一陣報道で知られることになった村だが、実は放射性物質汚染は周辺の市町村に較べてエアーポケットのように低い。

蝉時雨につつまれるから蝉鳴寮(セミナリオ)
蝉時雨につつまれるから蝉鳴寮(セミナリオ)
キキョウの花は毎年咲く。花の中に、時々クサグモが陣取っている。時に0.36まで上がる。
キキョウの花は毎年咲く。花の中に、時々クサグモが陣取っている。時に0.36まで上がる。

もちろん場所によってかなりの程度差があるが、村の旧はやま保育所を改装したウチ(別荘兼倉庫。蝉鳴寮:セミナリオと命名)は、写真にもあるように、概ね0.31マイクロシーベルト/時。
2011年7月24日午後2時前後、福島県双葉郡川内村上川内の、地上約1.5mの数値である。

この程度なら都内のホットスポットと大差ない。
とはいっても、一般人の年間許容量1ミリシーベルトとすると、内部被曝を考慮しないでもその2倍半はカブることになる。
0.30を超えると警告音(アラーム)が鳴るので、やたらうるさい。

しかし、村の他の地域、西側の山腹などでは、その倍以上の数値となっているようだ。
全体としては奇跡的な低汚染地域であるからこそ、可能な限り詳細な汚染マップが切実に待たれるのだ。
下の写真のように、同一敷地でも、微細な条件によって汚染度に濃淡がでる。

南に面した軒下の、雨落ち部分はとくに線量が高い
南に面した軒下の、雨落ち部分はとくに線量が高い
放射性物質は、苔が吸収する、というか苔によく溜る。写真はいずれも、2011年7月24日午後2時頃。
放射性物質は、苔が吸収する、というか苔によく溜る。写真はいずれも、2011年7月24日午後2時頃。

安全なはずの東京電力の原発が、東北電力管内の福島に次々と建設され、その事故の結果、福島県の一画にいま無人の放射性物質汚染エリアがひろがっている様は、首都あるいは中央が、地方を犠牲として成り立つ、現代社会のありようを象徴している。
社会学では、迷惑施設の地方配置のことを、いわゆるNIMBY (Not in my backyard)と言うようだが、日本において、ことは別様の根深い構造がある。

以前にも指摘したことだが、日本の近代社会は学歴を基本とした階層構造をなしている。
この場合、階層は階級と呼び変えてもかまわない。
日本は学歴階級社会であると。

その頂点はどこにあるかというと、「空間」的には東京であり、もっと狭く限定すれば、23区のなかでも千代田区と港区に特化される。
この2区については、先の「計画停電」にも計画外の特別エリアであったことは記憶に新しい。

ところで、「学歴」の最終着地点がどこにあるかといえば、もちろん上級国家公務員である。
そこに至る学歴階級社会のステップ、すなわち「時間」を、象徴的に取出してみれば、階級頂部に属す子弟が多く通う、千代田区立番町小学校、あるいは同麹町小学校、港区立南青小学校、そして同白金小学校などのうち、とりわけ番町小学校からスタートして、麹町中学校から日比谷高校、そして東京大学にたどりつくお定まりのコースとなる。

このルートは、学歴階級社会のもっとも知られた階梯だが、同様のアップステアー構造は、それぞれの地方において、なぞったように存在し、端末を東京大学に繋いでいる。
彼らは東京に「上り」、功成れば「中央部」に住まう。
列島外に目をやれば、東京大学のランクはいまや香港大学よりもだいぶ格下なのだが、なんといっても日本は島国であり、「日本語という壁」の内側では威光が効く。

そうして実は、この東京大学を頂点とした、「明治維新」以来140年ほどつづいた日本の近代階級社会が、フクシマの事故を契機に、自らほころびはじめているのである。
なぜならば、現在進行している事態は、ヒエラルキーの拠って立つ基盤としての「地方」とその「住民」の切り棄てであり、挙句の果ての、「中央」すなわちエリアとしての東京自体が、放射性物質で汚染されつつあることによるのだが、それと同時にこの学歴階級社会が、とどのつまりその頂部維持機能しかもちあわせていないことが露呈してきたためである。

今回の原発事故汚染の特徴として指摘される、半減期30年のセシウム137の多さは、新陳代謝のいちじるしい、子どもたちの身体の、とりわけ神経系つまり頭脳の発達に影響をおよぼすとみられる。
放射性物質汚染のダイレクトな情報が「ただちに」入手できるのは、上級国家公務員とその周辺の一部である。
だから、たとえば番町小学校などにおける微細(マクロ)な「人口移動」は、「状況」の深刻度を反映することになる。

