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21世紀の日本の出版物で、地図と戦争のかかわりをおもな内容とするものに、本書以外では牛越昭(李国昭)著『対外軍用秘密地図のための潜入盗測―外邦測量・村上手帳の研究〈第1編〉』(2009年)や、小林茂編、『近代日本の地図作製とアジア太平洋地域』―外邦図」へのアプローチ』(同)があるが、これらは一般書ではなく、また、地図そのものを紹介したり、「読ん」だりするものではなかった。
本書はおもに著者が蒐集した旧版地図の現物にもとづいて、空襲や旧植民地の地名、軍事施設など、「戦争」とかかわるひとつひとつの記載をたどり、背後にある「事象」を語ったもので、解説は丁寧でわかりやすい。
サブタイトルに「描かれた日本、描かれなかった日本」とあるが、かならずしも「日本」だけを扱ったわけではなく、日本の旧植民地や「大東亜和共栄圏」の地図はもちろんのこと、さらにはベルリンやポーランドなどのヨーロッパにも触れる。
1945年の連合国軍によるベルリン空襲で出現したおびただしい量の瓦礫を、「瓦礫女」と呼ばれる戦場に赴いた夫を待つ女たちなどが少しずつ運び、築き上げた標高何十メートルという山が計8つ存在するという解説とその図は衝撃だ。東日本大震災の被災地の映像がただちに脳裏に浮かんだ。
戦時下の日本の地図でよく知られているのは、「戦時改描」という軍による「ウソ地図」や、空白部をもった地図であるが、実は米軍はより精確な地図を作成していて、改描や空白の効力は専ら国内、つまり「国民」向けだった。
いま、日本列島上の人々が切実に求めている「地図」すなわち「放射能汚染マップ」が、依然公表されず、むしろ「20キロ圏、30キロ圏地図」が「風評被害」の一因となっていることを考え合わせると、「戦時」と変わらぬ「地図」の「国内情報統制」があることに暗澹とするのである。

(2011年4月3日執筆。4月24日、中日新聞、東京新聞などに掲載)

福島第二原発の立地点として知られる福島県富岡町。
福島第一原発の南にある、人口約1万6000人の海沿いの町は、2011年の3月11日を境に無人の里と化し、4月22日からは災害対策基本法に基づく「警戒区域」(20キロ圏内)として、居住者の立入りも禁じられた。

常磐線富岡駅から一つ先に「夜ノ森」(よのもり)という駅がある。
国鉄民営化以降は、改札員さえ見かけないような寂れた感じの駅だけれど、切通された線路の両側は躑躅(つつじ)が植えられていて、季節になれば、東京の駒込駅のそれよりも見事である。

階段を上がって、改札を出て、雑貨店や喫茶店が1、2軒ある通りを右に曲がると、海岸沿いの陸前浜街道に下りる道となるが、そのL字型の通りの両側に、樹齢100年を超える桜の太い古木が、黒々と、およそ2.5キロメートルもならび立っている。

例年であれば、4月の10日前後、淡いピンクの花のトンネルが出現し、花の匂いが満ちる。
夜ノ森という名前とともに、それは忘れがたい光景であった。

桜は今年も咲き、そして散ったろうか。
灯りと音が消滅した町に、咲き誇る、ながい花の列を、誰か見たのだろうか。
富岡町の海岸線もまた、津波に襲われたのである。

けれどもその実際は不明とされていて、ネットでも新聞雑誌にも、富岡町の津波被災情報ほとんど見かけない。
サイトの「福島県の被害状況」では、「(1)人的被害 死者 2人 不明者 8人 重傷者 軽傷者 (2)避難者数 避難指示 避難勧告 自主避難 不明 (3)住家被害 全壊 半壊 一部破損 床上浸水 (4)非住家被害」とされていて、「重傷者」以降の数字が欠け、放置されているのである。

「東北地方太平洋沖地震・日本地理学会災害対応本部」の津波被災マップ作成チームの手になる、1:25000津波被災マップでも、それは同じであって、福島県の北端部以南については、「範囲外」扱いされているのである。

4月8日の当ブログで「削除」を表明したが、私は日本地理学会のこの「処置」は、なにものからも独立して真理を探究すべき「学会」として、「適切」ではなかったと思う。
だからすくなくとも、「ブログ」で「お詫び」をステートメントしたのは早計であった。訂正し、取り消すことにする。

