安全なはずの東京電力の原発が、東北電力管内の福島に次々と建設され、その事故の結果、福島県の一画にいま無人の放射性物質汚染エリアがひろがっている様は、首都あるいは中央が、地方を犠牲として成り立つ、現代社会のありようを象徴している。
社会学では、迷惑施設の地方配置のことを、いわゆるNIMBY (Not in my backyard)と言うようだが、日本において、ことは別様の根深い構造がある。

以前にも指摘したことだが、日本の近代社会は学歴を基本とした階層構造をなしている。
この場合、階層は階級と呼び変えてもかまわない。
日本は学歴階級社会であると。

その頂点はどこにあるかというと、「空間」的には東京であり、もっと狭く限定すれば、23区のなかでも千代田区と港区に特化される。
この2区については、先の「計画停電」にも計画外の特別エリアであったことは記憶に新しい。

ところで、「学歴」の最終着地点がどこにあるかといえば、もちろん上級国家公務員である。
そこに至る学歴階級社会のステップ、すなわち「時間」を、象徴的に取出してみれば、階級頂部に属す子弟が多く通う、千代田区立番町小学校、あるいは同麹町小学校、港区立南青小学校、そして同白金小学校などのうち、とりわけ番町小学校からスタートして、麹町中学校から日比谷高校、そして東京大学にたどりつくお定まりのコースとなる。

このルートは、学歴階級社会のもっとも知られた階梯だが、同様のアップステアー構造は、それぞれの地方において、なぞったように存在し、端末を東京大学に繋いでいる。
彼らは東京に「上り」、功成れば「中央部」に住まう。
列島外に目をやれば、東京大学のランクはいまや香港大学よりもだいぶ格下なのだが、なんといっても日本は島国であり、「日本語という壁」の内側では威光が効く。

そうして実は、この東京大学を頂点とした、「明治維新」以来140年ほどつづいた日本の近代階級社会が、フクシマの事故を契機に、自らほころびはじめているのである。
なぜならば、現在進行している事態は、ヒエラルキーの拠って立つ基盤としての「地方」とその「住民」の切り棄てであり、挙句の果ての、「中央」すなわちエリアとしての東京自体が、放射性物質で汚染されつつあることによるのだが、それと同時にこの学歴階級社会が、とどのつまりその頂部維持機能しかもちあわせていないことが露呈してきたためである。

今回の原発事故汚染の特徴として指摘される、半減期30年のセシウム137の多さは、新陳代謝のいちじるしい、子どもたちの身体の、とりわけ神経系つまり頭脳の発達に影響をおよぼすとみられる。
放射性物質汚染のダイレクトな情報が「ただちに」入手できるのは、上級国家公務員とその周辺の一部である。
だから、たとえば番町小学校などにおける微細(マクロ)な「人口移動」は、「状況」の深刻度を反映することになる。

学歴階級社会が、空間としての「中央」、時間としての「現在」、実在としての「頂部とその家族」しか保存し得ないこと、つまり「空間」としての「中央」が汚染にさらされるなかで、情報を積極的に公開せず、自らの「家族」を先に「疎開」させつつあることがあきらかになれば、「学歴階級」そのものが、国家という「公共性」のなかで存在根拠を失い、崩壊していくしかない。

2 Responses to “Tokyo/Fukushimaの140年 ―「中央」の根拠について”

  1. ハマちゃんon 28 6月 2011 at 10:08:17

    「迷惑施設」に関しては私の住んでおります横浜市港南区も戦前同様な地理的位置(明治44年に横浜市に併合された当時から戦前までは純農村地帯)に属しておりました。その結果設置された「迷惑施設」は刑務所・市営霊園・県立精神病院(全国3番目)・国立結核療養所(後年国立病院となり現在は廃止され現在は廃屋状態です)等です。結局今もそれらの施設は残り、それらの施設周辺は住宅が密集状態で、まるで普天間飛行場の様な状況で現在も港南区の「負の遺産」として存在し続けております。

    この様な事象は全国的に存在していると思いますが、今も戦前からの「官僚主導国家」日本は歴然と続いている様ですね。

  2. collegioon 28 6月 2011 at 22:46:56

    めったにご来訪のないサイトに、しかもご投稿いただき恐縮です。
    最近つくづく思うのですが、日本は本当に「猿の惑星」ではないのかと・・・・・。いや「ヤプーの島」かも。
    これについてはまたブログで。

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