学歴階級社会が、空間としての「中央」、時間としての「現在」、実在としての「頂部とその家族」しか保存し得ないこと、つまり「空間」としての「中央」が汚染にさらされるなかで、情報を積極的に公開せず、自らの「家族」を先に「疎開」させつつあることがあきらかになれば、「学歴階級」そのものが、国家という「公共性」のなかで存在根拠を失い、崩壊していくしかない。

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敗戦と原発 ―御厨貴氏に

ベアテ・ゴードンさんは、1923年10月のお生まれだから、今年88歳。
女性の年齢を言うのは失礼にあたるが、近年は来日のニュースを耳にしないけれども、まだ矍鑠(かくしゃく)として、ニューヨークの自宅にお住まいだろう。

現在の「日本国憲法」制定作業に携わり、そのプロセスを証言する、今日では唯一の「生存者」となった。
父親は、山田耕筰に請われ東京音楽学校教授となった著名ピアニスト、レオ・シロタ氏で、ベアテさんの少女時代、一家の住まいは赤坂の乃木邸近くにあった。
だから彼女は、戦前の日本女性の、美徳も、家財道具にも等しい無権利状態も、つぶさに目にし、耳にして育った。

アメリカの大学に進み、戦争が終わるまで、日本の両親のもとに帰ることはできなかった。
厳寒の軽井沢に隔離され、やせ細った両親と抱き合った日は、1945年のクリスマスだった。

占領軍の軍属として来日した彼女は、ケーディス大佐の下でGHQの日本国憲法制定作業を担い、とりわけ第24条(「男女平等」条項)の実現に力をつくしたことで知られる。

「日本国憲法」をめぐる、あれこれの論議にはいま触れない。
しかし、憲法問題調査委員会委員長松本烝治国務大臣の案を基本とする日本政府側の「憲法改正要綱」(「大日本帝国憲法」の改正案)がGHQによって一蹴され、「マッカーサー草案」を元とした「日本国憲法」が実現したことは事実である。

日本の政治家たちは、敗戦を機にしてなお、新たな国家イメージを形成することがなかった。
旧憲法の一部手直し、可能な限りの現状維持、そして既得権維持をはかることが、目の前の最大課題になっていたからである。
もちろん「政治」は、男どもの専管領域だった。

今回の、人類の歴史に類をみない、巨大な原発事故は、第二の敗戦である。
「スリーマイル島事故の、レベル5」から、「チェルノブイリなみのレベル7」に引き上げられ、しかしその放出された放射性物質の量は「レベル7」を超える。

歴史は繰り返す、というより、日本は、日本人自身は、あの敗戦からさえ何も学んでおらず、何も変わっていなかったのだ。
パニック回避という名目の情報統制、そして後出し、日本国内でしか通用しない「暫定基準」の引上げ、といった、ご都合主義優先の陋劣きわまりない「大本営発表」は、われわれの眼前で、政権交代した「民主」党政権のもとで、いまなお腐心中である。

「発送分離」などという首相発言にもかかわらず、政府の「新成長戦略実現会議」は「原子力を最重要戦略」と位置づける。
東京、福井、青森の選挙では、それぞれ原発推進派の知事が再選された。

これだけの「敗戦」にもかかわらず、「島内空間」においては学習能力ゼロであり、ために自分の力で自らの未来をきりひらくことができないのだ。
自然災害の集中する弧状列島にあって、膨大な量の放射性物質を漏出し、拡散させている日本政府は、すでに国際的には科人(とがにん)であり、日本の原発は重要な監視対象である。

このままでいけば「日本の政治」は、「世界の孤児」となった挙句、国際管理という名の「第二の占領」が必要となるだろう。
「黒船」と「占領」は、「外圧」なしでは変ることのできない「列島政治」の象徴であった。

日本近代政治史専攻の東京大学先端科学技術研究センター教授御厨貴氏は、東日本大震災復興構想会議議長代理などという、あやふやな仕事は即座に断るべきだった。

彼の本領は、この稚にして惨な「日本の政治」の病弊そのものの解析に向けられるべきたっだのである。

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青空文庫と公共図書館検索

スマートフォンを利用するようになって、電車のなかで青空文庫を利用できるのは大変にありがたい。
ウィキペディアもそうだが、青空文庫も、利用者にとってははかりしれない貴重な公共財産である。