日本地理学会災害対応本部津波被災マップ作成チームが、震災から1月半ほど経た2011年4月24日に至ってなお、「作業範囲は地震後に国土地理院が撮影し公開した空中写真の範囲のみとし」て、それ以外なんらのコメントなく、平然としているのはまことに情けないかぎりだ。
今日なおつづく被曝の危険性により、飛行機からの撮影データが得られないからといって、津波被災地が「大甕」以北だけだったわけではない。
データが粗くなったとしても、衛星画像からも解析はできるはずだ。
その場合、地形図のスケールがダウンしてもやむを得ない。それは誰でも納得し得る「段差」である。
しかし、「官」の提供情報に依存し、容易にできることだけをやって、その後は「空白」というのは、学問のありかたとしては失格だろう。

さらに言うならば、「学会」として情報を公開するなら、そこまでやらなければ、結果的に、政府・東電の原発被災地に関する「情報差別」に与したと見られても致し方ないのである。

「地図」情報とはそういうものだ。
地図の本質は「一覧性」と「網羅性」にこそある。
あってしかるべき情報の、網羅的な提示がなければ、そこに何らかの意図を読み取るというのは、地図学の常識である。
地図は、それを作成する者の意思や世界観を反映し、それを見る者の認識を限定、ないし支配する。

学は「官」外に、「野」にこそある。
桜は、人に見られることなく、咲いたのか。

今日では、国土地理院のホームページですら、下北半島から九十九里浜に至る、連続し、空白部のない「浸水範囲概況図」を発表している。
それを見れば、富岡町は富岡川の周辺の沖積地が浸水し、「夜ノ森」周辺には津波被災がおよばなかったことがわかる。

夜ノ森の桜は、無人の里に咲いたのである。

collegio

ポルトガルの洗濯女

画家の中原淳一の姪、中原美紗緒さんは、昭和30年代に「フルフル」や「パリのお嬢さん」などのシャンソンを唄って一世を風靡した。
当時小学生だったが、その軽妙なリズムは今でも私の耳の底に、きれぎれに残っている。

曲のなかには、「ポルトガルの洗濯女」というものがあった。
元来はイベット・ジローが1952年にヒットさせた曲で、作詞はロジェ・ルケシ、作曲はアンドレ・ポップ という。

前世紀前半、ポルトガルは「弱小国」で、独裁政権下にあったけれども、第二次世界大戦では賢明にも中立を保った。
それほどの弱小国ではないけれど、スペインも同様で、結局イベリア半島には、その戦火が及ばなかった。

だから戦後しばらくは、そして今でも、古いヨーロッパが遺されているイメージがあり、村の小川で女たちが群がって洗濯している、というような情景が歌になったのだろう。

20年ほど前、仕事でスペインのマドリードに行き、通訳をお願いした人(旦那がスペイン人で、小学生の男の子がいた)と日本について話をしていた時、ふと思い出して「日本がアジアのポルトガル化するという未来図を描くひとがいるが・・・」と言ったら、大変に嫌がられた。
スペインではポルトガルは隣国なのに(隣国だからか)、ずいぶんと見下げられているものだと思った。

ポルトガルは、大航海時代にはヨーロッパの輝ける星で、アジアの果ての日本にまで進出し、スペインと世界の富を二分したものだが、今では没落してヨーロッパの田舎となった、というわけだ。
そうしてこの4月はじめポルトガルは、EUのなかで、ギリシャとアイルランドにつづく3番目の財政破綻国となった。

話は大分時代をさかのぼるが、ポルトガルの首都リスボンは16世紀(1531年)と18世紀(1755年)の2回にわたり大震災にみまわれ、とりわけ1755年11月1に発生した地震では、火災と津波により壊滅。
死者数万人のうち1万人は津波によるものと伝えられ、ポルトガルの「失われた富」は莫大であった。
それが「没落」の直接原因というわけではないだろうが、大きな影響をおよぼしたことは間違いない。

リスボン大震災は、自国のみならず当時のヨーロッパの政治、そして宗教や思想に直接の刻印を遺し、その代表例がヴォルテールの『カンディード』やイマヌエル・カントの「崇高」という概念だといわれる。

いずれにしてもポルトガルは18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパの「大国」から「小国」に転じたことだけは確かなことがらであった。

私が言いたいのは、日本はこれからアジアの「小国」ではなくとも、すくなくとも「アジアの中国」になるのは必然だ、ということ。そうして、「賢明な中国」になるべきである、ということだ。「没落」ということであれば、たしかに「没落」である。

