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青空文庫と公共図書館検索

スマートフォンを利用するようになって、電車のなかで青空文庫を利用できるのは大変にありがたい。
ウィキペディアもそうだが、青空文庫も、利用者にとってははかりしれない貴重な公共財産である。

しかしながら、パソコンで利用していたときからの最大の不満は、「底本」を明記しているにもかかわらず、というかその故か、当該作品の成立年代情報、たとえば初出の掲載誌の情報などはほとんど参照できないことだ。
それを知りたければ、「底本」にあたれ、ということなのだろうが、利用者は図書館などに出掛けて行って「ブツ」としての「底本」を手にしなければならず、情報の「あと一歩」がないために、結局は不完全なデジタル公共財にとどまっている。
これは、まことに残念な、しかし明らかな欠陥である。

さて、では実際に、公共図書館でその「底本」にあたるとして、例えばそれが「全集」だった場合、公共図書館のOPACでは、通常どの巻に収載されているかがわからないのだ。
つまり、例えば『斎藤茂吉全集』は第1巻から第56巻まであるが、各巻ごとの収録作品明細が目録化されている図書館は、国立国会図書館などごく少数である。
また、個人全集ではなく、アンソロジーとしての「文学全集」などの場合も、収録作家名はあるけれども、作品名の明細はないのが普通だ。
これでは、検索の「目録」たりえない。

だから、「全集」で当該作品にあたり、その年譜や解説を参照したい場合は、書庫から全巻出してもらって、片端から見ていくしかない。
図書館によっては、一回の閲覧冊数が3冊や5冊などと決まっていることがあるから、そうなると厄介さが幾倍にもなる。

まあ、こういうことも、いずれは全ページがデジタル化され、ネットでそれを検索閲覧できることになるのだろうから、過渡的不満といえばそれまでだが、各図書館で、そのような「中途半端」な目録が、それぞれの予算でつくられていくつも存在しているとすれば、ばかばかしい思いが先にたつ。

肝心の点が欠落して、中途半端な情報が溢れる、というのは、ナントカ「学会」でも同様だが、現在のネット情報のありようを象徴しているようだ。

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