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疎開

近代になって「開発」され、先の大戦を契機に急速に一般化した言葉である「疎開」dispersal は、「総力戦」に対応し、産業施設や建物、そして人員を分散させる軍事・政治用語だとは、『日本国語大辞典』をみれば簡単に了解できる。

そうして、日本においては、おもには空襲つまりair-raidによる対策として、都市の木造家屋密集部分を「疎」にし「空ける」ことを指していた。いずれにしても、為政・統治者の「時局用語」であった。
しかし、壊された家の住人の移動をも意味するところから、空襲の結果もはや「疎開」する建物自体がなくなる事態にいたって、もっぱら人間の地方への移動を指す言葉となった。
「民」の疎開記憶は、その時点に基盤をおいている。

今回の原発事故による、ほぼ日本列島東半分におよぶ、放射性物質汚染の、将来に対する計り知れない影響に対応して、いま、人はふたたび「疎開」という語を使用しはじめている。
「ただちに影響はない」と言われ、しかし目には見えない放射線 radiation の来襲に、「空爆」以上の恐怖を抱くのは当然だ。
それは、今回の「事故」の「規模」が未曾有であることによる。

いまなお隠微にネットなどで喧伝されている、「米ソ」や「中国」の原水爆実験時の「放射能」どころではなく、そしてチェルノブイリをもはるかにしのいで、今回のフクシマの事故、つまり既に撒きちらされ、なお漏出し、さらに爆発する可能性のある「放射能」の「量」はケタ違いに巨大である。

だから、「疎開」は正しい。
しかし、それは実際上、「移住」migration かも知れないのだ。

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