しかし、現代中国語で「没落」とは「落ちない」という意味である。
地震と津波、原発事故を経た私たちは、賢明でさえあれば、これ以上「落ちることはない」のだ。

(この項つづく)

4月16日のNHKテレビ放映。

敢えてアクチュアルなテーマに挑んだことには敬意を表する。
サンデル先生の立地点は、日本の権威主義的で保身的な「学界」などとは、はなから異なっているのがわかる。

しかしまあ、「正義」論で登場し、日本でも大いに売れたからな、このハーバード大の先生は。

だが、「正義」についての論議を期待した講義の内実は、大いなる幻影だった。

東京・上海・ボストン3都市のエリート学生たちを主体とした討論に、決定的に欠けていたのは、「地方」という視点、
「ジャパネット」の高田社長まで出て来て発言したのには驚いた。
出演者・発言者はみな、大都市に住む、「勝ち組」たち。

欧米と東洋、個人主義と自己犠牲的共同体意識、「単一民族国家」と多民族国家
島国国家と大陸国家、掠奪のない日本と便乗値上げのあったカトリーナのアメリカ・・・
こうした対立項を用いた討論は、すべて「キレイゴト」であった。

トーキョー放送局・NHKが仕組んだ、「日本ほめ」の猫だましエンタテイメント。

いま、日本列島が直面している最大のイッシューは、そこには不在であった。
それは、露骨に言えば、トーキョー国家による、「地方」に対する、ウソと不正義、いや、政治的詐欺という「犯罪」である。

フクシマは、トーキョーのために、住も職も、食も、自立できず、剥奪され、のみならず「差別」をうけつつあるからだ。
そこには、「自己犠牲」も、「英雄」も、生じる余地がない。

ギセイ規模は空前で、終息にむかうどころか現在進行中であり、なお予断を許さない。

だから、もし根源的な政治の「正義」を語るならば、その講義のの第一命題は、「フクシマはトーキョー帝国から独立すべきか」と、立てられるべきだったのだ。

一国家の「最大多数の最大幸福」のために、一地方がその意思に反してギセイとされるなら、その一地方には反乱の権利がある。
すくなくとも、その権利を「可視化」するのが「正義論」である。

この番組に、「正義」は不在であった。

「グローバル化」の結末。
アメリカにも、日本にも、中国でも、「健全な中間層」が崩落し、「巨大都市のエリート層」と「それ以外」に分解したことが、この番組でもよくわかった。
そうしてとりわけ日本においては、「それ以外」の層の「言説不在」が著しい。

しかし、すくなくとも日本において、巨大都市が自己の「消費」のために、自己以外の「辺地」に「原発」という「最終汚染源」を押し付けたことによって、逆に都市民は「疎開」する場を失ったのだ。

「都市」が「自然」を喰い尽くし、自ら崩壊の道をたどる構図が、ここにある。

サンデル先生の個人的な意図、すなわち日本を勇気づけ、支援したいという心情はよくわかる。

しかし、いまの、そしてこの列島の未来の鍵を握るのは、水道や電気、下水といった巨大人為独占システムによって維持されている「中央都市」ではなくて、むしろ「地方」の自立性なのだ。

現代政治哲学は、「巨大都市の論理」を越えて、再構築されなければならない。

collegio

挽 歌

「閖上(ゆりあげ)・荒浜」

つねあれば 春待つ田面(たづら)
地異津波 汚泥ひろがり

流木や ひしゃげた鉄の
色あせて 散じ突き立ち

 杉の木の 転じ重なり
 絡む根の 何をか掴む

 アスファルト 舗装はちぎれ
 「止まれ」字の 砂に座礁し

 松林 ばきりばきりと
 胴だけの 列をつくれり

 少年の 足裏(あうら)砂掻き
 貝採りし 古き運河は*

 海側の 片岸のみに
 とりどりの 瓦礫山なす

今日は晴れ 空の青きに
片雲(くも)の下 異臭少しく

指(さ)す方に 老眼(おいめ)凝らせば
セロファンの 風に捲れて

三本の 枯花斜めに
泥に挿しあり

一月の経つ

   *貞山堀(ていざんぼり)の貞山は伊達正宗の諡号。昭和30年代まで、大粒の蜆貝が獲れた。

江戸時代初期に通船のため、仙台の沿岸に開削された貞山堀は、津波の引潮でその海側の岸に瓦礫が集中した
江戸時代初期に通船のため、仙台の沿岸に開削された貞山堀は、津波の引潮でその海側の岸に瓦礫が集中した
collegio