しかしながら、パソコンで利用していたときからの最大の不満は、「底本」を明記しているにもかかわらず、というかその故か、当該作品の成立年代情報、たとえば初出の掲載誌の情報などはほとんど参照できないことだ。
それを知りたければ、「底本」にあたれ、ということなのだろうが、利用者は図書館などに出掛けて行って「ブツ」としての「底本」を手にしなければならず、情報の「あと一歩」がないために、結局は不完全なデジタル公共財にとどまっている。
これは、まことに残念な、しかし明らかな欠陥である。

さて、では実際に、公共図書館でその「底本」にあたるとして、例えばそれが「全集」だった場合、公共図書館のOPACでは、通常どの巻に収載されているかがわからないのだ。
つまり、例えば『斎藤茂吉全集』は第1巻から第56巻まであるが、各巻ごとの収録作品明細が目録化されている図書館は、国立国会図書館などごく少数である。
また、個人全集ではなく、アンソロジーとしての「文学全集」などの場合も、収録作家名はあるけれども、作品名の明細はないのが普通だ。
これでは、検索の「目録」たりえない。

だから、「全集」で当該作品にあたり、その年譜や解説を参照したい場合は、書庫から全巻出してもらって、片端から見ていくしかない。
図書館によっては、一回の閲覧冊数が3冊や5冊などと決まっていることがあるから、そうなると厄介さが幾倍にもなる。

まあ、こういうことも、いずれは全ページがデジタル化され、ネットでそれを検索閲覧できることになるのだろうから、過渡的不満といえばそれまでだが、各図書館で、そのような「中途半端」な目録が、それぞれの予算でつくられていくつも存在しているとすれば、ばかばかしい思いが先にたつ。

肝心の点が欠落して、中途半端な情報が溢れる、というのは、ナントカ「学会」でも同様だが、現在のネット情報のありようを象徴しているようだ。

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疎開

近代になって「開発」され、先の大戦を契機に急速に一般化した言葉である「疎開」dispersal は、「総力戦」に対応し、産業施設や建物、そして人員を分散させる軍事・政治用語だとは、『日本国語大辞典』をみれば簡単に了解できる。

そうして、日本においては、おもには空襲つまりair-raidによる対策として、都市の木造家屋密集部分を「疎」にし「空ける」ことを指していた。いずれにしても、為政・統治者の「時局用語」であった。
しかし、壊された家の住人の移動をも意味するところから、空襲の結果もはや「疎開」する建物自体がなくなる事態にいたって、もっぱら人間の地方への移動を指す言葉となった。
「民」の疎開記憶は、その時点に基盤をおいている。

今回の原発事故による、ほぼ日本列島東半分におよぶ、放射性物質汚染の、将来に対する計り知れない影響に対応して、いま、人はふたたび「疎開」という語を使用しはじめている。
「ただちに影響はない」と言われ、しかし目には見えない放射線 radiation の来襲に、「空爆」以上の恐怖を抱くのは当然だ。
それは、今回の「事故」の「規模」が未曾有であることによる。

いまなお隠微にネットなどで喧伝されている、「米ソ」や「中国」の原水爆実験時の「放射能」どころではなく、そしてチェルノブイリをもはるかにしのいで、今回のフクシマの事故、つまり既に撒きちらされ、なお漏出し、さらに爆発する可能性のある「放射能」の「量」はケタ違いに巨大である。

だから、「疎開」は正しい。
しかし、それは実際上、「移住」migration かも知れないのだ。

NHKのETV特集、「原発汚染地図」の続報が今日の22時から放映された。
チェルノブイリのくわしい汚染地図が、郡ごと、そして地区ごとに作成されているのが紹介された。
そうして、放射線の種類の詳しい分析が、重要であることが強調された。
これらのことは、とりわけ「地域汚染地図」の指摘は重要であった。

しかし、この列島上、国、あるいは県がすすんでそのような「地図」をつくることはないだろう。
この3月11日以降、わたしたちがはっきりと見てきたことは、国あるいは県の為政者がやってきたのは、時間をかけて情報を選別統制したあげく、後出しして、深刻な住民被曝を拡大した、ということだった。
いま、かろうじて「ヒューマン・スケール」の思考ができる政治分節は、市町村のレベルだろう。
ただし、「金」につられて「大合併」をした広域の「市」は、残念ながらそこからは除外される。
そうして、結局は地域あるいは家族や個人が、それぞれ生き延びるほかないのである。

さて、前回の「放射能汚染地図」の前回の放映は、見応えがあったし、1時間半番組だった。
しかし今回はたったの30分で終了。

そうしてその続きのETV特集は「暗黒のナントカ」と題した1時間番組。
震災を機に、インテリ・タレントの荒俣宏が梅棹忠夫をもちあげてみせた茶番。

前回の「原発汚染地図」と今回の「続報」、そして「暗黒のナントカ」。
この3つの番組の落差を見て、茫然とした人は多かったはずだ。

いま、必要なのは、安全圏に居る人間が、「文明」などという知ったようなことを高所から「語る」ことではない。
それは、恥かしい行為でしかない。

わたしたちは、まず自分で自分の足元を測るところからはじめなければならないのだ。

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カエル

40年ぶりで「ぎっくり腰」というものになって2週間ほど経ったが、いまだ椅子に坐ると腰に鈍痛と言うか、嫌な感覚が生じる。
中学時代の運動がひびいているらしい。
陸上部で走っていたのだが、腹筋や背筋のいわゆる「筋トレ」で、妙な負荷がかかったようた。

幸いよい鍼灸医に診てもらっているけれど、患部になかなかヒットしない。
よほど深いところとみえる。

寝ている間にも、事態は進行していた。
業界メディアはほんの申しわけ程度にしか触れなかったが、いわゆる「20ミリシーベルト」事件というか問題というか、福島の親ごさんたちが文部科学省門前で、雨中座り込みまでやったおかげで、「大臣」の「1ミリシーベルトを目指す」という言質をようやく引き出した。
校庭の放射性物質汚染表土の削平も、国の費用でやらせるところまでもってきた。
新宿区百人町の東京都健康安全センターに設置されている、文部科学省の放射線モニタリングポストも、地上18メートルという非常識な位置から、人体への影響を測るのに適切な、地上1メートルに訂正されるらしい。
石原がそう言ったと。
都の担当者は、市民の抗議や疑問には、「文部科学省の仕事を請け負っているだけだから」という、木で鼻をくくる返答しかしなかったのだ。
昔話に、「江戸のカエル、大坂のカエル」というのがあったが、役人というのは、目が上にしかついていないカエルみたいなものだな。両生類としてのカエル目(もく)には大変失礼だが。

けれども、水や食品の放射性物質汚染の基準値は、ずいぶんとまた上げられたから、実際は日本列島の広範囲なエリアで汚染と体内被曝は進行しているとみたほうがいい。
「国の基準値内」だから大丈夫、と言われても、誰もそのまま信用する者はいない。

「隣りの国」や半球の反対側ではなくて、「自国」エリアで原発事故が発生すると、その「国」では、基準値自体を上げざるを得ないのだな。
生産者や被害者への補償、そして「避難地域」の拡大や、膨大な「難民」の発生、そしてパニックに対処しなければならないからな。
なにせ、いまの列島東半分は、チェルノブイリをはるかに凌ぐ、放射性物質汚染の長期実験場だからな。
そうして、すべては、「ただちに影響はな」く、5年先、10年先、20年先に「結果露呈」する話だからな。

またカエルを持ち出すとすれば、熱湯に放り込むのではなく、水からすこしずつ温度を上げてやれば、カエルはおとなしく「煮殺されて」しまう、というあの例え。
情報は、関心が低下してから、少しずつ、「驚愕」の事実を後出しする。
そうすれば、カエルは、そのうち往生してくれる。
為政者は、「民百姓」がおとなしく「往生」するのを待っているようだ。
しかし、現実のカエルは水温が一定限度以上となれば、我慢なんぞするわけがない。
与えられた水槽を捨て、その外に飛び出すのだ。

小社の「フィールド・スタディ文庫」も、4年かかってようやく6冊目。
この20日までには、それが出来あがる予定。

ISBN978-4-902695-13-7  四六判226ページ 本体1800円+税
ISBN978-4-902695-13-7  四六判226ページ 本体1800円+税

1969年渋谷区生まれの著者が、「渋谷川」に目ざめて約20年。
そして、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の学芸員として、平成20年9月に行われた《「春の小川」が流れた街・渋谷》展を大成功させた。

その展示図録はたちまち完売。いまでは、「渋谷」や都内の「川歩き」に関心のある向きには「幻の資料」として垂ぜんの的。

しかし本書はその展示会のはるか以前から企画されていたもので、その間、著者は膨大な一次資料にあたり、暗渠をくぐってオリジナルな調査をつづけていた。

渋谷や渋谷川、さらには川歩きに関する本はあまたあるが、本書はそれらに卓絶する「渋谷・渋谷川原典」と言うにふさわしい。

図版・地図約160点。
折込地図「渋谷川とその支流」を付した本書は、「日本の都市河川」の来し方の典型を示し、「都市と川の未来」を語るうえでも欠かせない一冊。

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