原発と情報規制 2

法政大学の竹田茂夫氏によると、「すでに三十年前に原子力は民主主義への脅威だという議論がドイツで行われた」という。
そこにあるのは、日本で言えば、官-政-業-学の神聖共同体(原発村)であり、国家管理と癒着と利権が跋扈し、地元とマスメディアに麻薬(金)を配布する。
そうして、タブーが生まれえる。

「情報」は、原発村の一部が独占し、そのコントロール下におかれる。
発表は恣意的であり、情報をもたないジャーナリズムは、その垂れ流し機関とならざるを得ない。

日々厳しさを増す状況のなかで、
亡霊となったと思われていた、もろもろの愚劣な怪物が、起き上がり、眼前にそのグロテスクな姿を、少しずつ露わにしつつある。

百万人単位の死者を出したあの戦争から、日本人は、結局、何も学ばなかったのだ。
政治と権力の原理が、まったくわかられていないのだ。

これは「禁じ手」である。

「原発に関する〈流言飛語〉取締」を、こともあろうに「政府当局」が呼びかけることの意味が判られていない。

日本は、そして日本人は、どこかの国の一党独裁ネット統制に対して、今後一言も批判することはできないだろう。

以下は総務省のサイト

http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01kiban08_01000023.html#0

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地図/認識・意図・拘束

「古地図は、その時代の〈世界観〉を反映したものである」とは、よく言われること。
なにも、古地図に限らない。

地図は、その時代の世界認識を反映したものである。
そうして、これは世界認識に限らない。

地図は、作製者の現在の状況認識を反映したものである。
またこれは、状況認識に限らない。

地図は、作製者の状況認識と作成意図を反映したものである。
さらにそれは、作製者の内部に収束するものではない。

地図は、それを見た者の、状況認識を規定・拘束する。

原発、放射能汚染、にかかわる地図は、その作製者の認識と意図を反映し、かつそれを受容する側の状況認識を拘束する。
かかるところから「風評」は発生する。

と、取敢えず。

図例は後に。

実は、3月24日には、放射性ヨウ素による「甲状腺被曝線量」をあらわす地図が、原子力安全委員会のコンピュータ試算で発表されていた。
いわゆる30キロ圏外でも、3月11日から24日まで屋外にあった仮定しての被曝総量が100ミリシーベルトを超えるところがあると。

IAEAが3月30日に警告した、飯館村の高濃度汚染(1平方メートルあたり2メガベクレル。IAEA避難基準の2倍の濃度)という事実も、この地図が正確に示していることがわかる。

このような地図は、「当局」が意図すれば、つまりつくろうとすればつくれるのだ。
すべては、この地図と、その更新図に依拠して、かんがえ、実行されるのが正しいはずだ。

ちなみに、この地図で「飯館村」は、上部の「福島」という文字のある一画にあたり、県庁所在地の「福島市」は、「川俣町」の西隣(図外)になる。
このような地図は、一度報道されただけで、以後はいつもの同心円図が相変わらずのさばっている。

人は、放射能でいまとりあえずは死ぬことはない、として、かろうじて日常を維持し、政府も「とりあえず」に依存してようやく体裁をとりつくろっている。
しかし、参照すべきは、スリーマイル島事故ではなくて、すでにチェルノブイリ原発事故の例であることは、誰の目にもあきらかになりつつある。

そうして、これらの図をみてもう一つあきらかになることは、20キロ、30キロといった同心円の図が、いかに実態にそぐわず、悪影響すらおよぼすか、ということである。

そこでは、不細工な地図の「力」が、社会に逆作用をおよぼしているのである。

2011年3月24日東京新聞(夕刊)掲載地図
2011年3月24日東京新聞(夕刊)掲載地図

ここに掲げたような地図は、被災地の、そして避難者のもっとも切実に欲している地図である。
これが正確に公表されれば、人は動くすべがある。
風評を封じることばができる。

こうした図が、なぜ日本の気象庁から公表されないのか。
花粉情報はよくて、放射線汚染情報はなぜだされないのか。
それは、通常の判断力をもってすれば、そこに隠すべきものがあるから、と推理するのが正しい。

東京新聞、2011年4月1日掲載
東京新聞、2011年4月1日掲載

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